私、魔法世界で出会います
借金を完済し、父さんを騙した詐欺師を捕まえる。
………と、一大決心をしてこの世界に飛び込んだものの、私の心の中はややブルーであった。というか、後頭部が痛くてたまらない。
「ほら、これでいいよ」
「いつもすみません…ソフィ先生…」
私は知恵の館の一室、いわゆる保健室的な場所にいた。先ほどこけてぶつけた頭の後ろに、たんこぶが出来ていたようで、医療魔術師のソフィ先生に見てもうためだ。
ソフィ先生は私のたんこぶに触れると、呪文を一言告げただけど治してしまった。このエルダー・ホルンに来て常々感じ入ることだけど、本当に魔術って凄いなぁ。
「いいよ。でもねミコト。一月で十二回もここで治療を受けた事務員は、お前が初めてだよ」
ソフィ先生はそう言って笑った。みんなのお母さんというところだろうか。私だって来たくて来ているわけではないけど、この先生の笑顔はいつでも見ていたい気がする。
「ドジですみません…気をつけているつもりなんですけど…」
「しかし、これは名誉の負傷と考えようじゃないか。ミコトが頑張っている証拠だよ」
「でも、私。書類はばら撒くし、重いものは持てないし、よく転んでお茶をこぼしたりするし、この前なんてゾーイさんの魔道具を壊して…」
「あははは!気にするなよ!それ以外のところで頑張ればいいさ!」
そう言ってソフィ先生が私の背中を叩いた。
正直、ほかの事はまださせてもらえてないんですけどね…事務員だし。
このウィズダムに降り立ち、そしてエルダー・ホルンにやってきて早二ヶ月。この二ヶ月は、いや、本当に本当に大変な二ヶ月だった。
まず、私はこの世界で事務員がどうのと言う前に、やらなければならないことが山ほどあった。例えば、私は字を書くことが出来なかったのだ。いや、もちろん文字が書けないと言う意味ではなくて、この世界は字を書くにも、機械を動かすにも、お湯を沸かすのにだって、それぞれが持つ杖を使う。つまり、魔力が必要になるのだ。
私は、そもそもその杖の使い方から学ばなければならなかった。
特に問題だったのは…ゾーイさんもマリーベルさんもあまりにも忙しい人だったと言うことだった。
ゾーイ=リード、【好奇心の魔女】といえば、この知恵の館には知らないものはいない。若くして知恵の館の一室を任され、一年のうちに表彰されない月はなかった。まぁ、そんな魔法使いとしての優秀さと引き換えに、世話をするマリーベルさんがいつ寝ているのか分からないほどに、手間のかかる人のようだけれども…。
そんな人の下で私なんかが役に立っているのか、はっきり言って、不安だ。
「駄目だ駄目だ!頑張ると決めたんだから!」
誰もいない廊下でそう叫ぶ私は、少し寂しい人だった気がする。
魔法研究所といっても、私のやることは雑用ばかりだった。書類整理にデータ入力…なんかよく分からない草を育てたり、やばそうな薬を運んだり…まさか高校のときにネタでとった危険物取り扱い免許が役に立つなんて…。
正直な話、最初の二ヶ月で私は何度も逃げ出したくなったけれど、母の手紙と、そして、私を世話してくれるメイビスさんのおかげでここまで頑張ることが出来た。
「よし、今日はもう帰っていいぞ」
メイビスさんは、まだ残る書類の山を片付けながら言った。メイビスさんはゾーイさんの古い友人の一人だそうで、知恵の館の事務や経理などを一手に引き受けている。とても厳しい人だけど、いつでも私のことを気にかけてくれた。
「えっと、まだ書類が…」
「いいんだ。お前は学校の勉強もあるだろ?しっかりと勉学に励み、私たちにそれを還元してくれればいいさ」
「は、はい!それじゃあ…」
「ああ、ゆっくり休めよ」
マリーベルさん、ソフィ先生、そしてメイビスさん。私は、本当に恵まれた環境にあると、本当に感じていた。
研究所を出ると、もう夜の十二時を過ぎていた。本当なら、この時間に寮の外を出歩くのは禁止されているけれど、知恵の館で仕事をしているということで、特別に許可をもらっている。でも、仕事と勉強を両立するのは、なかなか大変だった。
「ただいまー」
「お、ミコト!また今日は遅せーな!」
「ミコちゃんお帰りなのー…毎日大変なのー」
私の帰りを二人のルームメイトが迎えてくれる。
燃えるような赤いウェーブのセミロングに、引き締まったボディライン、そして活発な性格が男女問わず人気を呼ぶのが、【ベアトリス=デュマ】。私たちはベアと呼んでいる。私がこの寮に入って出来た、最初の友達、なんとソフィ先生の妹である。
そしてもう一人、黒髪に褐色の肌が特徴的な、【ラクシュミ=アイイェンガール】有名な呪術師の家系の一人娘で、将来は立派な【ブードゥー】を目指しているらしい。少しおっっとりしているけど、実は怒らせると怖いんだよね…。
彼女たちは私のことをいつでも気にかけてくれる、本当に大事な友達だ。
そうそう、私たちは生まれた国も言語も違うけれど、この大地の上では、私たちはお互いの言葉を変換して聴くことが出来るそうで、これは誰かがこの大地に魔法を使っているせいなんだとか。
「しかしミコト、お前は本当に凄いなー。知恵の館の職員なんて、俺じゃ絶対つとまんねーや」
「そうなのー。勉強もあるのにすごいのー!」
二人はそう言って私を労ってくれる。それがたまらなく嬉しくて、それでいて、なんだか申し訳ない気持ちになった。
「私なんて、大したことないよ…毎日こけているだけだし…」
「まぁまぁ!今に挽回のチャンスが来るってば!」
ベアは私の肩を叩いてそう言った。ベアはソフィ先生の妹で、こうやって明るく励ましてくれるところなんてそっくりだ。
もちろん、その横にいるラクシュミの優しい笑顔も、私に癒しをくれる。
なんだか、この二人と話していると本当に元気が出る。
明日も頑張ろう!
