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「あー、やっぱり死んでるんスね、ジェラルド・ウォルターは」

「ええ。……最後に目撃されたのは十七年前。一人の女性を手に掛けた後、どこかにいってしまったと……それから、誰一人としてその姿を見ておりませんから」

「死んでるっスわな、そりゃ」


 焼き魚をもぐもぐと頬張りながらの返答に、ニルチェニアはあまり良い顔をしなかった。行儀が悪いったらない。前回はそんなことはなかったのに、今回彼はどうやら急いでいるらしかった。落ち着いて食事をしているようにはとても見えない。


 ユーレから耳にした情報によれば、彼はとある名家の血筋に生まれているはずだという話だが――見た目からして、品があるとは言いにくかった。耳だけでもぞっとするほどピアスまみれなのに、口にもピアスをつけている。食べにくくないのかしらとニルチェニアは真剣に考えた。


「んん、そうなると面倒だなあ――」

「……ひとつ、聞いてもよろしいかしら……いえ、お話しになりたくないなら答えなくても構いませんわ。何故、その人の調査をしているのです?」


 調査の結果をミズチに求められるにあたり――ニルチェニアは真実と嘘を交えながら、ミズチに一つの作り話をした。嘘とは勿論、ジェラルド・ウォルターが死んでいるということ。


 他はほとんど真実を話したから、ミズチがニルチェニアの言葉を信じてくれさえすれば、ここでこの話は終わりだ。ただ、何故今更“ジェラルド・ウォルター”を探しにきたのか。それが気になって仕方がなかったのだ。彼は多くの犯罪に手を染めていたけれど、その罪で検挙したいだとか、そういう話ならもっと前に動いても良さそうなものなのに。


「ん、まあちょっとした野暮用で。あ、探偵さん、魚食べます?」

「結構です」


 いくつも並べられていた焼き魚の皿のうちから、まだ手を着けていないものを差し出されたが――ニルチェニアは魚が嫌いだ。いらないと断れば「おいしいんだけどなー」と残念そうな顔をされる。


「別に、軍関係じゃないんスわ。どっちかっていうと、俺のプライベートな事情(・・)がありまして。その人、貴族のお坊ちゃんだったっしょ?」

「ええ」


 その調べなら、十数年前についている。ニルチェニアが“ニルチェニア”となる前に調べたことだから。

 ジェラルドのいた“ウォルター家”は有名な家で、とくに学者を多く輩出していた。この国(フロリア)の歴史書を記していたのも何世代も前のウォルター家の人間だったはずだし、ニルチェニアもその人間の書いた歴史書を何度か読んでいる。道理であのちゃらんぽらんな養父が意外にも本好きなわけだ、と幼い頃のニルチェニアは納得したものである。


「俺、その家と付き合いがありまして。……んで、ちょっと調査を頼まれてんスよ。その家の人が言うには、ジェラルドさんはある日突然家を出ていったわけ。でも、まあ次男坊だし貴族の子だし、とあんまり家の方も気にしてなかったんスわ。腹が減ったら帰ってくるだろう、それくらいにしか思ってなかった。空腹にヘタレたら帰ってくるかなー、くらいの放任主義」

「……そんなものなのでしょうか」

「さあ? 生憎俺はウォルター家の人間じゃないんで。知ってます? あそこの家学者肌の人間ばっかスからね、変な人多いんスわ。俺の上司にもひとりウォルター家のひとがいるんですけど、まあ常識が通じねえのなんのって――で、結局ジェラルド(そいつ)は帰ってこなかったから――諦めたんス。特に人手を割いて探すこともしなかったみたいなんで、当時のことは俺より探偵さんの方がよくわかってるっしょ? 俺もびっくりするほど調べてあったし。――まるで本人に聞いたみたいでさ」


 にこにこと笑いながらミズチは魚を食べていく。

 ニルチェニアの嫌いなものを美味しそうに食べている男は気味が悪かったし、焼けた魚のうつろな瞳は、白く濁り固まって――吐き気がしそうだった。魚の肉が焦げた臭いと、それをうまそうに口に運ぶ男。箸の先で千切られていく魚の身が、不気味で。


