私、計算します
魔法使いにとって重要なことは、その知識欲を満たすことだという。お金よりも知識を求め、愛よりも知識を求め、時間よりも知識を求める。その向こう側にあるものを目指して、魔法使いは今日も研鑽を続ける。
そういう意味で、ゾーイさんは本当に純粋な魔法使いだった。
「ゾーイさん。それ、なんですか?」
「ん?ああ、これはエジプトのとある谷に伝わる呪術の本だよ」
「じゃあこれは?」
「それは中国の山奥に伝わる仙術に関する秘伝書だ」
「それでは、これは?」
「それは、えーと…ああ、確か日本に伝わるラノベというものだよ」
最後のはなんだろう…なにか勘違いしているのかな…?
ゾーイさんはあらゆる魔法や、それに関するものに興味を持つ人で、それこそ使うことの出来る魔法も多種多様に渡る。本業は自然魔術的なものだったらしいのだけれど、呪術や陰陽術なんかもかなり使えるようだ。そういえば、私がこっちに来るときは召喚魔法を使っていた気がする。
そんな魔法使いの下で働いていると、困ることも沢山あるわけだ。
知恵の館に限らず、この世に存在する魔法研究の分野においては、魔術のカテゴリーというのは重要なことらしく、それぞれによって研究の報告書の書式だとか、研究発表で必要な書類の種類だとか、提出する学会だとかも全て変わってくる。つまり、私たちはその書式すべてに対応することになるのだ。ついでに言うと、ゾーイさんの下には、私とマリーベルさん、それとメイビスさんと妖精たち…しかいない。
というか、メイビスさんに至ってはこの知恵の館全体の事務を取り仕切っているので、実質マリーベルさんしかいなかった。…とてもではないけれど、一人で出来る仕事量を超えているよ…かわいそうなマリーベルさん…。
「ミコト、ちょっといいか?」
「あ、はい!」
ゾーイさんが手で魔法所をいそいそとめくりながら私に声をかけてきた。
「ちょっとこれ計算しておいてくれ」
「魔法陣ですか?」
ゾーイさんが渡してきたのは、魔法陣の計算式だった。魔法陣はそれ自体が魔術的な意味を持つものでありながら、その構造はかなり数学に近い。そのため、私も簡単なものなら計算できるようになっていた。
とりあえず簡単そうだ。
「えーと…あ、ゾーイさん、出来ましたよ」
「ん?なにが?」
なにがって…。
「この魔法陣ですけど…これでいいですよね?」
「え?」
ゾーイさんが私から計算式を取り上げる。
なんか渋い顔をしているんだけど…。
「ちょ、ちょっと待て、マリーベル!」
「はいはい、ん?どうしたんですか?」
マリーベルさんはお茶を入れているところだったらしく、可愛いチェックのエプロン姿で現れた。台所に立つのが本当に似合う人だ。私もああなりたいと思うくらいに。
「マリーベル、これ解いてみろ」
「え?これは…ソロモンの鍵ですか?」
ゾーイさんが深く頷いた。
「第七〇番目の悪魔、セーレの簡易召喚魔法式だよ」
「解けって…陣成機はどこですか?」
「…だよな?」
マリーベルさんが首をかしげた。
「じゃあ、これを見てくれ」
今度は私の計算した魔法陣を見せる。
すると、マリーベルさんは中空にいくつかの数式を書くと、一言「あってます」と言った。
「マリーベル、これは今、ミコトが書いたものなんだ」
「ほう…」
二人が私のほうをじっと見つめる…なんか、怖いんだけど…。
「ミコト、とりあえず、ここら辺も全部頼む!」
ゾーイさんが書類の山を私に手渡してくる。え、というか、これ全部魔法陣?なんか私の背の高さくらいあるんだけど…。
「ゾ、ゾーイさん、これ?」
「ああ、今週中に終わればいいから!」
…うう、なんだろう、私なにかしたのかな…。
結局、私はよくわからないまま、ゾーイさんに手渡された書類を片付けることになった。しかし、こんなに数式を解いたのは、大学受験のとき以来…ああ、そういえばあの大学に行きたかったなぁ、などと、随分と現時逃避をしながら、私はそれらを片付けていくのだった。
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結局、魔法陣を全部片付けたのはそれから三日後のことだった。我ながらよく片付けたと思ったことだけど、それらを見てゾーイさんが私にいくつかの書類を渡してきた。
「ミコト、今度の土日、少し遠出するぞ」
「遠出?どこにですか?」
「アルテイシア魔術教導院だ」
………どこだろう?
ゾーイさんのいきなりの出張命令に、私は聞き慣れない名前を聞いて困惑した。
「まぁ、簡単に言えば知恵の館のライバルみたいなものだよ。遠出といっても、同じエルダー・ホルンにあるんだけどな」
「は、はい」
ゾーイさんはこの瞬間も魔法研究に関する論文を書いていて、常々器用な人だと思わせる。そういえば、知恵の館以外にもいくつかの有名な魔法研究機関があるとかないとか…。
「アルテイシア魔術教導院は、主に魔術の布教を目的とした研究機関なんですよ。だからライバルというより、持ちつ持たれつの関係なんです。ただ、魔法使いと魔術師という違いがあるのですけれど」
「?」
マリーベルさんがキッチンの方から現れた。その手にはゴシック調の彫刻が彫られたティーセットを持っている。かすかに香るハーブの匂いが、どことなく私をリラックスさせてくれる。
というか、魔術師と魔法使いって、同じ意味じゃないの?
