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01




 ユーレ・ノーネイムとその娘は比較的穏やかに地域にとけ込んだといっていい。


 人の少ない寂れた港町では、新しく移り住むこととなった茶髪の男と、その連れ子らしい紫の瞳の少女はすぐに噂となったし、噂の渦中にあるからこそ周りも交流を図りたがった。

 ユーレはそれを利用して、“得体の知れない父娘”を、“様々な事情により引っ越してきた苦労人の父親とその娘”――へと印象を転化することに成功したのである。


 ユーレの生来の気安さや陽気さは、寂れた港町でも友好的に受け止められたようで。

 娘が多少“人見知り”で何も話さなかったとしても、周りは娘――リラに降りかかった不幸やら何やらを勝手に想像しては“お若いのにお父様も苦労してらっしゃるのね”とユーレのありもしない苦労をたたえた。楽で良い、とユーレは思いながらも、“ありがとうございます”と頭を下げることを惜しまない。ちょろいもんだとユーレは内心ほくそえんだ。だから善良な人間は好きだ。


 地域に完全にとけ込む頃には、ユーレは新しい仕事を見つけ、真面目に働いていた。前々から経験しておきたかった図書館司書の仕事だ。

 その経歴から意外に思われがちだが、ユーレは読書を趣味としていて、暗殺者稼業から足を洗った際に“次にやるなら司書が良い”とも思っていたほどだ。港町にある図書館なんてそう大した大きさでもなかったけれど、それが今の身の丈にあっているとユーレは満足している。幼い娘を育てていくには何の問題もないだろう。


 それから生活も軌道に乗り、半年もする頃には何も話さなかった娘が口を開いた。

 珍しく、砂浜で“子供のように”泥だらけになるほど遊んだリラを、風呂に入れて髪を洗っているときのことだった。

 突然、「貴方にとって私は何なの」とリラが小さく呟いたのだ。一瞬、息をするのを忘れた。

 子供が口にするには似つかわしくない内容だし、口を開いて最初に言う言葉がそれか、とも思った。が、真剣にユーレを見てくるその紫色の瞳は、ほかの誰でもないユーレの言葉を望んでいたから――。


「お前は俺の娘だよ」


 そう答えた。それは彼の中でひどく自然な返答だった。

 他にどう――彼女との関係を言い表す言葉があったのだろう?


 リラはそれに「そう」と短く返し、「それなら私は貴方の娘ね」とゆっくりと微笑みを作った。子供らしくて可愛らしい微笑みだったが、どこか抜け殻のような笑い方でもあった。

 何故そんな笑い方をしたのか、その笑いの意味は何だったのか、そのときのユーレには全くわからなかった。それよりもリラが口を利き、目に見える形で笑んだことが大事件だった。


 その夜リラは熱を出し、ユーレは必死に看病に奔走する。医者を呼び、暑さに呻く娘の手を取って、早く熱が下がるようにと普段祈ったこともない神に祈った。

 熱に浮かされる少女の姿は一般的な少女と寸分も違わない。一般的な父親がそうするように、ユーレは娘に出来うる限りの看病をした。


 熱が下がった日の娘は憑き物が落ちたような晴れやかな顔で、ユーレの作った食事をおいしそうに口に運び、やれ魚は食べたくないだの、もっとジュースが飲みたいだのとよく話した。

 驚くと同時にうれしかった。小さな娘が普通の子供と同じように話し、笑い、頬を膨らませてむくれることがこんなにも嬉しいことだとは思わなかった。捨てられたことで傷ついていた心に幾分か余裕が生まれたのだろう、とユーレは推測し、娘の愛おしい姿を抱きしめた。くすぐったいわ、おとうさん――そう笑う娘の愛らしさに、あの出会いは運命だったのだと、彼はそう確信するほか無かった。