 ――気持ち悪い。


 ぐらりと揺れるような視界は、まるで自分のものではないみたいだ。ニルチェニアは一瞬だけ眉間にしわを寄せる。目眩だった。


「引っかかる物言いですね」

「――あ、たまにやっちゃうんスよね。気を害してたらスミマセン。悪気はねーんだけど。……と、本来なら言うところなんだけどさ。今回はそうもいかねーの。……儚そうな探偵のお嬢さんが薄ッ暗い男の溝臭い半生を知ることが出来た情報源、吐く気はある?」


 すみません、と口では言うくせに――ミズチの顔には謝罪の気持ちなんてひとかけらもない。後に続いた言葉に聞きたかったのはそちらだったのか、と探偵の女は納得しながら、平然とコーヒーを口にした。指を指す代わりに突きつけられた箸に「人に向けるなんて失礼ね」と目を細めれば、また「スイマセン」と気持ちのこもらない応え。目も笑っていないことに探偵の女は呆れたように口を開く。こうなれば、依頼主も何もないだろう。


「あら、それも“悪気はない”のかしら?」

「ん? これはちょっとしたイジワル。――可愛い女の子って苛めたくなるっしょ。んで、実際どう? 吐く?」

「いいえ。――信用に関わる問題ですから」

「――だよね。探偵さんならそういうと思った。……で、さっき言ってたそのジェラルドのことなんだけど――」


 何故今更ジェラルドを探しているのかと言えば、目的の一つにはジェラルドの生死を知ることがあるのだという。が、こちらはいわば“ついで”といった感じで、はなからジェラルドがまだ生きているとは――誰も思っていないそうだ。


「ま、家出てって十数年も音沙汰ナシってんなら――誰も生きているとは思わないよな。知りたいのはそっちじゃなくて、やっぱり“情報源”の方なんだよ、お嬢さん。素知らぬ顔してねーで、いい加減吐いてくんねーかな。……じゃねーと、手荒い応対をしたくなるかも。“大食らいの狼(レグルス)”だろ、お嬢さんの情報元は」

「あら――うふふ、しつこくて怖い軍人さんね。もしかして……私と“レグルス・イリチオーネ”の関係を疑っていらっしゃるの?」


 くすくすと少女のように笑う探偵からは、老獪さと奇妙な妖艶さ、それから狡猾な雰囲気がにじみ出ている。どれもこの年頃の女の持つものではないし、酷く(いびつ)で、とても一般人であるこの“探偵(・・)”の娘が持つようなものではない――とミズチは金の瞳を細めた。仕込んだのはやはり、レグルス・イリチオーネか、と。


 ミズチは何度か“仕事上(・・・)”レグルスの息のかかった女と顔を付き合わせたことがあるけれど――どの女もみな、奇妙に美しい妖艶さを持っていたように思える。タガが外れた美しさ、とでもいうのか。およそ人のモノとは思えない、不気味な美しさだ。


 あの奇妙な男なら、少女を一晩のうちに場慣れした商売女にすることも可能だったろうし、狡猾さの塊である毒蛇の如き女でも――やはり、一晩でその牙をすべて抜いて手懐けてしまえそうだ。そういう男なのだ、レグルス・イリチオーネとは。ありとあらゆる不都合を産み出し、纏め上げて野放しにする男。

 だから軍が手を焼いている。どんな小さな手がかりでも、掴まねばと躍起になってしまう。


 放っておけばいずれ、この世のすべてを平らげる狼になりかねない。レグルスとはそういう男だった。

 蛇のように二股に分かれた舌で、ミズチはちろりと唇をなめる。


「やァっぱりそいつ、出てくるよな。でなきゃ“ジェラルド・ウォルター”なんてそうそう口には出来ねェもん。知ってる? “レグルス”と最後に大きな仕事したのが“ジェラルド”なんだけど」

