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02



 男の周囲は常に血腥かった。死の匂いが体にまとわりついていたと言っても良い。男にとっての“死の匂い”は死屍の腐臭ではなく、硝煙と鉄の匂いだった。


 そのころ、男が手を引いていたのは幼い娘ではない。愛しくてたまらない、銀髪の女だった。

 快活に笑い、剛胆ながらも優しさを持った、そう――裏の世界で生きるには眩しすぎる女だった。


 女はリラ・ブランシュといった。

 リラの花のような青紫の眼に、白に近い銀の髪。途方もなく眩しいその銀色は、ジェラルドという一人の男の心を狂わせた。


 男は暗殺を生業とする、薄暗い世界で生きていた。別に、必要に迫られて薄暗い世界で生きていたわけではない。吐き気がするほどの香水の香りと、反吐が出そうなほどのがちがちな人間関係に絡め取られた社交界から逃げ出したかっただけだ。逃げ出した先が犯罪者になることだったというのは、ある種の笑い話だろう。生まれてから何一つ不自由なく育った貴族の少年は、数多いる人間の吐息に絡め取られ、計画的で利己的な貴族社会に耐えきれずに自由を求め、求めすぎた結果――自由の代わりに命を保証されない世界へと足をつっこむことになったのだ。全く、愚かで哀れな少年に他ならない。


 男を――少年をそんな世界に誘ったのは、ほかでもないリラ・ブランシュだった。甘い言葉も柔らかい体もジェラルドにはいらなかった。何も持たずに飛び出したジェラルドに、リラはたったひとつ、“愛”を与えたのだ。


 下世話な話と醜悪なお世辞、愛想笑いに囲まれて育ったジェラルドに、それはひどく美しくうつった。たとえば行き倒れていたところにたまたまリラが通りかかり、何の気紛れか少年を介抱してしまっただけでも――ジェラルドにとっては愛だった。


 誰かに与えられる無償の愛。見返りを求めない愛。それはとても甘美で清く、同時に致死量の毒になりうることを、ジェラルドは知らなかった。


 リラは介抱した少年が貴族の出だと知ったとたんに、「元の世界に帰りなさい」と諭した。貴族の少年は裏路地には似合わないと。溝臭い界隈で生きるのではなく、花の香りのする屋敷で生きろ、と。

 ジェラルドはそれをつっぱねた。自由を求めて屋敷を出たというのに、あの狭い世界に戻るのはごめんだと。何でもするからリラの隠れ家においてくれと――頼み込んだ。


 リラは諦めたように頷くと、一つ条件を出した。


 ――“貴方、人は殺せる?”


 自分と同じ立場に身をおくのならば、同じ竈で作る飯を食べることを赦す、とリラは言った。ジェラルドが後々考えてみれば、リラにしてみればこれは遠回しな拒否だったのだ。貴族の少年に人なんて殺せないと。自分がどんな生活をして生きているのかを知ってくれれば、きっと元の場所に戻ると。それがこの少年にとって一番良いことなのだろうと――。


 けれど、少年は人を殺めてきてしまった。裏路地でも有名な、荒くれ者だった。

 少年はリラから借りた拳銃で獲物を見事しとめ、“これで君と同じだ”とそれは幸せそうに微笑んだ。そのときにリラは――リラ・ブランシュは自分が過ちを犯したことを知る。

 それから、自分が道を惑わせてしまったこの少年に、せめてもの償いをしていこうと決めた。


 どちらも愚かだった。どこまでも愚かだった。


 恋は人を愚かにすると言うが、愚か者の恋は人を獣たらしめる。

 二人はやがて人を殺め、罪悪感に自らを縛ることでお互いの絆を深め合い、そうして人とは思えない生活に染まっていった。

 否、動物として自然な姿に戻っただけなのかもしれない。腹が減ったら獲物を狩りに行くのは獣として当然の行いで、だからこそ二人はそれを続けていた。


 ジェラルドを獣から人に戻したのは――リラの死が切っ掛けだった。


 リラ・ブランシュは多くの人間に恨まれていた。同時に多くの人に愛されていた。裏の社会で生きる人間は恨まれるのも珍しくなく、リラもまた手に掛けた人数の分だけ、人に恨まれていた。


