私、その顔を初めて見ました 前編
ステージを降りると、途端に身体が震えだした。なんだか顔も真っ赤だし、まるで知恵熱を出した赤ん坊のようで、私はフラフラとステージの裏手へと歩いていった。
やり切った。そう思うと、なんだか顔がにやけてしまう。
ステージの裏手からは、直接客席へと移ることも出来たけれど、とりあえず私は疲れ果てていて、会場のすぐ横にある休憩室で横になった。と、休憩室に誰かが入ってくる。
「やあやあミコちゃん!よくやったじゃあないか!」
「大丈夫ですか?ミコト様?」
ゾーイさんとマリーベルさんは、それぞれこの人達らしい声の掛け方をしてくる。というかゾーイさん!私の発表に間に合ってなかった気がするんですけど。
「え?いやいや!ちゃんと最初から聞いてたって!いやー、まぁあんなトラブルがあるなんてなー」
心を読んでるだけじゃないですか!
「ギクッ!ま、まぁほら、結局上手く行ったんだから、結果オーライということで………」
「ゾーイ様。今の話、どういうことでしょうか」
「え?マリーベル?」
マリーベルさんから、謎の圧力が発せられている。いや、これは殺気だ。いつもは優しいマリーベルさんから、凄まじい殺気が放たれて………心なしか、休憩室全体が震えているような気がする。
「私てっきり、後ろの方で一人見ていると思っていたのですけど、まさか発表に間に合わなかったのですか?」
「え、いや、は、半分はちゃんと見てたぞ!」
確かに大体半分位だった気がする。
「半分?ゾーイ様、貴女様は自分の助手に無茶苦茶な試練を与えておきながら、御自分は遅刻されたというのですか?ミコト様がどれだけ不安を感じてらっしゃったか、分かっていらっしゃるのですか?」
「ま、待つんだ!これには色々とワケが「言い訳はよろしい!」は、はい………!」
マリーベルさんの凄みに、いつもはマイウェイを突き進むゾーイさんもたじたじである。このままだと、ゾーイさんが八つ裂きにされかねない、というのはないにしても、きっと恐ろしいお仕置きが待っているんだろうなぁ。そう思うと、少し可哀想だった。
「あ、あの、マリーベルさん、それくらいで大丈夫です。正直、最初から一緒にいて欲しかったですけど、ゾーイさんのお陰でここまてま来れたわけですし。私、感謝しているんです」
「ああ!ミコト様………!」
「え!?あの………」
マリーベルさんが私をいきなり抱きしめた。力いっぱい。
「よく頑張りましたね」
そう、マリーベルさんが耳元で囁く。私は、それまで我慢していたモノが溢れ出して、ついに泣いてしまった。「やっぱり、私は泣き虫だなぁ」なんて、そう思ったのだった。
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ひとしきり泣き終わると、学会発表の前半が終わり、ちょうど休み時間になったところだった。すっかりお腹が減っていたこともあって、私たちはご飯を食べに出ることにした。
そうだ、ベアとラクシュミも誘おう!と、私はまだ会場内にいるであろう二人に声をかけに行った。けれども、どうやら二人は先に会場を後にしていたようで、結局、ゾーイさんとマリーベルさんとの三人でお昼へと向かった。
会場の周りにはランチを食べるところが沢山あって、というか、まだお祭りの真っ最中と言うこともあり、食べるところには困りそうにない。と、私達はとある路地の前を通った。あの、お婆さんが私を連れて入った路地だ。やっぱりそこにはなにもなくて、あの出来事が夢だったのかとも思わせる。ゾーイさんなら何か知っているかな?
「あの、ゾーイさん?」
「わ、私はなにも知らんぞ!」
明らかに何かを知っている風だったけれど、なんだかその下手な隠し方に、追及する気概をそがれてしまった。あのお婆さん、ゾーイさんの知り合いなのかな?
