六七一年 9 十月十六日
※この話はノクターンに移動しました。
「伊吹の! そっちの首尾はどうだった?」
星熊のが三つの頚を掲げてこちらに手を振る。
男が一人に女が二人、どれも以前の戦闘で見たことある奴だ。
それはともかくとして、星熊のに報告するのが、気が重くて仕方ない。
約束を、守れなかったから。
「三体、配下の連中が殺されちゃった……」
「そっか……。あたしもだよ、五体も救えなかった」
静かにこつん、と拳を合わせる。
何だかんだ言っても私にとって星熊のは大切な友だ。
無事を実感できたこと、そして約束を守り切れなかったこと。
二つが重なって、私の眼には涙が滲んだ。
「おっと。鬼の大将が泣き顔を見せちゃ駄目だ。
ほら、胸張りな! 七十近く居た尖兵を八体の犠牲で殲滅出来たんだからな!」
「ぐすっ……そうだね!」
ごしごしと目を擦って顔を上げる。
いつの間にか配下の皆が私と星熊のを見ていた。
「ほら、何か言葉を掛けてやんな」
「わ、分かってるさ!
お前達、最初に私から言えるのはこれだけだ。約束守れなくて、本当にごめん!」
頭こそ下げないけど、だけど何だか申し訳なく感じちゃって、私は少し俯く。
配下の皆からもどよめきが上がった。やっぱ少し情けないよね……。
でも、ケジメはこれで付いたんだ。そう思い顔を上げる。皆、まだ私を一心に見つめていた。
「だけど、私は誇らしいよ!
不利な状況を、お前達は覆した! 侵略者共に、膨大な対価を払わせた!!
みんな、お前たちは本当の物の怪だ! 一騎当千の勇気を持った英雄だ!
消滅した八体も、この場に生還した九十体も、どいつもこいつも最高に私達の仲間だ!!」
歓声が上がった。
士気を高める雄叫びとは違う、勝利を祝う最高の美酒だ。
皆、掴みとったそれを掲げて、拳を空に向かって突き出した。
普段は寡黙な大天狗達もこの時ばかりは、と笑みを浮かべている。
「……さて、じゃあそろそろさ」
小さくつぶやいた筈なのに、皆の声はぴたり、と止まった。
私が何を言いたいのか察した連中が、卑下な笑みを浮かべている。
いいね、それこそ妖の者らしいよ。
「捕虜たちを、此処に並べよっか」
男も女も関係なく。
誰も彼もが声を上げる。
欲望の熱を貯め込んだ獣の声だ。
妖が妖たる本質の叫びだ。
「さあ、処刑と陵辱の時間だよっ♪」
**
オラッ、起きろ屑が!」
鳩尾に感じた衝撃。
呼吸が止まり、胃袋が反射的に内容物を吐きだそうとした。
「げはっ、ごほっ、ごほっ……、此処は……」
「やっと起きたのかい、眠り姫さんよ」
朦朧とする中、何者かに前髪を掴まれ無理やりに顔を上げさせられる。
次第に焦点が合うと、そこには何度呪っても足りない存在が、まるで邪悪に見えない笑みを浮かべ私を見ていた。
「貴様ッ、ぐうっ……!?」
「おっと、動かない事をお勧めするよ。あんたの肩は未だ粉々なんだからね」
飛びかかろうとした私は激しい痛みによって止まらざるを得なかった。
声の言った通り、見れば肩は完全に潰れていて、その下の腕もおかしな方向にひしゃげている。
そして手足には太い鎖と共に繋がれた枷があった。万全な状態ならばいざ知らず、今の私にどうにかできるとは思えない。
「……私をどうするつもりだ」
「そうだね。あんたは頭だし、それなりに何かに使えるかもしれないけど……」
「交渉の材料とされる位ならば、私は誇りある死を選ぶ!」
私の所為で御仏にご迷惑をかける訳にはいかない。
ならば下を噛み千切り自害する程度の気概も持っている。
そんな意も込め、私は小さき悪鬼を睨みつけた。
「おお、怖い怖い!