 獣であったジェラルドを、リラは良く手懐けていた。恋人として接し、友人でありながら姉のように、母のように振る舞った。たった一つ、罪悪から成る“愛”はジェラルドにとって一番必要なものであり、彼女もまたジェラルドから与えられる愛を――何よりも大切にしていた。お互いに依存していた。お互いの“愛”に。


 どちらかが死ぬまで。もしくは、どちらかが死んでも。

 大切なのは“愛”であり、その他は要らなかった。


 だから彼女は最期に彼に頼んだのだ。自分を殺せ――と。

 愛する人に殺して貰うことこそが最上の幸せであり、また、それが最愛の人を縛り付ける最上の鎖だと知っていて。


 ――“Are you ready?”


 準備は良い? そう血みどろになりながらも口にした女の声が、ジェラルドの耳には今もへばりついている。


 リラが死んだその日、“リラ”が生まれた。

 “予定通り”、彼女が望んだように歯車は回り始め、何一つ接点もないまま――二人の“リラ”は密接な他人として、一人の人生を大きく狂わせていく。



***



 いつしか幼かったリラは目が覚めるほど美しく成長し、その成長ぶりには養父であるユーレも舌を巻くほどだった。

 リラの成長は何も外見ばかりの話だけではなく、成人に差し掛かる頃には王都の学者にも匹敵するほどの知識を身につけ、また観察眼、洞察力も周りの人間より頭一つ抜きんでていた。観察眼、洞察力の高さに気づいたのはユーレが元暗殺者だったからだ。日常の些細なこと――例えば、ユーレがどこかへ置き忘れてしまった薬の小瓶の在処を、ユーレの行動パターンから推測し、その場を一歩も離れることなく言い当ててしまったりだとか――港町の住人の悩み事、隠し事を言い当ててしまったりだとか。


 リラがほかの人間よりもかけ離れていたのは、それだけではなかった。


 世界には“本領”という特殊な能力を持って生まれる人間がごくたまにいる。それはいわば魔法のような能力で、人によっては炎を何もないところから出してみたり、また消してみせるなど――それこそ、人の数だけ様々な種類があった。


 実を言えばユーレもその一人で、ユーレは【支配】を本領としてもっていた。この能力は簡単に言ってしまえば“任意のものを支配する能力”であり、支配したものは“本来なら発揮できない効果すら発揮させられる”ものでもあった。

 ユーレはときおり、この能力で書籍を【支配】し、本来なら書籍が発揮することなどできない“書籍の映像化”を実現可能にしていた。つまり、本があればどこでも本の内容を映像にして楽しめる、というものだ。そのほかにも使い道はあったが、ユーレがよく発揮するものと言えばこれくらいだろう。


 “本領”は、王都――宝石の町“ジュエラ”に住む者たちには馴染み深い。王都を守る騎士団や国を守る軍人たちが身につけていることが多いからだ。そうでなくとも本領を身につけていることは多いが、一般人で本領を持っている人間はごく少数に限られる。ユーレの従姉妹なんかは小さいときに本領を発揮して以来、その力を存分に使いたいからと――確か生物関係の研究の道に進んだはずだ。これはユーレが家出をする前の話だから、今その従姉妹が何をしているかはさっぱりわからないが。


 そうして、リラもまたその“本領”持ちだった。

 リラの本領は【共鳴】で、ありとあらゆる動物に【共鳴】し、姿を変えることが出来るようだった。ただ、瞳や体毛の色は変えられないのか、カラスに変身してみても、狼に変身してみても――白い体にスミレ色の瞳は変わらない。

 ある意味で“調査”することにうってつけなその能力は、元々旺盛だったリラの好奇心を増大させたらしい。ユーレはよく、猫の姿で街中を歩いているリラを見かけた。


 動物に変身するくらいなら可愛い能力だ。

 人の命を脅かすことも、また自分の命を脅かすこともない。

 ユーレはときおり、鳥に変身したリラを肩に乗せて歩くことがあった。手を引くでもなく、娘を背負うでもなく。同じ視線で見る景色は彼に安らぎを与えていたのだ。


 “リラ”の手を引いて歩いていた、あの頃のように。

 

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