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05



「お留守番、宜しくお願いしますね」

「おう、まあ適当に任せとけ」

「……飲みすぎないで下さいね。事務所がお酒臭くなりますから」

「はいはい、分かってるよ――で、ニルチェ、お前今日は探偵の仕事か」

「ええ。――調査なのですが」

「ドジ踏むなよ?」

「今回の依頼主は“お堅い”人でしょうから、問題はありませんよ」


 時折危ない仕事にも首を突っ込む女を案じた男に、探偵はやんわりと微笑む。

 「問題はない」――そう言った探偵に、あくび混じりに司書の男は「おう」と短く返す。危ない仕事をすることが増えてから、司書は出来る限り娘に“護身術”と“立ち回り方”を教え込んでいた。こういうときにかつての仕事が役に立つとは――と、胸中は何とも複雑だ。


 いつもどおり、探偵事務所の扉が開いて若い探偵の女が外に出て行く。潮の香りが、ふわりと事務所の中に滑り込んだ。

 ぱたん、と微かな音を立てて、扉が閉まる。沈黙が落ちた。


 探偵事務所には、探偵でない司書の男だけが残る。

 この探偵事務所に訪れるのは、依頼人とこの司書の男だけ。所長のニルチェニアは他人と親密な交友関係を持つことはなく、誰かと深い間柄になることもなかった。

 当たり障りのない穏やかな笑みで、近づいてくる人間をすべて煙に巻いている。――育ての親である男にはそう見えていたし、女の方もそれを否定する気はないようだった。

 職業柄、危ないことに手を出すことも考えると――彼女の方も、“弱点”になるような者はつくりたくないのかもしれない。

 その気持ちは、暗殺者だった男にはよくわかる。


 探偵なんてのは因果のある職種ですしねェ、と司書の男はどかりとソファーに腰掛けた。完全にだらけている。


 司書の男は様々な理由のもと、先ほど出て行った探偵の女性を育てた経緯がある。だからこそ、この事務所でだらんと寛げるわけで。


 司書の男は我が物顔に探偵事務所内の冷蔵庫を開け、昼間だというのに――缶ビールを取り出し、呷った。

 普段は「図書館」という、知的で理性的な場所に勤めている彼だが、彼自身は知的でも理性的でもない。

 こうして仕事が休みの日はぐうたらと、昼過ぎまでだらだらとソファーに寝そべり、適当につまみながら酒を飲んでいる。

 また、困ったことにこの海の町は港町というだけあって、イカを干してあぶったり、魚をそのままスライスして生で食べる料理があったりと――つまり、酒の肴には事欠かなかったのだ。


 だから、酒も進む。すでに空いてしまった缶がいくつかテーブルの上に乗っていた。


 だらだらと飲み続けているとはいえ――元々、この司書の男は酒好きである。

 ビール如きじゃ酔えねェよなァ――などと呟きながら、彼はどんどんとビールの缶を空にしていった。

 彼にとっては幸いなことに、先日ここの探偵が「お土産」と称してたくさんの魚を貰ってきたから、つまみならいくらでもあった。

 こういう休日も悪かねェよな、と上機嫌で、彼はつまみのイカを口に放り込んでいく。


「すまないが、留守中か? 誰かいないか」


 彼がソファでのんびりとくつろいでいれば、ノックと共に堅苦しい男の声が入り口のほうから聞こえてくる。何だようるせーな、と司書の男は口の中で呟き、扉をかけるべきかどうか悩んだ。


 なにしろ、酒盛り中だ。

 これが依頼人なら通さねばならないだろうが、一人とはいえ、酒盛り中の事務所に通すのも問題だろう。

 何より司書の男にとって面倒でならなかったのは、扉の外にいるのが“男だろう”ということだ。

 聞こえてきた声が女のものだったら、まだ応対する気も起こったというものだが――


「仕方ねェな……」


 一応は留守番を任された身だ。気は進まないが――と、司書の男は探偵事務所の扉を開ける。開けてから、そこに立っていた男の顔を見て息をのんでしまった。


 そこに立っていたのは眩しいほどの銀の髪に、海のような青の瞳の男だ。

 よく出来た石膏像の英雄のような、勇ましい顔立ち。それなのにどこか神経質そうで――それから、ひどく優美な顔。

 司書にはこの顔は見覚えがあった。


「――こんにちは、っと。……で、何しに来た?」


 思い当たる可能性。

 そうでないことを願って、司書の男は軽薄に口を開く。

 漂ったアルコールの匂いに、整った石膏像の男が顔を顰めた。



***



「――ジェラルド・ウォルター?」

「そーなんスよ。そのジェラルドさんって人を捜してほしくて。あ、出来ればですけど」


 主にやってほしいのはその人の調査、と軽々しく口にした金髪の男は、通りかかったウェイトレスに“ステーキお代わり!”などと声を張り上げている。


「出来れば……とは?」


 探偵の女はコーヒーに口を付けながら、目を伏せつつも金髪の男に問う。それがですねえ、と金髪の男はもぐもぐとステーキを頬張り、それを飲み込んだ。ほとんど丸飲みと言っていい。