「言葉の意味的にはあまり変わらないんですけどね。簡単に言うと、魔法使いとは魔法を使うモノで、魔術師とは魔法を使った術を究めようとする人、というところでしょうか。まぁ、魔法使いの方が魔術師より広義であると考えてもらえれば大丈夫です!」
「その理屈で言うと、ゾーイさんも魔術師ってことですか?」
「そうですね。ただ、あくまでも知恵の館は魔法使いの集まる場所で、魔術教導院は魔術師の集まるところ、というのは覚えておくといいと思いますよ」
なるほどなるほど、つまり、知恵の館の方がちょっとだけ自由ってことなのかな。
「それで、その魔術教導院でなにを?」
「学会発表だよ」
ゾーイさんがマリーベルさんから手渡された紅茶の香を味わいながらそう言った。やっぱりいい香り…と思っていると、マリーベルさんが私の分を手渡してくれた。ゾーイさんと違ってマリーベルさんは人の心を読めるわけではないけれど、人の心のわかる人、という感じだ。
「外で学会発表するのは初めてですね」
「まぁ、普通は知恵の館に人が集まってくるからな。ただ、今回は色々と理由があって、知恵の館じゃあ無理なんだよ」
なんだか、ゾーイさんがニヤニヤと笑っている。なにか悪いこと…いや、面白いことを考えているときの顔だ。
「またなにか悪巧みですか?」
「まさか!ただ、今回は発表者がミコトだというだけだよ」
「へぇ、そうなんですか。それはまた………ん?」
あれ?今なんて言ったのこの人?
「ゾーイさん、聞き間違いだったらいいんですけど、今なんて?」
「だから、今回の発表者はミコトなんだよ」
………ハッピョウシャワミコト?
「だから!お前が学会発表するんだよ!」
「え?ええええええ!?ど、ど、ど、どういうこと!?」
「いやーほら、この前から色々計算してもらったろ?あれは新しく構築していた簡易魔法陣論の概算だったんだが、ミコトがバンバン解くものだから、これはもう任せるしかない!と思ってな」
「な、なにを言ってるんですか!?私ここに来て二ヶ月ですよ!魔法使えないんですよ!?ついでに言うとただの事務員なんですよ!?」
はっきり言って意味が分かんないよ!初めて二ヶ月の新人に任せられるものなの!?
「大丈夫大丈夫!今回のは学会といっても、魔法幇助師の認定試験を兼ねたものだからな」
「魔法幇助師って確か…IMQのですか?」
「そうそう。魔法実験および魔法研究の国際魔法資格の中級資格だよ」
ちゅ、中級って…せめて初級からなのでは?
魔法使いにも資格というものはある。それこそ、魔法のカテゴリーや国によってその資格の基準は異なり、その権威も大きく差を持って存在する。
そんな中で国際的に通用するとエルダー・ホルンの魔法資格協会にて定められたらものが、International Magic Qualification、通称「IMQ」である。これらの資格に関しては、ウィズダムではかなりの権威を持っているらしい。それの中級資格となれば、実際はそれだけでも食べていけるとか何とか。
「で、でも、私が魔法幇助師って、流石にハードルが高すぎると………」
「だから!ウジウジするな!いいかミコト、お前今借金いくら残ってる?」
………うっ!
「その…きゅ、九千九百九十九万円です………」
「ぜんぜん返せてないじゃないか!」
「そ、そう言われても!家族みんなに生活費は必要だし、利息だってあるし……勉強のための道具だって!」
「本棚には本がいっぱいのくせに!」
「うう………だからそれは勉強の…」
正直なところ、今の給料は決して少なくないけれど、とても借金を返すことなんて出来なかった。いや、モチロン切り詰めれば切り詰めようはあるのだけれど、それでも膨れ上がる利息に追いつくことは難しい。
「だったら、資格試験など合格して、自分が稼げるようになるしかないじゃないか。」
珍しくゾーイさんの口から正論を聞いた気がする。胸が痛い…。
「で、でも、私が論文発表なんて、本当に出来るのでしょうか?」
「出来る!なせばなる!私が言うのだ!」
なんだか、さっきまでもの説得力が薄くなったような気がする。
「大丈夫ですよ。ミコト様の実力なら、きっと上手くいきます。それに、もしうまく行かなかったとしても、その体験はミコト様の糧になるはずです。恐れず、今はチャレンジをする時期ですよ」
「マ、マリーベルさん!」
「あれ?私の時と反応違うんじゃ…」
ゾーイさんはともかく、マリーベルさんの言葉は私を奮い立たせるには十分なものだった。確かに、このままだと借金を返すどころか、この知恵の館でもやっていくのは難しい。そうなれば、いっそ壁に挑んでみるのもいいかもしれない、そう思わせる雰囲気がマリーベルさんにはあった。
…きっと、そうやってこんな立派な大人になるんだろうな。
「マリーベルさん、私頑張ります!負けません!」
「そうですミコト様。大丈夫、失敗したときは私がついています。挫折することもあるでしょう、辛いこともあるでしょう。でも、私はミコト様の味方ですよ」
私は泣きそうになるのを必死に堪えながら頷いた。頑張ろう。そして、この人に恥じない成果を出そう。私は、そう思ったのだ。
「えーと、私の話は…」
ついでに言うと、ゾーイさんの言葉も心に響いたわけです。
「私はついでか!?」
ふふふ、と笑顔がその場に溢れていた。
私は、心からこの二人がくれたチャンスをモノにしたいと、そう思った。