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東方史萃譚  作者: 甘露
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六七一年 4 十月十五日




 六七一年 十月十五日




***



「忌々しいっ!」


吐き捨てるように俺は悪態を吐いた。

大王は結局寺院を取壊す事も、普及緩和も受け入れることは無かった。

百万の民の信仰を守りたい、各地に神代から伝わる八百万の神々を大切にすべきだ。


尤も、結局はそれも、俺の勝手な理由付けでしか無かったのだから当然ではあるが。




俺は、怖いのだ。


──俺の身体には、神武帝の時代から流れる王族の血が、一滴も流れてはいない事実が。

それをあの兄君に知られる事が。

そして、王族を追われる事が、いや、命を奪われる事が。


母君から事実を聞いた時、俺は直ぐ様に後悔をした。

知りたくなかった。知らないままでいたかった。

知らないままで居たならば、俺は何も惑う必要など無かった。

知らないままならば皇位継承争いから静かに身を引き、母君に拾われたという幸運を甘受しながら余生を静かに過ごす積りで居た。

だが知ってしまった俺に、そうすることは許されなかった。俺が選べなかった。

いつ訪れるか分からない失脚の時に怯え、卑しい身で王族を語った罰を受ける夢想に囚われた。

だから俺は己が強くなることで身を守ろうとした。

全てを手に入れられる程に。そうすれば、失う事は無いから。

大王の地位に、俺が届けば……。


だから俺は神々を信仰し、産土の神や氏神を敬愛し、妖に祈りを捧げる。


物心ついた時から、俺の中で僧とは利益と欲望に動かされる生々しい“人間”の事を指した。

経をあげよう、だから報酬を沢山払え。

教えを授けよう、だから寺院を作れ。

何処にも、そんな姿に俺は助けを求められなかった、救いを見出せなかった、信じられなかった。


本当は全てを吐き出したかった。

……が、人間に、それを向け吐き出すこと等出来やしなかった。

仏に仕える人間、という彼等があれほどまでに穢れに塗れているのならば、他の人間はどうだろうか。


決まっている。俺も含め皆が皆、腹の底まで煤けていやがる。

どいつもこいつも、嘘と憎悪と欲望で染まって先も見えない程に真っ暗だ。



だから俺は神々を信仰し、産土の神や氏神を敬愛し、妖に祈りを捧げる。


決して姿現わさぬ彼らなら、誰にもそれを零す事無く。

空に、土に、風に、岩に、炎に、大木に。

全てに宿る彼等ならば俺を誰からも守護してくれるであろう。


しかし、兄君の進める愚かな策はつまり神々を殺し、そこに人間が透け変わろうとしている事だ。

欲望の法衣を纏った僧侶共に、俺に加護を下さっている神々を陵辱させるという事だ。


我ながら信じられない程の傾倒ぷりである。

普段は斜に構え“自称”ではあるが合理的を好む人間の内心とは到底思えない。

兄君に内心の一部を露見させた時の、あの時の驚き様もまあ納得できる。

主観的に見れば人が替わった様な豹変模様だろう。

仮にも謀略に身を置いてきた人間としては笑えてしまう程最低だ。



そこを、兄君に突かれた。

以前抗議をした辺りで、もう奴は気付いていたらしい。

王族に卑しい血は要らない、という事なのか。はたまた己の子である大友に皇位を譲りたくなったのか。


幸い能力だけはあった俺は、奴に認められたから皇太子の地位を得ていた。

が、それを先ずは無に帰そうというのだろう。



明後日、大友皇子は、太政大臣の地位に就く。



そして届いたのは式典への招待状。

明らかに俺へ情報封鎖をおこない、徹底的な根回しの上での此度の行動だ。


太政大臣への即位と、俺の出生が発覚している事。

この二つを足すと、答えはおのずと見えてくる。


明後日、俺は“不慮の事故”で死ぬのだろう。

泊る館が火事になるのか、はたまた道中で偶然盗賊に襲われるのか。

最悪なのは出生を大声で宣言されてその場で粛清される事だ。

俺の名は百生の後まで王族を語り十数年も周囲を欺き続けた史上最悪の詐欺師として残るだろう。


しかし、だからと言って出席を拒否できるだろうか?