 よく食べる人――まるで蛇のようね、と探偵は思いながらも男の言葉を待つ。口に物が入っている最中に話し始めないのは評価したいところだ。


「んーとね、その人、生きてっかどーかも分かんねえんだなァ。だから死んでたらそもそも(・・・・)探せねえかな? ってこと」

「――生死の調査をすればよいと言うことでしょうか?」

「んんん……その辺は微妙だけど、とりあえず“ジェラルド・ウォルター”に関するありったけの情報が欲しいんスよ、こっちは。だから死んでるとか死んでないとかはとりあえず置いといて貰って、死んでたら俺に連絡ちょうだい、って感じスね。オーケー?」


 肉料理を食べながらのんびり話すようなことではないな、と探偵はあきれる。先ほどの紹介ではこの男は軍に勤めている、という話だったが――こんなにいい加減な性格で軍になどいられるのだろうか。風体も“軍人”と言うよりは“行き場を間違えた不良”と言った感じだ。気さくに話しかけてくるところも、かえって胡散臭い。


 男がすこし首を振った瞬間に、ちゃりちゃりと音がしてピアスが揺れる。耳がちぎれたりしないのかしらと男の耳を見つめた探偵に、「見つめられると照れるスわ」と男は照れた様子もなく口にした。探偵は言葉を返すこともなく、無視をする。


 男の耳に“ぶら下げられるだけぶらさげました”と言わんばかりについているピアスのたぐいは、見ていて痛いほどだ。限度を間違うと悲惨なことになるな、と探偵の女は思いながら、珈琲をまた一口飲んだ。正直なところ、紅茶の方が好みなのだが。


 もぐもぐと未だ料理を咀嚼し続けている男は、ふいに探偵の女ににまりと笑いかけた。


「探偵さんならうまいこと尻尾掴んでくれるって信じてんですよ、これでも。業界じゃ有名っしょ、お嬢さん」

「さあ――どうでしょうね」


 自分の評価はよくわからない、と探偵は男に告げる。そもそも探偵の女はそんな物に興味は抱いていなかったし、ええそうですよ、なんて簡単に口にする同業者がいるとは思えない。

 業界で有名、というのは必ずしも良いことではないし、腕が良いと判断されればされるだけ危険にもなる。


「素人よりは馴れていますが、それだけです」

「ふーん? ま、そういうことにしときましょーか」


 含みのある言い方をしながらも、男はぺらりと一枚の紙を差し出し、女に手渡した。


「俺、ミズチ・アルテナって言うんスよ。これ、俺の連絡先」

「どうもありがとうございます。――それでは、こちらが」


 “探偵”として使っている名刺を差し出せば、ミズチはふうん、と名刺をいじり始める。


「ニルチェニアさん、ですか――事務所の名前と一緒なんだ?」

「ええ」

「舌噛みそうな名前っスね」

「ええ」


 ファミリーネームは、と聞かれて、ニルチェニアはしばし悩む素振りを見せる。別に本当に悩んだわけではない。


「偽名で宜しければ」

「ああ……探偵は身バレ良くないっスもんねー、多分。……ん、でも事務所に大々的に名前だしてるっぽいですけど」

「そちらも偽名ですよ」


 嘘ではない。

 あの日以来“リラ”は“ニルチェニア”だが、書類上はニルチェニアではなくリラのままだ。偽名とさほど変わらない。


「はァん、偽名ねー。つれないな、依頼が終わったらデートにでも誘おうかなって思ってたのに。名前も呼べないんじゃ味気ないスね」

「デートの際も偽名で呼びかければ宜しいのでは?」


 傍目から見たら誰も偽名だなんて思わないだろう。そもそも――一体誰が彼女の本来の名を知っているというのか。


 淡泊な態度のニルチェニアに苦笑いしながらも、ミズチは「進展があり次第連絡どーぞ」と、ニルチェニアの名刺をひらひらと振った。

 ニルチェニアが席を立つときには「お代は俺持ちで」とウィンクされたけれど――食事代の大半は彼の料理代だ。コーヒー一杯くらい払うのにと思ったが、あまり断るのも失礼か、とニルチェニアは厚意に甘えることにする。


 ミズチと別れ、ニルチェニアはジェラルド・ウォルターか――と小さく呟く。

 彼が生きて、今も生活しているのはニルチェニアが一番よく知っている。

 彼女の確信に近い推測に間違いがなければ――彼は、数年前に小さな少女を拾い、今は司書として生きているはずだから。




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