04
月日は流れるものだ。
そうあざ笑うのは誰だったろうか。
彼が望めども――彼女が願おうと――流れる月日はまた、永遠の流転を繰り返す。
彼女が探偵になって数年後の、月の見えない夜だった。
***
いつもにぎやかな昼間とは違い、夜になればまた違った賑やかさを見せる穏やかで平和なこの港町。
とはいえ、草木も眠るようなこの時間ともなれば、街自体がまるで電池切れの機械みたいにひっそりと静まりかえってしまう。
先日まで行われていた、豊穣に祈りを捧げる祭りも終わってしまったから、今日あたりは本当に静かだ。
そんな中を、一匹の白い犬がのそりのそりと歩いている。
首輪もないくせに妙に小綺麗なその体。野良犬にしては不思議なことに道端に落ちていた、家々の庭に生い茂る木々の果実の類には目もくれない。そんな塵など食べるわけがなかろう――そう言いたげに、つんとすました顔をして。
その犬は――。
真っ黒な街の中、ただ一点の白として存在していた。
犬は不意に路地裏に引っ込む。
ほどなくしてひゅるひゅると風がなり、カタカタと街の店の窓ガラスが鳴る。
さほど時間をおくことなく、犬と入れ代わるようにして路地裏から人が出てきた。
線の細さからすれば女。それも、成人して少ししたくらいの。
老人のように白くて長い髪、ミルクを入れすぎたミルクティーのような色の肌。暗闇のなかでぼんやりと判別出来る瞳は、赤と青が均等に混じりあった、はっきりとした紫色。
暗い夜には薄黒く見えるそれは、日の下では菫の花のように可憐な色に見えるのだが――。
瞳の可憐な色とは正反対に、その目は不機嫌そうに細められていた。ふ、と吐いた息はうっすらと白い。もうそろそろ冬がくる頃だろうと、女は冷たい夜風に髪を遊ばせる。
彼女は、不機嫌に細めた目で、星の浮かぶ空を 見ていた。
真っ黒な画用紙に白い点を散りばめたような星空は、今日はことさらに美しかったけれど、空の端の方は厚い雲に覆われていて――星など見えようはずもなく。
しばらくすれば今にも降りだしそうな空模様に、路地裏から犬と代わるように出てきた人影はむっすりとして、音もなく暗闇に消えていく。
――星の光が美しい、月の見えない夜だった。
***
"人探し、身辺調査、ピザの宅配から臓器の運搬まで。何でもどうぞ"――
そんな妙な広告文句を掲げ、この穏やかで平和な街にひっそりと佇む【ニルチェニア探偵事務所】。
宣伝文句がこの街の雰囲気に合わないのは、一種のジョークだと周りも理解している。
人の目にはとまらない場所にあるわりには、この探偵事務所の所長であり従業員であるニルチェニアは、仕事に困ってはいなかった。
毎日少しずつではあるが、依頼はきちんと来ている。
そう、“多くはない”。少しずつの依頼なのだ。
繁盛しているわけでもなく、けれど閑散ともしていない。ちょうど、漁に賑わうこの港町のようだった。賑わっていても人は少ない――のが、この港町の特徴だ。
けっして忙しくはない。
それなのにも関わらず、ニルチェニアは少し疲れた顔をして、留守中に電話に残された依頼を気怠げにリストに書き移していく。リストに書き写すのと平行して、彼女はそれを読み込んでいた。もうなれた“仕事”だ。目を瞑っていたって出来そうだとは彼女の養父の話である。
「浮気調査……と、またピザ配達、ですか」
ぽそりとつぶやき、ニルチェニアは片眉をつり上げた。
ピザの配達を依頼してきたのはいつもの図書館司書だ。
今度こそ報酬を割り増しで貰おう――。
そう頭の中でしっかりと思いながら、彼女はため息をついた。
ここはピザ屋ではない。
広告文句に"ピザの配達"を盛り込んだのはあの司書――自分の血のつながらない父親――で、その後に続く"臓器の運搬"も彼の案だ。
広告文句にしては生臭く、どう考えても『そっち系』の文言に、ただの冗談かと思ってその広告文句に「良いのではないですか」と適当に返したのが運の尽き、というやつだったのだろう。
初依頼で事務所を開け、三日後に事務所に帰ってきた頃には、磨きあげられたガラスのドアに、白い塗料でその“イカレた宣伝文句”が打ってあった。
思わず事務所の前に立ち尽くしたのを、今でも鮮明に覚えている。直すのも面倒でそのままにしているが、そのせいで今は少々変な目で見られてしまっているのだ。だから、あのとき直すべきだったのだろう。とはいえ、もう手遅れなのも否めない。
冗談のはずの"ピザの配達"は、発案者その人が度々依頼してくる上、"臓器の運搬"は、本当に臓器を運ぶ運ぶ目に遭っている。
――もっとも、穏やかなこの港町では、運ぶ臓器なんて魚の臓器くらいしかないのだけれど。
そのせいで水産関係の方とはちょっとした顔見知りだ。たまに海産物を頂くくらいの仲にはなっている。嬉しいことではあるが、探偵はどうも魚が苦手だった。
「仕事がないよりまし、なのでしょうね……」
ふ、と息をついてリストを机の引き出しにしまい、ゆっくりと安楽椅子に腰掛ける。座り心地の良いこの椅子は、あの司書から「祝・探偵ってことで」と、探偵事務所を開いた日に贈られたものだ。ありがたく使わせて貰っているからこそ、時折のピザ配達には応じている。
ココア色の、艶のある革張りの安楽椅子は、時に彼女のベッドにされたりもするが、未だにへたばる様子はない。
机の三番目の引き出しからブランケットを取り出し、椅子の上で目を閉じたところで電話が鳴る。
三回コールが鳴る前に、ニルチェニアは受話器を取った。
「もしもし、こちらはニルチェニア探偵事務所――」
「おー、ニルチェ。ピザをだな――」
「ここはピザ屋ではありません」
草木も眠る丑三つ時。
それにもかかわらず【探偵事務所】にピザの出前を求めた不届きな図書館司書に、ニルチェニアは答えることもなく電話を切った。
これは、穏やかで平和な港町、午前二時頃の話だ。