六七一年 12 十月十七日
真白のが明らかにくすぐったいの方向性とは違う感じで頬を紅潮させびくんびくんして『ら、らめぇ!』とか言い始めた頃。
漸く落ち着いたのか、恥ずかしそうに頬を赤らめた八坂神と最早人相の見分けさえ付かない感じにぼこぼこな守矢神が戻って来た。
それを見ると、ぼくは素早く足腰の立たなくなった真白のを地面に転がし二柱の神に向き直る。
「先程はお恥ずかしい処をお見せして申し訳なかったわ、客人」
「気にしないでくれ」
寧ろそれ以外の言葉をどう言えというのだろうか。
上位者二柱に喧嘩を売る気もないのだ。
「ところで、その天狗は」
「気にしないでくれ」
「しかし、どう見ても正常じゃ」
「気にしないでくれ」
「神奈子、空気読もうよ」
単純にぼくが遊んでいた事を知られたくなかったのだが。
何か推理したらしい守矢神は八坂神の耳元で何かを囁いた。
「っ、え、なぁっ!?」
「だからさ、気にしないでって訳よ、分かった?」
こくこくと頷く八坂神はさらに赤くなっていた。
守矢神は一体何を吹き込んだのだろうか。
「す、すすすすまない客人、そそそそそれで、我らの地へ訪れたりりりり理由を教えて貰えにゃいか」
噛み噛みだった。これでもかというくらいに。
八坂神の横で守矢神がやれやれと言った様相で首を振っている。
不格好な毬みたいに膨れた顔面ではその推測が正しいのかさえ分からないが。
「神奈子、奥で少し深呼吸してきなよ。私が進めとくからさ」
「すすすすまないすすす諏訪子、かんちゃするわ」
「一体何回すって言うのさ、ほら早く行ったっ。……本当初心なんだから、全く。
……で? あんたらは一体何しに来たんだい? 私は神奈子みたいに甘くないよ?」
いつの間にか顔中の打撲痕は消えていた。これも、倭で最強の神故なのだろうか。
そして、あの小さな身体の何処から溢れてくるのだという程の、暴力的な存在感。
同じくらいの身体の大きさは伊吹のだが、正直比じゃあ無い。
胡坐をかいて肘杖を突いた其の幼い様からは到底想像もできない様な存在感。
逆立ちしたって敵いっこない、諏訪の神の本気をぼくは感じていた。
背中を冷や汗が伝う。真白のは再び意識を手放していた。今回は失禁のおまけつきだ。
「単刀直入に言わせてもらう」
「うん、その方がイイね」
「我々と盟を結んで頂きたい」
「……へぇ? 大枝の鬼よ、またどうしてそんな話を?」
納得のゆく理由を示せ、いや、もう一つ上か。
その盟を結ぶことで我々は何を得られるのか示せ。
「我々は、今追いつめられている。
国譲りによって発生した権力の空白地帯。それに入り込んだのは大王の主導によって入り込んだ仏たち。
実際、諏訪の地にも幾らかの尖兵が来ている筈だ」
「そうだね。でも、あの程度ものの数じゃないよ? 大体あんたより格上が先ずそういないでしょ」
「確かにそうだ。だが、このままでは我等は、いや貴女も敗れる」
「……ふうん。なんでさ?」
怪訝そうにぼくを見る守矢神。
既にぼくは彼の神の間合いに入っている、指先一つと守矢神の機嫌次第でぼくも真白のも塵芥になり得る。
──失敗は、赦されない。
「貴女も気付いているだろう? 信仰が奪われつつあることに」
「っ……確かにね。そこに目を着けた点は褒めてあげるよ。
でも、私には生憎無縁な話しなの。私はミシャグジ様を自在に操ることが出来る。
この地の民を生かすも殺すも全てそれは私の裁量一つ、故に彼等は私を裏切れない。
裏切れば土地を、家族を、全てを失うから。
それを民は知っているから一年神主も滞りなく行われる、私を信仰すれば豊穣は約束されているから信仰する」
「それが、侵略者の付け入る隙だ」
ぼくは守矢神の目を見据え言葉を紡いだ。
少しでも失敗すれば死ぬ。妖怪として死ぬんじゃない、圧倒的な力で存在を上書きされて文字通り“消えて無くなってしまう”命がけの綱渡り。
「……なんだと?」
肘杖を解き、少し身を乗り出す守矢神。
失敗したか? だが、臆する訳にはいかない。
内心で冷や汗を滝のように流しながらぼくは言葉を続けた。
「畏れだけで人間を縛るには、人間は知恵を付け過ぎた。
鉄の農具は最早神々の恩寵だけで得られるものでは無い、稲作の効率化は最早神々の独占技術では無い。
人間は信仰にも“楽”を求める様になった。知恵を付けた代償だ。
いけにえを迫る神と、念仏を唱えるだけで万民等しく幸福になれる仏の教え。そして仏も持っている、豊かに稲穂を実らせる技術を。
守矢神……聡明な貴女なら直ぐに分かるだろう。果たして人心がどちらに傾くか」
守矢神が息を飲んだ。
一瞬、怒りの様なものをぼくに突きつけたが、それもすぐに引っ込めると自嘲めいた笑みを浮かべた。
膝が震える。逃げだしたくてたまらない。身体が分かっているんだ、絶対に彼の者には敵わないと。
「っ……ヤケに人間に詳しいんだね、鬼の大将よ。
……そうだよ、あの恩知らずな可愛い子供達は祖神さえ見切ろうとしているよ! だけど、じゃあどうしろって言うんだ!
