私、神秘の王宮で泣き出します
エルダー・ホルンは天を突く大樹で、どこまで伸びているのかは計り知れない。けれど、重要なのはその中の空間がねじれていると言うことで、それこそ、横にも縦にもそして時間でさえも、普通の空間とは異なる在り方をしている。例えば、知恵の館はエルダー・ホルンの東西南北全てに入り口があるのだけれど、広さは大体なんたらドーム二個分くらいだ。樹の外周はそれを遥かに超えているから、簡単にこのエルダー・ホルンの不思議を味わうことが出来る。
そしてアルテイシア魔術教導院は、知恵の館から汽車で五時間かかる…というか、樹の中に大草原があるんですけど…。
「ミコト、鳩が豆鉄砲くらったような顔してるぞ?」
「ゾーイさん、私は世界の物理法則について考えていただけです…」
「ははは!大方、なんで樹の中に草原があるのか、なんて考えていたんだろ?」
…ていうか貴女は私の心読んでるじゃん!
「ばれたか!」
「そりゃそうですよ…」
「ほらほら、二人ともはしゃぎすぎですよ?」
マリーベルさんがやれやれという顔でこちらを見ている。私たちは今、アルテイシア教導院に向かう汽車の中にいる。汽車の中には知恵の館の魔法使い達や、エルダー・ホルンの外部に住んでいる人たちが沢山乗っている。
そういえば、私はゾーイさん達以外に、知恵の館の人たちの名前をほとんど知らないから、区別がつかないな・・・。
「あれ?なにしてるんだミコト」
…ん?今誰か私の名前を…?
「えーと、どなた…」
「どなたって、お前記憶でもなくしたのかよ」
「…ひ、ひーちゃん!?」
なにしてるって、そっちがなにしているのさ!
「お、驚きすぎだろ…俺がこっちにいることくらい知ってるはずだけど…」
「いや!知ってるけど!てか、この二ヶ月連絡もくれないし!私連絡先知らないし!それでなんでここにいるの!」
ひーちゃんが床に膝を突いた。あまりに気が動転して、右手を繰り出してしまったらしい…。
「ぐ…会っていきなりそれかよ…」
「ひーちゃんこんなところにいるのが悪いんだよ!」
「どうしてそうなる!俺は今から警備のために神秘の王宮に向かうところなんだよ!」
神秘の王宮?警備?
「おいおい、お前何もしらないのかよ…相変わらず自分の興味の対象にならないと調べもしないんだな」
「う…勉強なんて全く出来ないくせに!」
「いや、まぁ、でも常識は知ってるからな」
「ぐぬぬぬ…」
あ、ああいえばこういう…しかし言い返せない…。
「で、なにしてるんだ?」
「学会に出るんです!それで魔法幇助師の試験を受けて…」
「え?」
ひーちゃんは信じられないと、目を見開いて驚いている。ゾーイさんとマリーベルさんの方を見て、二人が頷くと、ひーちゃんが頭を抱えた。
「いやいや!流石に嘘だろ!魔法幇助師になるには、実務経験二年以上かつ魔法基礎認定を持っているか、実務経験五年以上か、または魔法研究に著しい貢献をしたものだったはずだ。それには時間も実力も全く足りてないだろ!」
え、そんなに前提条件があったの?それだと本当に私はクリアしていないんだけど?
私たちはゾーイさんに視線を移す。ゾーイさんはニヤニヤと笑っていて、「あれ?痴話喧嘩は終わりか?」と言った。こ、この人は…!
「いいかい聖君。魔法幇助師にはもうひとつ条件があるのさ。知恵の館の推薦枠というね!」
「推薦枠?」
曰く、なんでも知恵の館には毎試験ごとに二人の推薦枠があるらしい。もちろんその推薦枠に入れるは、知恵の館でも優秀な人になるはずなのだけれど…そんな枠に私をねじ込んでいるなんて、初めて知ったよ!
「あ、あの、それって、いいんですか?」
「ん?ああ、いいんだよ!どうせ今年は一つ枠が空いていたし」
「いや、そういう問題じゃなくて…なんか私、事情を知らない人から凄く嫌な奴だと思われてませんか?素人の癖に知恵の館に入ったり、いきなり推薦枠かっさらったり…」
周囲が急にシンとした。
「ほら、ミコト、そろそろ着くみたいだぞー」
「ミコトさん、大丈夫です。私は味方ですから!」
「まぁ、俺は知らんぞ」
この人たちはああああああ!