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翌日、知恵の館の一室でガシャン!と大きな音が鳴った。私が、ゾーイさんの試験薬の入ったビンを割った音だ…。薬は気化すると、たちまち私の意識を奪って…気がつくと、また私は医務室のベッドで横になっていた。
「えーと…私…あ!」
ああ!私またなんてことを…!
「気がついたかい?」
!!!メイビスさん…!
「あ、す、すみませ…あ、あれ…」
「ほら!急に起き上がるな!」
私はまだふらふらとしているようで、メイビスさんにベッドへ横にさせられた。
「私、その…すみません…」
「全くだ」
メイビスさんは深いため息をついた。失望されたのかな…いや、私には失う希望なんてそもそもないか。
「早く起きてしっかり働いておくれよ。君がいないと困るんだから」
メイビスさんはそう告げると、いそいそと仕事に戻っていった。結局、私がそれから起き上がれたのは、一時間も後の話で…あまり仕事を手伝うことも出来ず、そのまま家に帰されることになった。
「はぁ…どうしてこう私って…」
ため息が口からこぼれる。夜七時半か…そういえば、ここに入ってからこんなに早く帰ったのは初めてな気がする。といっても、私がドンくさいから時間がかかるってだけなんだけど。
今日は月が大きく見えた。満月だ。向こうの世界に比べると空気が澄んでいるせいか、本当に綺麗に見えた。ただ、なんだかこの月を見ていると、どこか不安になる。
ああ、そうか、そういえば、今日は向こうの世界に帰ることが出来るんだった。そのせいなのかな。物悲しい気持ちになるのは。
私はエルダー・ホルンから下の町へ移動するための道をトボトボ歩いていた。いつも使う道だけど、時間が違うと少し雰囲気も違う。
ん?なんだろう、何か聞こえてくる。
キラキラとした、それでいて静かな音色が道いっぱいに広がっていた。笛の音?でも少し不思議な…まるであのお月様の光のような冷たくて静かな音だ。
「あっちから…?」
私は道を外れて、エルダー・ホルンの木の根の上を進んだ。足を滑らせないように注意しながら、太くてがっしりとした根の上を進む。すると、根から少し得の茎から伸びる小さな枝に、笛の音の主が座っているのが見えた。
銀色の髪が月明かりに照らされて、その白い肌がより輝きを増している。まるで月から降りてきた天使のようで、私はその美しさ見とれてしまった。気がつくと、もう何十分もその演奏を聞き入っていた。
「ねぇ、君、なにか用?」
笛の主が私に声を…ってあれ?今の声…男の子?
「あ、えーと、あまりにも綺麗だったから…」
「なにが?」
「それは貴方の…えーと、笛の音色が…」
「へぇ…僕の笛の音色が、ね」
あまりにも綺麗だったので女の子だと思っていたけれど、どうやらいわゆる美少年という奴だったようで、そのあまりの綺麗さに、一瞬「貴方が美しくて」なんて安いナンパ師みたいなことを言うところだった。
「君、変わってるね」
「え?わわわ!?」
え?いつのまに私の隣に!?
彼の足元に魔方陣が輝いている。じゃあ、この人も魔法使いなのかな…?まぁ、むしろエルダー・ホルンに魔法使いじゃない人なんてほとんどいないんだけれど…。
「ねぇ、君名前は?」
「え、えーと、ミコト…ですけど…」
「なんで、喋るとき『えーと』ってつけるの?」
「え、えーと、なんでだろう…」
困っているからだよ!と、心の中で呟く。私に向かって変だとか言ってたけど、この人のほうがよっぽど変だよ…!
「また、『えーと』ってつけた」
美少年は無邪気に笑っている。なんというか、不思議な存在に出会ってしまったようだ…まっすぐ帰ればよかったかな…?
