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「おや。……久しぶりですね、蒼玉卿(そうぎょくきょう)。険しい顔をしていますが――何かありましたか」

「ええ、久しぶりです、叔父上――いえ、白玉卿(はくぎょくきょう)


 椅子に姿勢良く腰掛けて、銀色の髪を後ろに撫でつけた秀麗な容姿の男。

 名をソルセリル・システリアという彼は、この国では知らないものはいないほどの有名人だった。

 国でも随一の弓の腕を持ちながら、国王に召し抱えられるほどの知識を持った医者であり、また学者としても有名な――これでもか、というほど才能に恵まれた男だ。


 天は二物を与えず。そんな言葉に真っ向から喧嘩を売るように、彼は文武両道でありながら眉目秀麗と――まるで何かの物語の主人公のような存在で。けれど、どんな宝玉にも(きず)はあるものなのだろう。彼は――恐ろしいほどに合理主義者だった。


 目の前で死にそうな人間が二人いたとして、助かる見込みのなさそうな若者と助かる見込みのありそうな老人がいたら、ソルセリル・システリアはどちらも救わない(・・・・)

 老人は助けたところで老い先短いだろうし、そもそも助からなさそうなものに施す手はない――。ならば、治療に入り用なものを無駄に消費するのが勿体ない。ソルセリル・システリアはそう言った内容のことを臆面もなくいえてしまう人間だった。


 いっそ非道なまでの合理的な性格は、彼を“外道医師”として有名にするのに一役買い、けれど彼はそんなことなど気にも留めていない。


 ソルセリル・システリアは途方もないほど正直だった。人の道を外れるほどに正直で、嘘をつかない。ルティカルはそれを知っていたから、外道外道と騒がれていても叔父のことを外道だとは思えなかった。確かに人の気持ちなんて斟酌しないような人ではあるが――外道とはまた違ったものだと思うのだ。


「少し聞きたいことがありまして、参りました」

「君が何かを聞きたがるなんて珍しいですね。明日は槍でも降るのでしょうか」


 ほほえみを浮かべるでもなく、ただ淡々と口にだされていくそれはルティカルにとっては馴染み深い、叔父の口調だった。

 何を考え、何を考えていないのか。本当にそう思っていっているのか。この見目麗しい、まるで物語の中から抜け出てきたようなルティカルの叔父は――全ての言葉に温度がない。感情も感じられない。冗句を口にすることはあっても、それすら義務的に感じる――生真面目なルティカルにとってはそれは、あまり気にすることもなかったのだが、それでもたまに息が詰まる。


「槍は降りませんよ、叔父上」

「降られても困りますしね。――それで、何を聞きにきたのですか、君は」


 医学書に落としていた視線を持ち上げて、ソルセリルはルティカルの青い瞳を見つめる。真珠色の眼を持った医師は、珍しくものを聞きにきたという甥に興味を示したらしい。


「まさか、医療について聞きに来たわけでもないでしょう、蒼玉卿(そうぎょくきょう)

「ええ。……自慢にはなりませんが、俺は馬鹿ですから」

「そうですね」


 否定しなかった叔父のことを、ルティカルは恨めしいと思うこともない。自分に医療のあれこれが理解できるとはとうてい思えなかったし――“馬鹿”というのは単純な知能の差のいうことでもなかったから。


「聞きにきたのは――俺の“妹”について、です」

「……君、どこでそれを知ったんです?」

 

 つ、と視線をルティカルの眉間のあたりに定め、ソルセリルは半眼で射抜くようにルティカルのそこを見つめる。ルティカルの息が詰まったのは、身じろぎしたら殺されそうだと思ってしまったからだ。