それこそあの兄君の思うつぼだ。


何故参加しない、あ奴は何か良くない事を考えているのでは、そう言えばあ奴は不確かな産まれ、ならば奴は謀反を企んでいるのだ、よし殺してしまえ。


実に単純だが、なんということか。こと俺に関してはしっかりと筋が通ってしまう考えだ。

では抵抗するとして、現状の俺の力で動かせるのは、数名の直臣と女官、目を掛けてやっている平民出の武官が数人程度のものだ。

美濃の豪族達はもしかすれば動いてくれるかもしれないが、一週間後に都に着いた頃には身体と泣き別れした俺の首位しか出迎えられないだろう。

力が足りない。


せめて、あと一ヶ月早く太政大臣の件を知れていれば。

直前まで伝わらなかった、という事を考えれば俺の弱さが良く分かる。

俺の側に居る人間が完全に把握されているのか、それとも何処かに裏切り物が居るのか。


或いは、最早俺の味方など──。


「大海人皇子様? 庭など眺められてどうなされましたの?」

「っ、……いや、何でもない。それより、どうした讃良姫。讃良がこの様な時間に私の処へ」


そうだ。讃良姫と、もう一人。この二人は、二人だけは俺の味方で必ずや居てくれる。

俺の出生を知って尚、一歩たりとも離れることの無かった二人ならば。


『私は大海人皇子様の地位を愛しているのではありませんっ、あ、貴方様を愛しているのですっ』


他の妃とは、まともに口を聞いた事すらない様な者さえ居るが、誰よりも俺に近いこの姫ならば。

──可笑しなものだ。姫の父であり、俺の兄である人物に殺されそうになっている最中で、最も信頼を寄せるのが俺を殺そうとしている奴の娘、とはな。


「嫌な、予感がしましたの。……ほら、今みたいな怖いお顔をなさって。

 まるで、皇子様が何処か遠くへ行ってしまう様な、そんな予感が」


女の勘、という奴なのだろうか。

思わず漏れ掛けた声をぐっ、と無理やり飲み込み、俺は極力笑顔を浮かべながら答える。


「今日は、いつものように頬を染めながら刺々しい言葉を言わないのだな」

「茶化さないでくださいませ! 私は、私はっ!!」 


どうやら余り意味は無かったようだ。

ずい、と身を乗り出した讃良姫は俺の着物の胸辺りを掴むと声を上げた。

が、一瞬で冷静に戻ったのか、パッと手を離し俺から距離をとってしまった。

寄り添う様な距離だった俺と讃良姫の間に出来た腕の長さ程の隙間。

それが何処かもの寂しくて、俺は少し困ったような笑いを自分に向けた。


「あっ……、申し訳、ありません……」


何を勘違いしたのか、蚊の鳴くような声で謝罪をする讃良姫。

いつもなら、さらに『お、皇子様が悪いんです!』くらいは言いそうな物なのだが、本当に元気が無い。


「ですけれど、私は、私は……貴方様が本当に心配で」

「……済まない、心配を掛けた様だな。どうせ讃良姫には隠せ通せない、か……」

「やはり、何かあるのですね……」

「ああ。大友皇子が、太政大臣の任に着くこととなった」

「っ!! で、では……皇子様は」


やはり彼女はとても賢い。

これだけで理解をしてしまう彼女が、女でもったいないと思うと同時に、なんて良き妻なのだろうか、と俺は思う。


「ああ。式典に呼ばれた」

「行ってはなりませんっ! 父は、父は!」

「分かっているさ。だが、私がそれを知ったのは、なんと今日だ。分かるか、もう、時間さえ私には……」


意識せず下唇をかむ。

切れた唇から伝う血が顎を流れ、着物に一つシミを落としすと、それは暗く柔らかく拡がった。


「……っ、父上、貴方という方は……っ!」


強く握られた讃良姫の珠の手に、健康的な薄桃色の爪が喰い込む。

それは容易く皮膚を突き破ると、朱色の一筋を残しながら伝い落ちた。


俺は慌て唇から伝う血を拭うと、讃良姫の手を取った。


「姫、己を傷つけては駄目だ」

「あ……」

「私が……俺が守るから。傷一つ付けさせないから。何も心配せず、傍に居てくれ。

 己で傷つけるなんて、俺の所為で自傷するなんて、絶対に駄目だ」


……一瞬で冷静に戻った俺は、直ぐ様に激しく後悔した。

何だ今の俺は。恥ずかし過ぎるだろう! 部下が何処かで見ていたらそれこそ自害モノだ。

しかし、空気を変える位には役に立った様で。


「……ぷっ、くふっ、ふふふふっ」

「酷いな、笑う事は無いだろう」

「いえ、皇子様からそんな風に情熱的に言われるなんて、思いもしませんでしたの」

「いやいや、己で言うのも可笑しなものだが、我ながら軽薄で格好付けた台詞ばかりを吐いていたと思うが」

「ふふっ、そうですね。でも、こんな大真面目なお顔で、お手まで取られて」


言われ視線を落とせば、未だ握られたままの讃良姫の手。

俺は慌て手を離す。


「そ、そのこれは決して変な意味とかでは無くてだなっ」

「皇子様、いつもと台詞が逆ですの。それは私の台詞、気障な台詞は皇子様の担当」

「うーむ……讃良姫は常日頃からこんな辱めを受けておったのだな……」

「あら、お分かり頂けたのですか?」

「そうだな。悶える様は見る分には楽しい、という事も理解できた」


肩を竦めておどけて見せる。

姫は愉快そうにくすくすと笑った。


「まあ、皇子様は私が辱められている様を見て喜んでおられたのですね」