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結論から言うと、私の評判は散々であるらしかった。そもそも知恵の館に入ることから、普通は厳しい試験を受ける必要があるらしい。一歩間違えれば、私は村八分になっていたことだろう。学校ではそういう雰囲気はほとんどなかったけれど、ベアとラクシュミがフォローしてくれていたのかもしれない。
そう思うと、二人には頭が下がる思いだった。
それはそうと、私たちはアルテイシア魔法教導院、【神秘の王宮】へと到着した。
神秘の王宮と呼ばれるこの巨大な宮殿は、日夜色々な研究発表や魔術的な芸術に関する発表会がされているらしい。美しく、不思議な、まさに魔法使いのための宮殿というところだ。
宮殿ではなく王宮と呼ばれているのは、ここには王様が住んでいるからだとか。
「さて、ミコト。私たちは準備に向かおうか」
「あ、はい!じゃあ、ひーちゃん、今度からはちゃんと連絡頂戴ね!」
「わかったわかった。連絡するって」
このひーちゃんの反応、絶対連絡してこないな。
あれ?そういえば、結局警備がどうのみたいな話はちゃんと聞いてない…まぁいいか。それどころでもないし。
そんなことを考えながら、私はゾーイさんの後を追った。
私の発表は次の日に行われる予定になっている。今はいろんな会場で準備が進んでいるみたいで、夕方頃にリハーサル、夜には前夜祭的なものもあるとか。
まぁ、リハーサル前にやることは沢山あるのだけれど…。
「皆様初めまして。ミコト=マガミと申します。私が今回発表させていただきますのは、えーと、魔法陣論における簡易魔法術式の形成…えーと、形成簡略化手順の…えーと…」
「えーとが多い!もっとはきはき喋れ!」
「う…すみません…」
「ミコト様の弱点は、発表のほうにありそうですね」
いや、正直中身についても不安がいっぱいなんですけど大丈夫ですか?
二週間前、二人の説得によって奮起した私。けれど、二週間という時間はとてもではないけど足りないものだった。
私が発表することになった『魔法陣論における簡易魔法術式の形成手順簡略化』とは、つまるところ複雑な魔法陣を簡略化するための手順を簡単にする方法論、ということになる。なんだか舌を噛みそうになる話だけれど、その理論自体はそんなに難しい話でもない。単純に、こういう研究をする人がいなかったと言う話で…正直、こんな立派なところで発表するだけのものかどうかは怪しいところだった。
なんだか、直前になって怖くなってきた。というか逃げ出したいよ!
「なんだ、まだ不安なのか?」
「そりゃそうですよ!時間もないし!ちゃんと内容も練れてないし!」
「またか!だから言ってるだろ?私たちが保証してるってさ」
「わかってますけど…」
確かにこの二人のお墨付きとなれば、きっと大丈夫なのだろうけど。それでも、私が上手く発表できない可能性だってある。ああ、またうじうじするなと言われそうだ。
「うじうじするな!とは言わん!」
うう…。
「まぁ、そうだな。とりあえず町でもうろついてきたらどうだ?こういうときは気晴らしが大事だからな。なにか刺激になることもあるかも知れんぞ?」
「いや、だって、練習しないと!」
「だから、一時間だけだって!」
ゾーイさんが私の心配をしてくれているのは分かっているけれど、それでもなかなかこのタイミングで気晴らしということは難しい。それでも、二人にやることがあると言われてしまい、私はしぶしぶ町へと繰り出した。
でも、この町は本当に綺麗だ。
ところどころに魔法使い達がいて、彼らはこのお祭りの前日を楽しんでいた。箒に乗って空を飛び回る人がいたり、宝石を細工してステンドグラスを作っている人や、子供たちに楽しそうにお菓子を配っている人もいる。
私の不安など吹き飛ばしてくれそうな、祭りの喧騒だ。といっても、本当に私の不安が吹き飛ぶわけもなく…なんだか、この中で自分だけ浮いてしまっている気分になった。
「そこのお嬢さん、どうしましたか?」
ふと、そう声が聞こえて、私は振り向いた。
そこには綺麗なお婆さんが立っている。優しい笑顔で、そしてどこか懐かしい、そんな、あれ?私この人…。
「あ、いえ、ちょっと悩み事がありまして」
「あらあら、それは素晴らしいことです」
「え?」