 一瞬にして変わってしまった空気。口にすべきではなかったのかもしれないという後悔。いつになく威圧的な叔父にたじろぎながら、それでもルティカルは口にした。


 風もないのに、窓辺にかかった白いレースのカーテンが揺れている。

 暖かいはずの室内は、だんだんと温度をなくしていくようで。

 口を開くな、そのまま帰れ、と。

 そう言われているような雰囲気を感じ取りながら、ルティカルは退けなかった。


「思い出したんです。俺に妹がいたことを。……紫色の瞳の。白髪の……名前は――」

「忘れなさい、ルティカル」


 ぴしゃりと言い放たれたそれに、ルティカルは一瞬口ごもり。


「名前は。……名前は、イルツェニカ」

「君は……」


 最後までその名を口にした甥に、叔父の男は呆れたようなため息をつく。頑固なところは母親譲りなのですね、と読んでいた医学書をとじ、すらりと長い足を組み替えた。


 祈るような、(こいねが)うような視線を向けたままの甥に「僕は彼女を救えなかったのですよ」とソルセリルは天井を見上げる。


「君の母君と僕が異父とはいえ、姉弟の関係にあったことは知っているでしょう」

「はい」

「君の母君に、ずっと昔に誓わされたことがあるのですよ。“私の子供たちを護って”――と。ですが、僕は君の妹君を護ることは出来ませんでした。……あの子が、今生きているか死んでいるか……それすらわからないのですよ」


 叔父の告白にルティカルは押し黙る。

 自分に妹がいることを知っていて何故、叔父が何も言わなかったのか。知った今もそれを話そうとしないのか。理不尽だと思った。


「ルティカル、僕はあの姉の言葉通り、君を……残った君だけでも、護らねばなりません」

「叔父上」

「ですから、聞かないで貰えますか」

「叔父上ッ」


 自分でも珍しいほどに大きな声が出たことにルティカルは一瞬呆然とした。どくどくと高鳴る鼓動は、耳の奥でも暴れ回っている。全身の血がざわめいているのと、指の先がひどく熱いのと。ひりつくような喉が、上手く空気を吸い込んでくれない。


「叔父上……ソルセリル・システリア殿。本当に俺のことを思ってくれているのなら、貴方が保持する妹の情報全てを、教えてほしい」

「聞き分けのない子ですね、ルティカル。僕は……妹の話を君に全てしたとき、君がどうなるのか僕にはわかりません。正確に予想することは僕には出来ない。未来など見えはしませんからね。君の心を傷つける結果となるのなら、僕はそれを君に話したくないのです。僕は、君の母のサーリャに“子供を護ってほしい”と頼まれたのですから」


 淡々とした口調ながら、そこに疲れの色が滲んだように感じたのはルティカルの気のせいではないだろう。疲れさせてしまったことは申し訳ないと思いつつも、ルティカルも引くことは出来なかった。


「それでも良いんです。知らずに後悔するより、知って後悔することを俺は選びます。妹が例えもうこの世にいなかったとしても、俺は……忘れてしまっていた彼女のことを、思い出したい!」

