一家に一台
「佳子、起きて。今日はフレンチトーストだよ」
私の毎朝は、友人の揺さぶりから始まる。
「ん……あと…数分…」
「数分ってなに!」
「待ってぇ、布団が呼んでるー」
「大丈夫、呼んでない。それよりフレンチトーストいらないの?出来立てが一番美味しいのになぁ」
「…いりゅ!!」
いまやお決まりとなったやりとりのあと、美味しくて健康的な朝食を目指してふらふらと部屋を出る。顔を洗って、すっきりした気分でテーブルにつけば、すぐさま甘く香ばしい匂いを放つフレンチトーストが運ばれてきた。隣には私好みの少し苦めなブラックコーヒー。にんまりする顔を抑えることなくその一切れを口に運べば、ほどよい糖分が染み渡るように広がって、中途半端だった身体がしっかり目覚める。
「おはよう佳子」
「ん、おはよ」
雅也はいつも、私が朝食を摂りながら徐々に覚醒していく様をじっと見つめ、受け答えが出来るようになる的確なタイミングで朝の挨拶をする。この男、出来るな。と思ったのは最初だけで、毎日繰り返されるやりとりにすっかり慣れて当たり前となってしまった。
雅也は先に朝食を済ませているので、自分用のコーヒーを自分用のマグカップに入れて時折飲みながらひたすらに私を見ている。
「佳子、クリームが口についてるよ」
「ん」
雅也の指摘に、拭ってもらうべく口をつき出す。ふきんを使えばいいのに、雅也はいつも指で拭う。その指をそのまま自分の口に運んでペロリと舐める。甘い、と当たり前のことを呟いて嬉しそうに笑う。
雅也はいわゆる幼馴染みだ。実家は隣同士で、当たり前のように一緒に育った。私たちに性別の違いなんて関係ない。兄弟のように、喧嘩をしながらも仲良くやってきた。大学入学を機に一人暮らしを始めた私と時期を同じくして雅也も一人暮らしを始めた。同じ大学に進んだので一人暮らしをしても結局雅也がご近所さんなことに変わりない。というか同じマンションの隣の部屋に住んでいるからお隣さんということまで未だに変わらない。主に家事方面で一人暮らしに若干というかかなりの不安があった私を、雅也は幼馴染みというだけで必死に面倒を見てくれている。
表面上は必死になんて見えないけど、この私の面倒を見るなんてかなり必死にならないと無理だろう。毎朝、母に怒鳴られ、ときには蹴飛ばされるくらい寝起きの悪い私。朝食すら満足に作れず、お弁当、或いは晩御飯なんてもっての他というほど料理の出来ない私。お風呂上がりに髪を乾かさずに寝たせいで風邪を引き、それ以降テレビを見て笑いながら雅也にドライヤーで髪を乾かしてもらっている私。ゴミの日を完璧に把握している雅也に頼りきって、ゴミ捨てどころか分別すらしない私。
考えるほどに、雅也に頼りきりな現状が浮き彫りになって落ち込む。実家の母がこれを知ったら一人暮らしなんてとてもじゃないが続けられないだろう。でも大学があるから強制送還は免れるとして、思い付くのは…こっちに住む叔父さん?いやいやいや!無理無理あの人かなりの潔癖だもん。
大きなため息を付いて、私の使った食器を丁寧に洗う雅也の後ろ姿を見つめる。雅也に彼女が出来たら私はどうなるんだろう。私の知る限り、今まで彼女がいたことはないみたいだけど、大学生にもなれば、優しくてかっこよくて気が利いて料理も上手い完璧な雅也のお眼鏡にかなう人も出てくるだろう。そういえば、仲が良いわけじゃないけど、ミスキャンパス候補と言われるめっちゃ可愛い女の子が雅也に気があるらしい。とにかく可愛くて人付き合いもよくて実家もお金持ち。社長令嬢らしいから雅也ってば未来の社長!?すごいじゃん!
「佳子?そんなに見つめて、どうしたの?」
「よっ!次期社長!」
「は?なに突然。熱でもあるの?今日は休む?」
なにを思ったか、体温計を取りに行こうとする雅也を慌ててひき止める。ちなみに体温計は、私が実家から持った来たわけでも買ったわけでもない。以前私が風邪を引いたときに雅也がダッシュで買いにいったものだ。ういやつめ。
「熱なんてないよ。大学は行きたくないけど」
「じゃあ次期社長ってなんのこと?」
「ミスキャンパス候補の可愛い子が雅也のこと好きらしいから、社長令嬢のあの子と雅也が結婚したら雅也は未来の社長じゃん!」
「結婚?ものすごい飛躍だね」
「ん?ありがと」
「誉めてないよ」
打てば響くようないつものやり取りのあと、雅也は考え込むように少し首を傾げた。絵になるなぁ。眼福眼福。
「俺の好きな人はそのミスキャンパス候補じゃないし、将来は自分で会社を興すつもりだからその未来はあり得ないね」
「まじかー。ってか雅也、好きな人いたんだ?」
「うん。ずっと好き。でも長期戦覚悟だからしばらく彼女ができる予定はないね」
「そっかー。安心したよ。や、雅也はツラいかもしれないけどね、私は雅也がいないと生きていけないからさぁ」
「そうなるようにしてるからね」
「ん?なにか言った?」
「いや、なんでもないよ」
「はぁ、ホント雅也は完璧だなぁ。一家に一台って感じ」
「なにそれ。じゃあ結婚しちゃう?お買い得ですよ」
「あはは!ん~じゃあ考えとく。あ、そろそろ行かないと」
雅也と結婚かぁ、それってとっても素敵な考えだわ。でも雅也かぁ。雅也ねぇ。
・・・ないな。
なんて思ってた私は、結局数年後、恐ろしく計画的な雅也にうまく丸め込まれ彼女となり、速攻孕ませられて結婚することをまだ知らない。
誤字等ご容赦ください。