「この祭りの喧騒の中で、そんな顔をしながら悩むようなことです。きっと、貴女にとってとても大事なことなのでしょう。貴女のように若い方は、悩んで悩んで、そして進むことが大事なのですよ」
急になにをいうのか、とも思ったけれど、なんというか、私はこの言葉がとても他人のものとは思えなかった。
「あの、お婆さんは?」
「あら、ごめんなさい。私はイデアと申します。どうでしょうか?少しそこでお茶でもしませんか?」
「お茶、ですか?」
どうせ今はブラブラしているだけだし、なんとなくこの人の話を聞きたくなった。
「えーと、じゃあ少しだけ?」
「まぁ、嬉しい!近くに私の大好きなお店があるのです。そこに参りましょう」
お婆さんはまるで子供のように手を叩いてそういった。可愛らしい人だ。
「ここですよ!」
おばあさんは路地の間にある小さな喫茶店へと私を誘った。入ってみれば、どこにでもある、けれど静かな雰囲気が落ち着きを与えてくれる、そんなお店だった。
「素敵なお店でしょう?私、ここに来たときは必ず立ち寄ることにしているの」
「じゃあ、ここに住んでいるわけではないんですね」
「ええ、私の家はエルダー・ホルンの外にありますから」
ということは、私たちと同じで列車に乗ってやってきたのかな。
「じゃあ、今回の学会のためにこちらへ?」
「そうです。私も魔法使いなものですから」
「魔法使い…凄いな…」
「あら?貴女もそうでしょう?」
お婆さんの言葉が地味に胸に痛い。確かに私は学会発表なんてしにきているんだけど、でも、少なくとも魔法使いではない。
「いえ、私は魔法なんて使えなくて、たまたまここに連れてこられたというか、運がよかったというか、私…あ、あれ?」
なぜか、涙が溢れ出してしまった。どうしたんだろう。
「貴女は、自分に自信がないのね?」
「はい…でも、私に期待してくれている人たちがいて、その人たちは優しくて、私を信じてくれて、でも、私わからないんです。あの人たちが信じてくれているのに、なのに私…」
「やはり、貴女は素晴らしい人ですね」
「え?」
私の顔はもう涙でぐしゃぐしゃになっていて、お婆さんがその顔をゆっくりと覗き込んでそう言った。
「貴女が許せないのは、信じてくれる人を信じることができない自分、なのでしょう?だからこそ悩んでいる。それは、とても素晴らしい悩み事だと思います」
お婆さんの言葉に、私はまた泣き出してしまった。
「私、泣いてばかりで…」
「いいじゃありませんか。泣いたって。それに失敗したっていい。上手くいかなくても、それに、誰かを信じきることが出来なくたっていい。弱くたっていいんです。それでも、なにかをやることで、得られることはきっとありますよ。ミコトさん」
え?私、名前…。
「さて、お嬢さん。もしかすると貴女は失敗するかもしれませんが、それでもいいと考えなさい。失敗してしまってもいいさ、と。貴女はそれくらいがちょうどいいと思いますよ」
お婆さんの笑顔は、やっぱり優しさに溢れていて…。
「ミコト?どうした?大丈夫か?」
「大丈夫なのー?」
「え?」
気がつくと、私は路地の外にいた。
周りはガヤガヤと騒いでいて、振り返ると、そこには店などなにもない。
「ミコト?」
そして私の目の前には、ベアとラクシュミが立っている。
「あれ?私…?てか、二人ともどうしてここに?」
二人が顔を合わせて不思議そうな顔をしている。
「私たちも学会を見に来てるのー。」
「まぁ、ただの見物だけどな。そしたら、お前がここでフラフラしてたからさ。大丈夫か?意識ははっきりしてるか?」
私はまた路地を振り返ってみるけど、やっぱりそこにはなにもない。あれは、白昼夢かなにかだったのだろうか。
「てか、お前酷い顔だなー」
「泣いてたのー?これ使うのー」
…どうやら私の顔はぐしゃぐしゃのままのようだ。
「ううん、大丈夫。二人ともありがとう」
「水臭いこというなよ!」
「そうなのー!お友達なのー!」
はっきり言って、私がここに来てからの展開は急すぎて、わけのわからないことが沢山あって、というか、普通に考えたらゾーイさんが無茶振り過ぎるし!それなら、自分が出来ることをやるだけじゃないか!
「ごめん、二人とも、私戻らなきゃ!」
二人がまた顔を見合わせて、ベアが私の背中を叩いた。
「がんばれよ!」
「気楽にいくのー」
私は頷いて、二人に手を振った。
なんだか、私のなかでなにかがはじけた気分だった。