 人はいつだって信じたいものしか信じないのよ、と後々に微笑むのは白髪の女だと知る由もなく。



***



 少女は無事にすくすくと育ち、時折こまっしゃくれた口を利きながらもユーレを父として慕っていたように思う。リラは同じ年頃の少女に比べて格段に理解力もよく、ユーレが口にしなくとも自分と父の血は繋がっていないのだと弁えていたらしい。だから父親のユーレと自分の顔が似ても似つかないものであったり、髪の色や瞳の色まで全く異なっても、何も言わなかった。


 少女の中からは自分が捨て子だったことや、幼いときに殆ど口を利かなかったことなどはすっぽりと抜け落ちていて、ユーレが“お前は話すようになったよなァ”などと口にすれば“何がですか”と首を傾げることも多かった。


 歳が二桁になる頃には――これは目測での話だが――リラは父親のいる図書館に入り浸りになった。読書の好きな父の影響をしっかりと受けたらしく、子供用の冒険小説から、子供が読むには難解な小説までありとあらゆる書籍を読みあさっていた。

 そのころには、港町のこの不思議な父娘のことは“本好きな親子”として微笑ましく見られていたし、リラの儚さの漂う美しい容姿は、同じ年頃の少年たちからあこがれの目を引いていた。


 リラが外で遊ぶことは極端に少なく、いつも図書館のとある部屋の中で本を読んでいる。それだからこそ図書館の周りにはそわそわとした少年たちが、ボール遊びをしながらも窓際にいる少女を眺めていたりもしたし――どう見ても儚い少女であるリラを心配した近所の女性たちが、あれこれと彼女に世話を焼いた。男親では気の回らないこともあるだろう、という配慮はユーレにとってもありがたいことだったから、彼はそれを甘受した。


 リラの白い柔肌、スミレ色の瞳は誰から見ても美しかったように思う。港町にいるような娘ではないと、まるで貴族の令嬢のようだと――彼女によく世話を焼いていた、恰幅の良い宿屋の女将はそういった。確かに、品のある顔つきだなとはユーレも思っていたのだ。そして、どこかで見たような顔でもあるな、と。


 娘が美しく成長するのは喜ばしいことだったが、ユーレはいつまでたっても外に出ようとしない娘を少し案じていた。子供の時なら尚更、外で遊びたくなったりするのではないか、この子供時代を室内でこもりきりにさせて良いものか――と悩んだのである。子供に運動が必要なのは分かり切っていることだし、日光に当たらない生活が不健康なのもよく知っていたから。


「健康的な肌の色――とは言い難いよな」

「元からです、ユーレさん」


 たまには外に出ないとカビが生えるぞと娘を脅してみても、娘は「そんなことはありません」と笑って本を読み続ける。日に当たらずに生活しているからこんなに色白なのかと思っていたのだが、それが先天的な色素の少なさによるものだと気づく頃には、リラはすっかり図書館中の本を読み尽くしていた。


「ねえユーレさん、私、日に弱い体質らしいわ」

「そうみたいだよな……外に出かけるのもあんまり勧められねえし――」

「いいえ、日傘があるなら大丈夫。あまり深刻なものではないみたいだから。医学書と文献と……少し読んでみたけれど、想像していたより遙かに楽観視できるものよ」

 

 少女の理解力の高さや察しの良さはともすれば悪魔的で、ユーレがそれに驚くことも少なくはなかったのだが――リラは自分の理解力の高さを当然としてうけとめているようだったし、理解力だの何だのと、無いよりはずっと良いと考えた。


 無いよりはずっと良い――そう思い続け、いくら賢くともこの年若い娘は自分より無知だ、と信じて疑っていなかったユーレに、彼のその後を揺るがすような、途方もない賽を投げて渡したのはほかならぬこの娘だった。


 ユーレ・ノーネイムは生涯この娘のことを忘れないだろう。

 当たり前だ、たった一人の愛しい家族であり、恐れるべき女であり――また、守るべき少女だったのだから。



 月日は、彼が少女を拾うよりずっと前へと遡る。




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