私、借金まみれになりました
拝啓 お母様
お母様はお変わりないでしょうか。きっともう庭先の桜の花も満開を過ぎて、少しずつ緑が増えていることでしょう。あの丘の上のベンチも、路地裏の猫たちも、きっと今まで通りの日々を過ごすのでしょう。私ですか?私はというと………
「ミコト!ぼさっとするな!」
いつも通りの怒鳴り声に、私の意識が呼び戻される。監督役のメイビスさんが、忙しそうに指示を出している。
「これをあっちに運んでおけ!」
メイビスさんは机いっぱいの書類と、魔術道具を指さしていった。とてもひとりじゃ持ちきれないよ!辺りを見回すが、皆忙しそうに動き回っている。私はなんとか書類を持って………あ!
「ひゃっ!」
自分の口から間抜けな叫び声が放たれたのを聞いた。その次には空を舞う書類の山と、天まで届きそうな高い天井を見上げる自分。
「いたた…」
「こら!ミコト!仕事を増やすな!」
「は、はい!すみせん!」
散らばった書類を片付けながら、ため息をつく。情けない自分、ドジな自分。そんな私を、妖精達もクスクスと笑っている。私は惨めで、三角帽子を深くかぶった。
「ミコト、ゾーイさんが呼んでいるぞ!」
「はい、ただいま…うう、痛い…」
私は自分の頭の後ろを押さえながら、室長の下へと急ぐ。
ねぇ、お母様。
『私、魔法使いの助手になりました。』
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一月ほど前。
「え?倒産した?」
涙の卒業式を終えて、私の耳に飛び込んできたのは、驚くべきお話でした。というか、なにを言っているんだこの人は、という感じです。
「そうなんだ…残念だが、父さんの会社は倒産してしまったんだ………」
ふざけたおやじギャグだ、とも思ったけれど、父さんの様子はかなり本当っぽかった。というか本当だった。
父さんは小さな印刷会社を経営していた。とても楽とは言えなかったけど、それでも頑張っている父さんはカッコ良く見えたし、コツコツと貯めたお金で、私の好きな本をたくさん買ってくれた。
でも、それが急にどうしたの?
「えーと、お父さん、なんでそんなことに?」
「さ、詐欺にあったんだ………」
「詐欺って、騙されたってこと?」
父さんは小さく頷いた。
泣きながら、申し訳そうに。
「事業拡大の話をされたんだ。書類もちゃんと見たし、信頼出来るはずだったんだ…でも、気がついたらとんでもない契約とすり替わっていたんだ!」
父さんが言うには、まるではじめからそういう契約だったかのようにすり替わっていたらしい。まるで狐につままれたようだって。
「とりあえず借金が一億近くある………これは俺がなんとかするが、すまん、ミコト………大学は諦めてくれ!」
「そ、そんな…!」
「すまんっ…!!!」
生まれて初めて父親に土下座をされた私は、結局、泣きじゃくる父さんをなだめることで精一杯だった。
小さいころから、私が得意なのは勉強くらいなものだった。先生や父さんは喜んでくれたし、小学生くらいまではクラスの皆も褒めてくれた。でも、体育ではいつもびりだったし、男の子にだって好かれたことはない。ドジで、ドンくさくておしゃれだってしたことない。ついたあだ名が【本の虫】。
だからこそ私は、大学で自分の得意な勉学に励もうと…。
「はぁ………」
気晴らしに本屋に出てみたけど、ため息が口から漏れる。こうやって本を買いにくるのも難しくなるのだろうか。
「はぁあああ………」
「なにため息ついてるんだ?」
「うわあ!」
どこかで聞いた声に、私は驚いて叫び声をあげてしまった。
「おいおい、本屋でそんな声を出す奴がいるか!」
「なんだ、ひーちゃんか」
声の主を見れば、そこにはよく見知った顔があった。天童聖、いわゆる幼なじみと言う奴だ。
「なんだとはなんだ。お前がまるでこれから電車にでも飛び込まんばかりの顔をしているから、声をかけてやったというに」
「相変わらず回りくどい言い方だね」
「悪かったな!」といってひーちゃん、頭にチョップを入れてくる!痛いよ!
「か弱い乙女になにをする!」
気がつくと私の右拳が、ひーちゃんのみぞおちを捉えていた。
ひーちゃんは悶絶していたが、しばらくすると、
「少しは元気になったみたいだな」
といってニコリと笑った。
その笑顔に、私はついに泣き出してしまった。
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「ほら、飲めよ」
ひーちゃんはそう言って、涙でぐちゃぐちゃになった顔を拭いている私に炭酸飲料を渡してきた。『ドクトルV』と書いてあるそれは、ひーちゃんお気に入りの飲みのものなのだけれど、私にはとても飲めない味をしていた。
「私炭酸飲めないんだけど」
「せっかく譲ってやったのに、じゃあこれでも飲んどけ!」
ひーちゃんは『ヴァイタノンX』という飲み物を勧めてくる。味的には、まだましな方というくらいだ。厚意を無駄にするのもよくないし、私はそれで我慢することにした。
「しかし、まさか会社が倒産とはな。難儀なものだ」
ひーちゃんは少し恰好つけながらそういった。『難儀』だなんて、なんというか、彼はまだ中二病という奴を、少し患っているのだ。
「仕方ないよ………とりあえず、大学は諦めないとなぁ」
「働きながら行けばいいじゃないか。奨学金だってある」
「そうだけど、とても自分のために働ける状態じゃないよ。弟たちもいるし」
私には二人の弟と、一人の妹がいる。父さんは借金を返すので手一杯だろうし、アルバイトをするなら、借金を返済するつもりで働かないと駄目だろう。
「ふーん………じゃあ、お前は大学行けなくていいのかよ」
そんなの行きたいに決まっている。
「ま、まぁ、私が大学行ったからって、きっと遊んだりするだけだろうし、きっとこれは怠けず頑張りなさいって言う神様の思し召しなんだよ!」
と、私は思ってもいないことを口にしてしまった。すると、急にひーちゃんが怖い顔を向けてきた。
「なぁ、俺は大学行きたかったかって聞いてんだよ」
だからそんなの、決まってるじゃない。
「わ、私は、その………でも、無理じゃん…?」
「………行きたいんだろ?」
だから!
「行きたいに…決まってるじゃん!私にもやりたいことがあったし、新しい友達だって欲しかった!それになにより、私このままだと悔しい…詐欺師なんかに負けるなんて絶対に嫌だよ!」
私はまたボロボロと泣き出してしまった。
ひーちゃんは「そうか」といって携帯をいじり始める。
すると、私の携帯にメールが届いた。
「いいかミコト、もしお前が本当に頑張れるって言うなら、今送ったメールの場所に来い。うまく行けば大学にも行けるし、家族についても養えるかもしれない。だが………」
急に風が吹き始めた。まだ春先の冷たい風だ。泣きじゃくる私の顔に、その冷たさが痛みになって突き刺さる。
「その門を叩けば、お前の人生は一変するよ。きっともう普通の人生には戻れない。それでも良いというなら、俺達はお前を歓迎する」
ひーちゃんはそう言うと、風の中を歩いていってしまった。どういうわけか、私は去っていくひーちゃんに声をかけることが出来なかった。
残ったのは、不可思議なことが書いてあるメールだけだった。