「と、とりあえずだ!実はこの先に私行きつけの美味いチキンのお店があるんだが、どうだ!」
「あら、またあのお店ですか?ゾーイ様も好きですね」
「いいんだよ!美味いんだから!」
とりあえず私はこのあたりのお店など知らないので、ゾーイさんの提案に乗っかることにした。
「ほら、ここだ!」
着いたお店はチキンの専門店で、それこそフライドチキンから七面鳥までなんでも揃っているようだった。
「ここはスモークチキンが美味いんだよ」
「笹身のスープなんかもヘルシーでいいですよ?」
「えーと、私は久しぶりに焼き鳥にします!」
などと、思い思いに注文していく。
確かにおいしい!もちろん発表後でお腹が減っていたのもあるけれど、身体に元気を与えてくれる味だった。ゾーイさんがイキツケと言うだけのことはある。
「おや、これはゾーイ先生!またお越しくださったのですか」
と、声をかけてきたのは店長らしき人だ。
「いやー、やっぱりこの店が一番だよ!」
「ありがとうございます!でも、昨日の今日でいらっしゃるのはゾーイ先生くらいなモノですよ!」
………昨日も来たのね。
放っておくと、毎日通ってそうだ。
そんな風に私たちはゆっくりとお昼を楽しんだ。もう自分の発表はないため、特に午後の発表をみる必要もない。そうすると、昨日まで出来なかった観光なんかをゆっくりするのも手だな、などと三人で話し合っていた。
その時だった。ドンッ!!という地響きが鳴って、店が揺れた。「なんだ!?」と、ゾーイさんとマリーベルさんが鋭く反応して、店の外へ様子を見に行く。宮殿の方角から、黒い煙が立ち上っているのが見え、周囲の人々が悲鳴を上げていた。
「この気配………マリーベル!」
「はい、このどす黒い空気、少なくとも貴族級の………」
「あ、あの、どうしたんですか?」
私には状況がよくわからない。これ………テロ?宮殿が襲われたの?
「ミコト、お前は隠れてろ!」
ゾーイさんはそう私に告げると、マリーベルさんと共に宮殿へと向かった。二人の様子は尋常じゃない………と、とりあえず私はどうしようか?
そんなことを考えていると、再び地響きと共に煙が上がった。もしかすると、戦いが起きているのかもしれない。そう思うと、なんだかとても怖くなった。周囲の人たちも皆パニックになっているようで………あれ?子供の泣き声?
私は路地の端で一人泣いている少女を見つけた。「お母さん!」と大声で泣いている。この騒ぎでお母さんとはぐれたのかもしれない。そう思うと、いてもたってもいられなかった。
「大丈夫?」
私は心配になって声をかける。けれど、それが間違いだった。
「へぇ、随分とチョロいもんだね?」
と、少女の声を聞いた途端、身体から………力が抜けて?
私の目の前は真っ暗になった。
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うっ………あれ?
頭が痛い。まるで、なにか鈍器のようなもので殴られたかのようだ。ついでにいうと、お腹の底からなにかが飛び出てきそうなほど気持ちが悪い。
ここは、どこ?
私はは周りを見回す。そこには何人かの魔法使いが倒れている。いや、この人達は確か、私と一緒に学会発表をしていた魔法幇助師候補の………?どうやら皆寝ているようだけれど。
どうやらそこはどこかの倉庫かなにかのようだ。入り口には鉄の扉がしてあって、窓もない。ただ、小さな灯りがついているだけ。そして、私以外には起きている人はいないようだった。もっとも、私も身体を動かすことが出来なかったのだけれど。
魔法で眠らされていたのかな。
そんなことを思っていると、外から話し声が聞こえてきた。
「そうだ姉さん!いつも余裕綽々なだけに、嵌められたらとわかったときのあの年増ロリの顔ったらなかったぜ!」
「ふふふ、首尾は上々!私の方も、さして苦労はしなかったよ。こいつらは魔法使いとしてまだまだ未熟だからな」
一人は………あの時の少女の声だ。いや、あの時より少し大人びているけれど、どことなくそんな気がした。
やっぱり私は捕まったようだ。どうしよう、とりあえずゾーイさん達はどうなったのか………私、これからどうなるんだろう?