「それに関しては存じ上げませんね。――すべて(依頼)はブラフだったのかしら?」

「そ。騙しちゃってゴメンね、探偵さん? 俺たちも早いとこあのマフィアの尻尾掴んで根絶させないと――だから、情報が欲しいんだよ。あの男(レグルス)の情報がさ。……探偵さんはなかなかアイツと仲が良いんじゃない? これは俺の勘だけど」

「どうかしら……ただ、そうね、友人くらいの気軽さはあるかも。でも、友人とは言えないほど、お互いに嫌悪感を抱いているかしらね」

「また微妙な仲だね、愛人か何かかと思ってたよ」

「ご冗談を」


 にこり、と。

 彼女が鷹揚に笑んでみせれば、ミズチはニルチェニアの座っていた椅子を引き、「来てくれるっスよね?」と金色の瞳をきらめかせた。対する彼女は柔らかく笑って、ライラックの瞳を機嫌のよい猫のように細める。


「ええもちろん。――ずっとこの日を待っていたわ」


 は? と一瞬面食らった様子のミズチに軽やかに笑って、探偵の女は「面白い顔を見せていただきました」と口先だけで愉快さを告げる。ちょっとした仕返しをされたのだとミズチが気づいたときには、彼女はいつもどおりの柔らかい(・・・・)無表情に戻っていた。緩く細められていたライラックの瞳は、まるで挑むようにミズチの金色の瞳を見つめている。紫の瞳に映った自分の顔を見て――ミズチは自分が何かに怯えたような、驚いているような、そんな顔をしているのに気づいた。真夜中、一人で灯りも持たずに森の中を行くような、そんな顔をしている。


 ――なんだ、この妙な気持ちは。


 目の前にいるのは自分より遙か年下の娘のはずだ。なのに、どこか不気味で仕方がなかった。儚そうな娘だというのに、ミズチが腕をひねりあげたらすぐにおれてしまいそうな、普通の娘だというのに。どうしてこんなにも、人を不安にさせる?


 ――“いつから?”


 ――来てくれるかと問いかけたときから。


 ――“何だ?” 


 ――“待っていた”とはどういう意味だ?


 考えれば考えるほど、ニルチェニアに対する不気味さは増していく。ただ一つはっきりしたことがあるとするのなら、ニルチェニアがレグルスの愛人などではない、ということだろうか。

 ニルチェニアが“嫌悪感を抱いている”と言ったのは嘘じゃないだろう。――だが、それはきっと“お互いに”という話ではないはずだ。ニルチェニアの纏い始めた空気がそれを物語っている。


 ――嫌悪感じゃ、ない。


 ニルチェニアがレグルスに抱いているのは嫌悪感かもしれないが――レグルスの尻尾を長年追い続けたミズチには何となくわかった。レグルスはニルチェニアに嫌悪感など抱いてはいない。代わりに抱いているのは――きっと。


 ――恐怖だ。


 誰よりも訳の分からぬ性格をしているくせに、誰よりも訳の分からないものを忌避するのがレグルス・イリチオーネという男で。

 軍人に連行されるというのに、どこか楽しげなこの娘は――ミズチが見てきた誰よりも、訳の分からぬ美しさに満ちていた。よくできた陶器の人形が、目の前で歌って踊り出すような――そんな訳の分からぬうつくしさ。


「あら、まだ行かないんですか? 帰っても良いというのでしたら、今すぐ帰るところですけれど」

「――アンタ、何なんスか」


 あら、と美しくわらった探偵の女は、「そういえば私の本名を教えていませんでしたね」とゆったりと口元を引き上げた。艶々とした唇は吸い付きたくなるほど魅力的なのに――何故か、毒を塗ったような危険に満ちている。


「リラ、ですよ」



 ――美しいパンドラの匣が開かれてしまったことを、今は誰も知らない。

 一粒の希望すらない、禍々しくも美しい匣の中身が――復讐であることも。




 

 






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