「そろそろ時間だ。また、どこかで会おう」
「え?あ、また…どこかで…」
美少年の足元がまた輝いて、彼はどこかに消えてしまった。
あまりにも気が動転しすぎて、単純な言葉しか口に出来なかった。
綺麗な音色と共に現れる美少年なんて、私には幻想的過ぎて、とてもじゃないけどついていける存在じゃないよ…まるで、白昼夢でも見ていた気分だ。もう夜だけど。いや、白昼夢に昼夜は関係ないか…。
私はそんなことをごちゃごちゃ考えながら、帰路につくのだった。
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「それ、【マーリン=ワイズ】じゃないか!?」
「こ、声が大きいよ」
ベアが大声で叫んだ。眠りに入っていたラクシュミが、むくりと起き上がる。
「ベアどうしたのー?」
「あ、悪い悪い!ラクシュミは寝ててくれ」
「あーい」
ラクシュミはまたベッドの中で丸くなった。なんだか小さい子供のようで、彼女はすでにこの部屋のアイドル的な存在になっている。
「マーリン?ってなんかどこかで聞いたことがあるんだけど」
「聞いたことがなかったら、このエルダー・ホルンにいる資格はないね。アーサー王伝説に登場する偉大な魔法使いの名前さ。そして現代のマーリンは、その偉大な魔法使いにあやかって、名門ワイズ侯爵家の長男につけられた魔女名だよ」
魔女名、とは、魔法使いや魔女が活動するためにつけられる名前だ。現代の魔法使いの中ではすでに廃れた風習だけれど、それでもその名前には大きな意味がある。
「そんなに凄いの?そのマーリン君って」
「凄いなんてものじゃない!学術院史上最高の才能を持つといわれる天才だ!それこそ、学生でありながら知恵の館の五賢人の中に名を連ねる男なんだぞ!?てか、なんでミコトが知らないんだよ…」
「え、うちの研究員だったの!?」
知らなかった、というとベアが更に声を荒げた。
「研究員じゃない!五賢人だよ!簡単に言えば、ミコトの上司の上司の上司の上司の上司くらいの人だよ!?」
「え、えええええ!?」
思わず叫んでしまった。
「二人ともどうしたのー?寝ないのー?」
「あ、ご、ごめんねラクシュミ、すぐ寝るから先に寝てて?」
「あーい」
またもラクシュミが目を覚ましてしまった。
「も、もしかして私凄い人に声かけちゃった…?」
「だからそう言ってるだろ…いや、まぁ声はかけられた側になるんじゃないか?」
「そういわれればそうだけど…私なんかが話していい相手じゃないよね…」
「まぁな、てかマーリンは滅多に人前に姿を現さないことで有名だからな…ある意味すげーラッキーだったと思うぜ?…羨ましい…」
「え?」
「いやいやいや!な、なんでもない」
ベアの様子がおかしい…まさか?
「そういえばベア、頑なに見せようとしない棚があったよね?」
「ギクッ!な、なにを…」
ベアがその怪しい棚を背に私を遠ざけようとする。
な、なんて分かりやすい…。
「ベアて、ぱっとみ男勝りで、恋愛とか興味なさそうだけれど、実は結構美少年とかに弱かったりしてね?」
「ギクギクッ!ミ、ミコト、待て、誤解だ…俺はただ魔法使いとしてその深遠に達しようとするものに敬意を持っているだけで…」
「じゃあこれはなんだー!」
一瞬の隙をついてベア秘密の棚から一冊の本を抜き出した。そこには、銀髪の美少年の隠し撮りらしきものが飛び出した。やはりか…!
「ベアこれ…」
「…にゅ、入学式のとき、たまたま外を通りがかっているのを見かけて…その…だから…そうだよ!俺は美少年好きだよ!文句があるのか!?」
ベアが涙目で開き直ってきた。悪いなんて思ってない。むしろ、そんなギャップのあるベアがかわいくてたまらない!
「ベア…今度見かけたときは、写真とっておくね?」
「ほ、本当か!?いいのか?」
「うん。私たち友達じゃない!ベアのためならそれくらい朝飯前だよ!」
もちろん隠し撮りだけどね。
「おお、心の友よ!俺はお前を友人にして本当に…」
「二人ともうるさいっつってんだろ!?早く寝ろッ!!!」
「「は、はい!すみません!」」
私とベアは声を合わせてそう言った。ラクシュミが鬼の形相でこちらをにらみつけている。手にはなにやら怪しい人形が掴まれていて…こ、怖い。しまった、ラクシュミの怒りゲージを振り切ってしまった…。
「わかればいいのー。早く電気消してね?」
口調は穏やかになったが、目は笑っていなかった。
なんだか今日はいろいろあったが、友人の知らない一面を垣間見れて、最終的には嬉しい気分だった(ラクシュミの怒りの形相も含めてね…)。…でもまた仕事でドジをしたんだった…いつになったらちゃんとできるんだろう…。
私はその一日を頭のなかでまとめながら、そそくさと寝床に就くのだった。