「それはそうだ。何より、頬を染め気の強い言葉を吐く讃良姫は飛びきりに愛らしいのでな」

「っ……! ま、また斯様なお戯れを! そうやって私をいぢめる皇子様なんて嫌いですっ!!」

「やはり姫はそれが一番可愛らしいな、くくく」

「~~っ!! もう、皇子様なんて知りませんっ!」


そう言うと、口をへの字に曲げぷいと背を向ける讃良姫。

……今日の俺は少しどうかしているらしい。

拗ねる讃良姫を、俺は背後から抱きすくめた。


「きゃっ!? お、皇子様!」

「……絶対に、讃良姫は俺が守って見せる。そなたは、俺だけの妻だ」

「っ…私も、貴方だけのもの。永久に、例え天地が裂けようとも、私は貴方の妻でありとうございます」


打算だとか、政略だとか。

そんなものは何処かに消えてしまった。

ただ、この小さな手の愛おしい女子を守りたいから。


……やれやれ、俄然死ぬ気も諦めも無くなっちまった。

しかし、どうやって生き延びるべきか。


「……皇子様?」


と、どうやら、殺伐とした思考はいとも簡単に伝わってしまったらしい。

最後に鋭く視線を辺りに飛ばすと。



「何でもない」

「あっ……、この様な場所で……やぁっ……」

「良い」



何者でも、近江でさえ、この一時だけは邪魔など出来ぬ。


考えろ、俺。生き延び、未来を勝ち取る道を。

勝ち取る為ならば、俺は悪鬼羅刹に魂を売ることさえも厭わぬ。


そう、修羅となろう。



**



「……居るのだろう。出てこい」


静かな寝息を立てる讃良姫が隠れる様に簾を下ろすと、俺は太刀を抜いた。

いつ頃からだろうか。

視線が、どの方位からも突き刺さるような視線が感じられた。


それはあっさりと勘づけるのに、敵意や欲のこもったものではない。

徹底的に観察する様な、まるで己が籠の中の雀にでもなったかのように錯覚させる様な、そんな視線だ。


そこから考えられる存在は、圧倒的な実力を持つ刺客。

或いは人を人とも思わない様な気違いか。


「そこに居るのは分かっている! 出てくるがいい!」


恐らく、俺はここで死ぬ。

たしなむ程度に剣術も会得こそしているが、全方位から視線を感じる程に溢れ出た暗殺者をさばき切れる程変態的な達人でも無い。

恐らく警備の人間など呼ぶだけ無駄なのだろう。

せめて、姫だけは守りきりたいが、それも果たして叶うかどうか。

辱められるくらいなら、いざとなれば俺が彼女を楽にしてやる事も考えねばならない。

好いた女子の首を挙げる、など最悪だが。


「……何時から、ぼくに気付いていた?」


答えたのは殆ど普通の若い男だった。

ごくありふれた、普通の農民の普段着をすこし良くした程度の麻服身を包んだ普通の青年。

異常なところがあるとすれば。


──その衣服が、てらてらした赤茶色に染まっていること。


農民の服が赤い? 赤の染料はとても高価な花だ。あり得ない。

何より、赤茶に染めた服、等聞いた事も見た事もないし、光沢を放つ服なんて神代の空想でも無ければ登場すらしない。

いや……見たことがあるとすれば一つだけ。戦帰りの人間の、血染めになった服だ。


……つまりは、この男はそう言う人間だ。

服を、血で染めきってしまう様な、そして今まさに誰かを弄り殺した足で此処へ向かう様な、正気から遠くかけ離れた殺人狂だ。


どうするか。俄然勝機は遠ざかった。

しかし不思議な事に、この男が現れた瞬間から視線も消失した。


この男さえ倒せれば、或いは。

俺はそう思い、諦めかけた刃を再び突きつける。


「無駄だ、人間。お前はどうやっても、ぼくには勝てない」

「やってみなければ、分からない。慢心は足元を掬うぞ」

「慢心だと? それは、ぼくと対等になってからほざけ、人間風情が」


精一杯の気勢を張った声と殺気は、まるでそよ風を受けるかのように流された。

向こうは無手、俺は一歩動けば首を刈りとれる距離に来ているというのに。

何か策があるのか。それとも圧倒的自信があるのか。

後者ならば、俺にもまだ好機はある。


──そう、一瞬でも思った俺はどう考えても愚か者だ。



「……な、嘘……だろう……?」

「さて、問おう。どこに慢心がある」



紙細工を破り捨てるように、鉄で鍛えられた太刀は、横に千切られたのだから。


「お前……いや、貴方は……」


無意識に口から言葉が滑り落ちる。

俺は、俺は……出会ってしまったのだ。

ただ逃げ道として信仰という仮面をかぶっていた、大和に息づく神々に。


「喜べ、人間」


青年の姿をしたそれが、静かに言葉をつづる。

それが合図だったかのように、二人の白と黒の大翼を持った絶世の美女が青年の姿をした何かの横に降り立った。

見惚れるしかない、完全な造形美。顔立ちの方向性は異なるが絶世だとか、傾国だとか、そんな言葉でしか言い表せない、美女。

恐らく神なのであろう鉄さえ指先で引きちぎる青年と、両脇で侍る白と黒の絶世の美女。



思考が停止した俺に、冷水を被せるように。

静かな、だが一語一句聞き落とさせない様な言葉が、俺の脳漿へと響いた。



「お前の信仰は届いた。

 ぼくがその望み、叶えてやろう」




**


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