「……そこまでして望むのなら、話しましょう」


 好きなだけ後悔しなさいと言い置いて、ソルセリルは足を組み直した。一口だけ紅茶を飲むと、白い天井を見上げる。

 一瞬だけ見えてしまった表情に、ルティカルは息を詰まらせてしまった。一番後悔しているのも、後悔するのも、自分ではないことを悟ってしまったから。


「二度は話しませんからね」


 真珠色の瞳は、決して泣いてなどいなかった。ただ、その整った顔に刻まれるのは、ルティカルには見せたことのない、白玉卿でない「ソルセリル・システリア」の苦悩だった。



***



 ルティカルが産まれて八年後の冬の日、当時のメイラー家の当主の元に、ひとりの娘が生まれた。

 娘は母親そっくりの可愛らしい顔立ちで、雪の女神が祝福を与えたかのように、美しく白い肌を持っていた。


 娘を母の胎から取り上げたのは、銀髪の美しい青年医師だった。本来なら彼がお産を手伝うことはなかったのだが、身ごもった女の弟であるからと、彼が望んだ結果だった。


 母子ともに健康上の問題もなく出産は終わり、関わったすべての人間が、新しい命に祝福を贈った。きっと母譲りの美貌を持った、父のように賢い子になるだろうと。


 その時は、みな“彼女”を祝福していたのだ。


 彼女の瞳が、開かれてしまうまでは。




「母子ともに健康上の問題はありませんでした。ただ……君の妹として産まれた“イルツェニカ”に、僕はどうしても気になる点を見いだしてしまったのですよ、ルティカル」

「気になる点……ですか?」

「ええ。僕は……彼女の肌の白さが気掛かりでした。君が知っているかどうかは知りませんが、人にはある程度、肌の色を濃くする要素が含まれています。微量ではありますが、日の光には人体にとって有害な要素が存在します。ヒトは、肌の色を濃くすることでその要素が人体に及ぼす影響を弱めているのです」


 医学に関して全くの無知である甥に、分かりやすいようにと言葉を選んだソルセリルだったが、甥であるルティカルはきちんと理解したか怪しかった。


「……この話は特段に重要というわけではありませんから、すこし省きましょう。問題は……君の妹君に、【色を濃くする要素】がほとんど無かった、というところです」


 ルティカルは黙って聞いている。

 ソルセリルも静かに、ただ淡々と話し続けた。


「先程僕は、【肌の色を濃くする】と言いましたね。この要素は……肌の色だけでなく、瞳の色を決定するのにも重要な因子なのですよ」

「つまり……」

「君の妹は、持って産まれた“要素”が少なかったがゆえに、青い瞳を持たなかったのです、ルティカル。彼女はなかなか瞳を開けようとはしませんでした。まるで、日の光を嫌うように。……幼子でも、自分にとって何が有害かは本能的に悟れるのでしょうね。彼女の瞳は、春に咲く菫のような……紫色でした」

「紫色……」


 知っている、とルティカルは拳を握る。美しい菫色は思い出せていた。彼女の顔は思い出せなくとも、あの瞳の美しさだけは。


 さらに厄介なことに、と銀髪の医師は自らの甥に平淡な視線を浴びせる。視線のかち合う真珠色と深海のような青には、ただひとりの少女に寄せる感情しか含まれていなかった。


 一人は後悔を。

 もう一人は贖罪を。


「この国の貴族は……紫の瞳の娘を嫌がります。それが銀髪……或いは白髪なら、尚更のことです。君も【死の娘】の話を聞いたことがあるでしょう。紫色の瞳を持った娘が、この国を滅ぼしかけたことを。あの場で死んだ議会の人間は、多くが貴族出身であることも」

「ええ。……叔父上は」

「信じておりませんよ、【死の娘】など。あれは史実であり事実ですが、半ばおとぎ話です。瞳が紫であろうとなかろうと、成しえた行為です。そこに必然性も正当性も存在はしません。たまたま起こったことであり、たまたま紫色の瞳を持っていただけの話です」

「師弟揃って同じ事を言うんですね」

「リピチアにも聞いたんですか?」


 珍しく嫌そうな顔を全面に押し出したソルセリルに、地雷を踏んだかとルティカルは背筋を伸ばしたが、「あの子はこういうところではまともなんですよね」と納得いかなさそうなソルセリルの呟きがこぼされただけだった。


「とにかく……僕はそれを君の両親に伝えました。日に強くはない体質だと、ね」

「瞳が紫であったということは……」

「サーリャもランテリウスも、全く気にしていませんでしたよ。君の母のサーリャは“菫色だなんて、春の訪れを告げるようで素敵!”とめでたがっていましたし、君の父のランテリウスは“青も紫も大差無いよ”と。実際そうだと僕も思いました」


 ですが、とソルセリルは言葉を切った。


「君たちの親族……【メイラー家】の皆は、そうは思わなかったようですよ」



 

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