身体が動かないのもあって、どんどん不安になっていく。テロリストに捕まったとなれば、人質とか、なにかの実験とかに使われるのだろうか。ああ、せっかく発表が上手くいったのに、なんて、そんなことばかりを考えていた。
それから暫くの間、私はその暗い倉庫の中で横になっていた。段々と頭の痛みも治まり、少しだけ歩けるようにはなった。声も出せそうだ。
「さて、そろそろ連れ出すか」
そう聞こえると、鉄の扉が開いた。二メートルは超えるであろう大男が入ってくる。
眩しい………とりあえず気絶しているふりをしよう。
「おいカストル、慎重にやれよ?逃げられたらヤバいんだから」
「分かってますよ!姉さんは心配症だなぁ!」
カストル、と呼ばれた男が手に持った指揮棒のようなモノを振るった。すると、倒れている魔法使い達が一斉に起き上がる。私も、それに合わせて立ち上がった。
「ほら!皆寝てるでしょ!」
「わかったわかった!しっかりやれよ!」
カストルは私達を引き連れて倉庫を出る。と、そこはどうやら町外れの牧場だったらしく、辺りには草原が広がっている。
逃げ出すことが出来るだろうか?
いや、多分それは難しい………さっきはアルテイシア様を騙したと言っていたし、下手をすると殺されかねない。そうすると、なにか目印のようなモノを………。
そんな私の考えも、次の瞬間には打ち砕かれることになる。
カストルが小さな袋の中から、一羽の鶏を取り出したのだ。
「Eloim, Essaim, frugativi et appellavi!」
カストルがそう叫ぶと途端に、鶏を中心とした魔法陣が展開されて、空へと消える。同時に、空から化け物が溢れ出した。大きな翼を持つ、巨大な牡牛だ。
「どうだい姉さん!ハーゲンティの正式魔法陣だぜ!?」
「カストル、お前はいちいち自分の手柄を確認しないと気が済まないのか?何事も結果が大事だと言ってるだろ?家に帰るまでが仕事なんだよ!」
「す、すまねぇ姉さん………」
………なんだかこの二人を見ていると、妙に微笑ましい気がしてならないけれど、状況は最悪だ。このまま空を飛ばれてしまえば、目印を残すことも出来ない。
もし行動を起こすなら、今しかない!
私は腰にかかった杖を引き抜いて、空へと振るった。空中に大きく文字を浮かべた。
『ここにテロリストがいます!』
という具合に。今出来ることはこれくらいしかない。けれど、誰か気付いてくれれば………!
「お、おい姉さん」
「あん?無駄口叩いてないでさっさとこいつらを乗せろって!」
「あ、いや、違うんだ姉さん!あれ!」
「だからなんだ………おい!お前なにしてる!」
見つかった!けれど、今は少しでも目立たないと!
