第二章 壊れた精霊⑤
昨晩の雨のせいで、奥庭へ続く小道はしめっていた。奥庭はあまり人が行かない場所なのか、敷石の継ぎ目から雑草が生えている。
柵の向こうに目をやると、奥庭の中はさらに雑草が繁っていた。しばらく庭師を入れていないからではないかとミシェルは思った。木々の枝に覆われ、奥庭は昼でも薄暗い。
(魔物発生のとき活躍した、戦士精霊がここに……)
それは父であるクレティス伯爵が、『同調』で育て上げた精霊ではないだろうか。父を慕っているフォシェリオン侯爵のもとにいるのだ。間違いない。
モモの顔を思い浮かべ、胸が痛む。
モモと王宮所属の戦士精霊の間には、悲惨な出来事があったのだ。そのことを思い出すと、ミシェルの胸に『命令使役』に対する憎しみが、あらためて湧いてくる。
奥庭へ入る木戸の前で、グレンがすでに待っていた。
フォシェリオン侯爵。『命令使役』に反対する有力貴族――。
(わたしは、侯爵様とともに『命令使役』を阻止するために、立ち上がるべきなのかしら)
グレンがミシェルに気付き、ぎこちなく右手をあげた。ミシェルは足をはやめ、グレンに近付いた。
「お待たせしてしまい、申し訳ありません」
「あやまらずとも良い。まだ三十分経っていない。モモは落ちついたのか?」
「はい」
「あの反応は、一体なんなのだ? モモになにがあったのだ?」
「四年前の魔物退治で活躍した、王宮の戦士精霊たち……。彼らの多くは、殺されましたでしょう。同族に。――同族の、戦士精霊に」
「――ああ。哀れで、忌々しい事件だったな。襲った側の戦士精霊たちも乱闘で死んでしまったし、君の父上が『同調』を用いて戦士精霊を操ったなどと、あらぬ言いがかりをつけられて」
「ええ……」
「精霊と『同調』するなら、精霊使いと精霊が同じ目的を持って、同じ作業をしなければならない。レナルドが戦士精霊を殺す目的など持つはずがない。暴れた戦士精霊たちを動かしたのは、強度の『命令使役』だろう。暴れた精霊が死んでしまって証拠が出ないから、その場にいたレナルドに疑いがかけられただけだ」
「そうですね……」
「レナルドは操られている戦士精霊たちを止めようとして、現場に来たのだろう。そして真犯人は、レナルドが止めに来ることくらい、お見通しだったわけだ。最初から、彼を陥れようとしていたのか」
「……」
ミシェルはくちびるを噛んだ。
父が陥れられたそのとき、ミシェルはすでに王都を離れ、誰にも知られずに田舎にいた。
父レナルドは、敵がなにか仕掛けてくることを予想していたのだ。だからミシェルにまで危険が及ばないよう、先手を打って秘密裏に王都から逃がしたのだ。
自分はそのとき、なにも知らなかった――。
のちにモモから聞くまで、なにも知らなかったのだ。
「もしかしてモモは、王宮づとめだったのか? あの日現場を見たのか――?」
ふと気付いたように、グレンは言った。
ミシェルはこくんとうなずいた。
「戦士精霊が殺し合うという、悲惨な現場を見たんだな……。本来、戦士精霊は魔物を殺すために生まれる種族だ。そのために生を受ける――。精霊は、精霊を殺めるようには出来ていない」
「そうです。そのとおりです。精霊が精霊を殺すこと、それが精霊にどんなに深い傷を残すか、『命令使役』の使い手は、なにも考えなかったんです」
「モモは証言できないのか? 暴れた戦士精霊たちは『命令使役』で操られたのだと」
グレンの問いに、ミシェルは静かに首をふった。
「精霊の証言に納得する人間が、王都にいますか?」
「いるぞ」
グレンは力強く言った。
ミシェルが自信に満ちた彼の顔を見る。
「ここに」
グレンは自分を指し示して、言った。
「……侯爵様。そうですわね」
ミシェルはふっと笑顔になった。
そうだ。彼はたしかに精霊の味方だ。知り合ってまだ間もないけれど、それは言動の端々から、じゅうぶんに伝わってくる。
「グレンと呼べと言うに。モモのことは大体わかった。現場を見てしまったあわれな家事精霊が口封じのため廃棄処分されないよう、レナルドが先手を打って逃がしたというところか?」
「――はい」
本当は違うのだが、ミシェルは黙っていた。
事件のとき、自分はすでに王都にいなかったということも、黙っていた。
グレンが味方だと確信できるまで、「目撃者の家事精霊は城から逃げて、伯爵の屋敷で令嬢に匿われていた」ということにしておいたほうがいいと思った。
(なんだか心苦しいわ……)
「では、行こうか。レナルドが育て、私が憧れた戦士精霊『ランドゥ』のもとへ」
グレンは裏庭の木戸を開け、ミシェルを手招きした。そしてミシェルが通り抜けるまで木戸を押さえ、ごく自然にレディーファーストの態度を示した。
ミシェルはつい、どきりとしてしまった。こんなふうに淑女扱いされる機会など、田舎の村ではなかったからだ。