私に暴君になれって言うの!? 子供達を殺せって言うの!?
それとも生贄を否定して力を失う怠慢な消滅を甘受しろと!?
あの尖兵は殺しても殺しても沸いてくる! 寺院を壊そうにも大王がどうとか言って人間の権力が絡んで壊せない!!
私には、私には悠久の時をかけて育んだ子供達を寝取られる様を見るしかないの!!」
「っ、く」
溢れだす威圧感、神気とでも言うのか。
その大きな瞳と視線が交錯するだけでぼくの膝は容易く屈し、心さえも折られそうになる。
敵わないことはとうに承知している。だが、心まで折られる訳にはいかない。
帰る必要がある。ぼくには帰る義務がっ。
「貴様に何が分かる! この地は私と子供達の王国だった!! 幾万の時をかけ作りあげたんだ!!」
嗚呼。もう、いいか。
ぼくじゃあ敵わない。この偉大な神の元に屈しても──
パシンッ
響いたのはぼくの肌を打つ音。
乾いたそれに、ぼくの中でざわめいていた何かが消えた。
「しっかりしなさい、鬼の子。
諏訪子も止めなさいな、腹いせに心を折るなんて民を背負う者がすることじゃないよ」
「ッぁっ……っはぁ、はぁ、はぁ」
四肢にじんわりと力が戻るのを感じる。
どうやらぼくは呑まれかけていたらしい。
八坂神が止めるのがあと一寸遅ければどうなっていたか分からない。
少なくともぼくという人格は上書きされ消滅していたと思う。
「ぁ……神奈子……」
「ったく、外交交渉は私の仕事でしょ? 不慣れなことをしても、上手くいきゃしなよ」
「その……ごめん」
「うん。それでよし。取り返しがついたからそれで問題なし。それで構わないかい、鬼の子よ」
「あ、ああ。寧ろぼくが謝罪すべきだ。無遠慮に貴女方の領分へ入り過ぎた。それに威圧に呑まれかけたのもぼくが弱い所為だ。申し訳ない」
頭を下げるぼく。屈辱だなんては思いもしなかった。
ぼくは先程のやり取りでこの方々の性質を感じ取っているし、何よりぼくより圧倒的な高みに居る存在だ。
己の意志で頭を下げるべき存在位は判別できるし、彼女達はそれに値する。
“大枝山の鬼のぼく”という人格がそう思っている。
「はあ、鬼って本当素直よね……」
「損しそうな性格だよねぇ、尤も私とか位に強く無きゃ損させられもあうっ!?」
「諏訪子は少しあの素直さを見習うべきね。あと反省をしっかりする辺りとか」
「あーうー……神奈子は意地悪だよー」
そう言えば会った時からこうして何度かふざけ合っているのを見ているのに、不思議と不快にならない。
それは、多分彼女達にこうしてふざけたりしている時も、ぼくは殺気を常に向けられているからだ。
蛇の時までは守矢神はぼくを格下以下のそこらの羽虫程度に扱っていた。故に激昂した。
それがいつの間にかこの方達はぼくを鬼として認識している。物騒なことではあるが、何時でもぼくを殺せる様に警戒している。
羽虫の如く、お前等自由意思でぷちっと殺せる。そういう遊びの殺気では無く。
その鬼の力を我々に向けるのならば、容赦はしないぞ、と意の込められた殺気。
それはつまり上位者に存在を肯定されたという事。
それがぼくを不快に思わせない。寧ろ喜びさえ感じさせるのだ。
……なるほど、褒められたり肯定された時の天狗達とはこうなのだな。
人だった頃は村長に何を言われようが特に何も思わなかったが、ぼくも鬼になったということだろう。
ぼくが感慨深く思っていると、漸く終わったのか二柱の神が此方に向き直った。
「まあ、色々あったが。正面から堂々と訪れたお前の胆力と諏訪子の威圧に簡単に呑まれない程の実力、
そうしてまで我々と交渉しようという熱意を、私と諏訪子は認め、歓迎するわ。
にしても……その天狗の娘もいつまでも失禁した装束のままというのも哀れだし、聞く限りでは大枝から此処まで走って来たのよね?
もう日も落ちる、今宵はここに泊るといいわ。巫女に部屋と湯を用意させるからついていらっしゃい」
「八坂神、交渉はどうなるのだ?」
「もちろん忘れていないわ。まあ内容の詰めはともかく、それは酒の席で、ね?」
「私も神奈子も結構強いから潰れちゃ駄目だよ? 交渉できなくなっちゃう」
「了解した」
からからと気持ち良く笑う八坂神に、ころころと幼可愛く笑う守矢神。
どうやら酒宴になりそうだ。
それもいいか、とぼくはつられて少し笑った。
カリスマ一部解禁しました。
完全に作者イメージな二柱の神ですが、皆さん的に違和感しか無かったりしたらどうしよう…
今日はもう一度更新します。では