まあそんなことする気、こちとら端っから無いんだけどねぇ」
そう言うと鬼はけらけらと笑った。
私の周囲を取り囲む配下の悪鬼達も同意するように声を上げた。
「ま、それはこれからのお楽しみさね。おい、連れて行きな」
「はいっ! おらっ、さっさと立て!」
「あぐっ……! 貴様っ!」
背中に翼を持った大男が私を蹴りあげる。
明らかに格下の存在から振われるその理不尽な暴力に私は思わず牙を向いた。
「五月蝿い塵だね。吠える元気があるならこれくらいしてもいいよね、っと」
「があっ!!?」
それが小さな鬼の何かに触れたのか。忌々しげに私を一瞥すると、鬼はあろうことか、砕けた肩に、さらに殴打を加えてきたのだ。
布が擦れるだけでも痛みが走る肩に打撃が加われば痛みの程は言うまでもない。
立ち上がりかけていた膝から力がすっと消え、私は再び惨めに地へと平伏してしまった。
「あっはっは、惨めだねえ侵略者! ほら、さっさと立ちなよ!」
「ぐ……くっ」
情けない。この様な状況に追い落とされた事が既に情けなくて仕方ない。
あの小さな鬼を除けば、この場に私より格上の存在等居ないのに、それらに無様に笑われる。
満足に抵抗どころか立ちあがる事さえできない。
己が何処までも情けない。思わず私は涙を零した。
……駄目だ。折れてはいけない。
戦いからどれ程経過したかは分からないが、副官は今にも援軍を連れて来る筈だ。
それまでの間、私は耐え忍ばねばならない。
例え、どれ程の恥辱を味わわされようとようとも、心だけは強くあらねば。
繋がれた鎖がじゃらじゃらと音を立てる。
私は一体どこへ連れて行かれるのだろうか。
前を歩く大男は何も話さない。追随する小さな鬼やその眷属たちは私を侮蔑する笑みで見るだけだ。
「くふふっ、あんたはあの光景、どう見るかねぇ」
悪鬼が何か呟く。私は答えない。答
えたところで何も徳をしそうにもない。
「ありゃ無視かい、まあいいけど。おっ、聞こえてきたね」
楽しげに悪鬼が呟き、同時に聞こえてきたのは……。
『ひぎっ、止め、止めてぇっ!!』
『あっ、がっ、ぎぃっ……!?』
『ま、待ってくれ!』
助けを求める叫び、最早声ですらない苦悶を訴える響き。
命乞いをする男の声と、同時に響く何かを切り落としたような刃の音。一寸の後に聞こえるぼとり、という落下音。
見るまでもなく、何が行われているかは一目瞭然だった。
背中を一筋、冷たいモノが伝う。
逃げだしたい。枷を解き今すぐ都まで飛んで逃げたい。
そんな衝動にかられる。
嫌だ、進みたくない、連れて行かないでくれ!
焦りは顔にありありと浮かび、ソレを見た小さな鬼の顔が愉悦に歪む。
「……怖いかい?」
「ひっ」
「ふふ、怖いんだろ? だけど、残念。お前ももうすぐ、ああなるの」
指された先には、部下の尖兵が一人。
光彩を失った虚ろな瞳に既に生気は無く、茫然と宙を見つめたまま“狗”に陵辱されていた。
「やだ……嫌だっ!」
「いいね、いいよ、そんな悲痛な叫びも上げられるんだね!
でも、だーめ。あんたもああなるの。
嬲られて犯されて尊厳も徹底的に踏みにじられてから
──寸刻みに足から挽肉になっちゃうの」
彼女達が浮かべる表情は、愉悦。
「げぇっ、うげえっ」
たまらず私は視線をそらし嘔吐した。
空っぽの胃から酸っぱい液体がとめどなくせり上がる。
「いいね、皆やってるねぇ」
「……この、鬼畜外道がっ!」
たまらず吐き捨てる様に言う。言わずにはいられなかった。
真っ当な神経の持ち主ならこんなこと、できる訳が無い!
「鬼畜? あんた、今そう言った?」
「ああ、貴様等の様な存在はやはり殲滅されるべきだ!」
「へえ……ふうん。ねえ、あんたはなんで私達がこんなこと、平気で出来てるか分かって言ってんの?」
「そんなこと、貴様等の存在が害悪だからに」
「黙れよ侵略者。私みたいな生粋の鬼はともかくとして、知ってる? 河童って温厚で友好的で、人間の事を盟友なんて言っちゃう種族なんだよ?
まあ偶に尻小玉抜いたりするけど、そんなの戯れみたいなもんさ」
怒りに顔をゆがめた幼い鬼が迫る。
「そんな温厚な彼等はね、住んでた土地を追われたんだよ。酷いよねえ、人間と共存してたのにさ。
なんちゃら四天王とか名乗った侵略者に、暮らしていた泉と仲間の七割を干物にされた上でね。 どっちが鬼畜なんだろうね、侵略者。唯住んでた私達と、それを奪い同胞を殺したお前達。
ねえ、どっちが卑怯者でどっちが外道なんだろうね」
言い返せないままうつむく私に、鬼は構わず言葉をつづけた。
「まあ、もうどうでもいいんだけどね。戦争ははじまっちゃったんだから
──さあ皆、主賓の登場だよ! 歓迎してあげよーね!」
私は唯の尖兵の一人だ。
小さな鬼の問いになど、もちろん答えられない。
だが、一つだけ言えるとすれば。
悪夢は、まだ始まったばかりだ。
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