「だ、誰か!テロリストはここです!」
その一言に、若干面を食らっていた二人が動き出した。
「ば、馬鹿!さっさと止めろカストル!」
「は、はい姉さん!」
カストルが私を捕まえに襲いかかってくる。私は「変態!」とか、「けだもの!」なんて叫びながら逃げ回った。なんだか若干尻込みしているようだ。
「カストル!はやくしねーか!」
「だって姉さん!こいつ俺を変態呼ばわりして!」
「ええい!もういい!『我が唱えに鳴動せよ!』」
姉の方が私に向かって杖を振るう。途端に私の身体を衝撃が貫いた。痛いというよりは、震える。という感じだ。身体の自由が………きかない。
「う…」
私の口からは、小さな呻き声しか出てこなかった。
「手間とらせやがって!」
「ご、ごめん姉さん」
「謝る前に成果を出せ!」
カストルが私の身体を捕まえて、化け物の上へと運んでいく。最早、私の眼には担がれた肩口から見える地面しか映っていない。
………ダメだった。
そう思ったとき、私の身体が地面に放たれた。いや、カストルが私を放り出して、なにかに身構えたのだ。私の目には、なにかの雨のようなモノが映った。
「カストル!」
「うおおおお!?」
カストルが地面をひっくり返した。それに巻き込まれて私はまた地面へ放り出される。カストルの手にある地面は、空から降ってきた雨を防いだ。いや、それは小さな剣だ。短剣が無数に降ってきたのだ。
「あぶねえじゃねえか!人質に当たったらどうするつもりだ!?」
「あらあら、ご安心を。今のは見た目ばかりの牽制ですわ」
どこかで聞いた声だ。私は痺れる身体を引きずりながら、声の主を見る。そこには、白馬に乗った女騎士が見えた。ああ、確か会場入りするときに会った…。
「カストルとメリッサ姉弟ですわね?今回の事件の主犯として、拘束致しますわ!」
女騎士の凄みに、カストルがたじろいだ。
「ねねね、姉さん!こいつ【歴戦騎士団】だよ!」
「分かってる!狼狽えるんじゃねえよ!『我が唱えを聴け!』」
先ほど私を襲ったのとは違う、より攻撃的な魔力だ。それが女騎士の身体を貫いて、いや気がつくと彼女は馬を飛び降りて、カストルへと迫っていた。
「へ?」
と、カストルが気の抜けた声を発したときには、彼女の剣に刺し貫かれている。茨の刀身をもった、綺麗な長剣だ。
「カストル!」
「まずは一人、ですわね?」
カストルは小さく「姉さん」とつぶやいて地面に突っ伏した。といっても死んでいるようではなさそうで、気を失ったように見えた。
「ちっ!【眠り姫の剣】か。なるほど、つまりお前は【剣の令嬢】ってわけかい」
「あら、私のことをご存知なので?これはこれは光栄ですわ」
女騎士は剣を構えて半身になった。いつでも飛び込むことが出来る、という感じだ。けれど、メリッサにその隙はないように見えた。
「この距離なら、一撃で仕留められますわ。投降を」
「ん?仕留めるってこれでもかい?」
メリッサが急に後ろへ飛び移った。そこには、気絶した人質が倒れている。メリッサはその首を掴むと、呼び出した化け物の口元へとそれをあてがった。
というか、それ、私なんですけど!
「な、卑怯な!」
「おいおい!誘拐犯に卑怯とか言っちゃうなんて、程度か知れるぞ!おい、カストル起きろ!その女を捕まえな!」
「あ、あれ?姉さん?」
カストルがムクリと起き上がった。「馬鹿な」と女騎士が小さく呟いた。
「これで形勢逆転かな?単騎で来たのが徒になったなぁ」
女騎士は詰まされているように見えた。もし複数で来ていれば、攻撃と同時に人質を確保することも出来たはずである。きっと、私の必死な呼びかけに応えたのだろうから、僚騎を連れてくる余裕はなかったに違いない。
結局、無駄な足掻きだったのだろうか。
「くっ!メリッサ!あなたの目的はなんですの!?」
「はぁ?お前立場わかってんのか?」
メリッサが化け物の首を一度叩いた。その口が僅かに閉じる。
「お、お止めなさい!人質がいなくなれば、私を止められませんわよ!?」
「その時は別の奴を人質にするよ」
「くっ!一体何故こんなことを!」
女騎士は頑なに構えを解こうとしない。時間を稼いでいるの?でも、その、首に生暖かい空気が当たって、自分がピンチだというのがよくわかるんですけど!
「なぜなぜって、そんなん私らが知るか!私らは盗むだけ!グリモワールの盗っ人姉弟、それが私らなんだからよ!」
「じゃあ、本当に知りませんのね?」
「だから知らねぇって………おい、待て、なんかこう、あまりよくない予感がするんだが」
私には兜の下で女騎士がニヤリと笑った気がして、次の瞬間、一陣の突風がその場を貫いた。