六七一年 2
「一刻だけ待ってくれ」
大枝のはそう言って、またねぐらに戻って行った。
『それともう一つ。算術の出来る天狗は居るか? もしくは今までの詳細な記録を取っている天狗は』
一人だけ、真白のの部下の鴉天狗を連れて。まだ生まれて十数年だけど人一倍好奇心の強い奴だ。
ついでに情報を纏めるのが大好きで暇さえあれば筆を持っているという変わり者でもある。
そんな天狗を連れて、大枝のが何をするかは分からないけど、さっきまでの陰鬱な感じは無くなって、
十年前みたいな、ううん。あの頃よりも、もっとずっと堂々として威風堂々とした大枝のの背中に、
柄にもなく胸がきゅんとして、大枝のがまた籠っちゃうなんて発想は浮かびもしなかった。
大枝のは、本当に鬼になったんだと思う。
誇り高くて、傲慢で、嘘を付けない。そんな私達と本当に同じ鬼に、大枝のはなったんだと思う。
それが嬉しくて、そんな気高い存在に求められている自分が何だか誇らしい。
少し傲慢かもしれないけど。
と、それは置いといて。
「星熊の、あんた……惚れちまったってどういう事さ!」
「やれやれ、言うと思ったよ。惚れちまったってのはそのままの意味さね」
「そう言う事聞いてるんじゃないやい!」
「何さ、文句あるならかかって来りゃいいだろ」
そう言うと星熊のは、私にはないばいんばいんのおっぱいを腕で強調してきた。
こいつ殺してやろうかしら。
「がるるる! 卑怯だぞ!
大体あんたが大枝のをどうにかして引き摺りだすのにヤケに協力的だとは思ってたんだけど……。そういう事だったんだな!」
「まだ文句あるのかい? それに、誰かを決めるのは大枝のの仕事だしねぇ」
身長差もずっとある所為で、上から私は見降ろされた。
生まれた年は殆ど変わんないのになんだよう、この格差。
「あ、あの、お二人とも落ちつい」
『五月蝿いわ天狗風情がっ!!』
何か五月蝿い羽虫みたいなのが口を挟んできたが、何故か息のあった私と星熊のに殴り飛ばされた。
おうおう、毬みたいに飛んでらぁ。
「尤も、あたしみたいな女性らしさ溢れる出るところは出て締まる所は締まったのと、その寸胴つるぺったんじゃ、ねぇ?」
「むっかちーん! ……あんたしってるかい、男ってのは敷物と女は若さ溢れる方が好かれるんだよ?
すると、あんたみたいな熟れ過ぎ垂れ乳だと……まあ、気を落とさないでね?」
「へぇ……ションベン臭いなりしてる割にゃ言うけど、そう言うのはおねしょを卒業してから言ったらどうだい?」
「はっ、何言ってんのさ、あんたこそ年の所為で尿道緩くなってるんじゃないのかい?」
「なんだとちんちくりん!!」
「やんのか更年期!!」
「ふぇぇ……お二方ともあんまりですよぉ……。そんな下らないことでとばっちりしないでくださいよぉ」
相変わらず頑丈な真白のがよろよろと戻って来た。
割と本気だったけど無事だったらしい。
しかし聞き捨てなら無い単語が聞こえたね。
「真白の、あんた今なんて言ったんだい? 良く聞こえなかったからもう一度言えよ、なあ伊吹の」
「そうだねぇ。私達によぉ~く聞こえるように言ってくれないかい?」
いたって真剣なこの争いを、下らないなんて言った真白のは、ちょっとばかしお灸をすえねばね。
星熊のも同意見らしい、ここは一時休戦だね。
「ひゃうっ!? ……いやいや、ここで負けちゃ駄目だよ私、頑張れ私、勇気持て私……」
「どうした? 早くあたしに聞かせてくれよ」
「っ、く、下らないって言ったんです!」
「うーん、聞こえないねぇ。どうだい星熊の」
「あたしゃ蚊の泣く声かと思ったよ」
「ふぇぇ、さっきまで本気で喧嘩してたのになんですかぁ、その連帯感はぁ」
真白のがマジ泣きし始めた。
少し苛め過ぎたかね。まあだからと言ってお仕置きは止めないけど。
「さて、あたしらに土下座しながら現世にお別れをする準備は済んだかい?」
「済みませんよっ! それに私が下らないって言ったのにはちゃんと訳がありますからっ!」
「と言ってるけど、伊吹の」
「下らなかった焼き鳥にしちゃおうよ、星熊の」
「そりゃいいね。今夜の肴は名のある天狗の焼き鳥さね」
そう言うと真白のは羽で身体を覆い隠す様に包まって、身を小さくして震えだした。
「ふぇぇ、未来が勝手に決まって行く理不尽を感じますぅ……」
「世の中そんなもんさね」
「理不尽に溢れてるもんさ」
「お山に引きこもってるお二方に世を説かれた!?」
どうやら天狗は益々死にたいらしい。
「誰が引きこもりだ! こりゃお仕置き三割増の特売日だね。星熊の」
「原価割れ起こしちゃうねぇ。伊吹の」
「そんな大売り出ししなくても良いですよぉ」
「可愛い部下のためさ、あたしらも損する覚悟だけど仕方ない」
うんうん、と頷き合うと真白のは声を荒げて突っ込んできた。
さっきから一人騒がしい奴だ。
「その覚悟は要らなかったですっ!! というかお願いですから弁解させてください!」
『……チッ』
「また息ピッタリっ!?」
「でー? はやくー私にー弁解とかーきーかーせーろーよー……」
「一気にやる気が無くなりましたね!?
……あ、ではやっと機会を頂けた様なので卓越ながら」
「卓越とか分かってるなら黙ってりゃいいのに……」
思わずぼやくと、泣きそうな表情で真白に睨まれた。
「お願いです口を挟まないでくださいお願いします。
えー、こほん。では私が下らないと言った訳ですがね。
要はお二方は大枝様の妻にどちらがなられるか、そう言う争いをなさっている、という事ですよね」
「そうだね。で、これのどこが下らないって言うんだい?」
内容をしっかり理解しているうえで下らない、ってことはつまり真白のは私達を軽く見てるってことだよね。
……殺るか。
「お願いします落ち着いてください。
そりゃ、これがお二方には重要過ぎる問題だということは重々承知しておりますよ、ええ。
ですが、私はこう思うのです。何故一つの椅子を取り合うのか、と」
「真白、頭は大丈夫か? それともあたし最近働かせ過ぎた?」
「あの、本気で同情する視線は勘弁してください。伊吹様もドン引きしないでください。
いまさらですが、大枝様は元々強い鬼で、この件でまた一段と見違えるように成長なされましたよね。
つまりそれは、確認するまでもなく大枝様がこの群れの頭とお山の主の一体に相応しい、という事ですよね」
「そうさね」
「当然でしょ」
私達がそう答えると、真白のは大きく頷いた。
「ならば、大枝様が複数の妻を持ったとしても、何の問題もないとは思いませんか?」
『……あっ』
「あのお方はお二人が認められる程強いお方ですよね? もし大枝様が弱かったり力が無かったりするならば話は別ですが、
お二人に認められたという事は、大枝様はそれほど強い雄であるという事。
ならば強い雄が複数妻を持つ事くらい、当然と言ってもいいお方ということですよね」
確かに。風のうわさ程度だけども、何処でもてっぺんに立つ強い奴はみな多く情人を侍らせてるらしいし。
それこそ人間のてっぺんの大王とかいうのから、私達より断然強い神々まで。
なら大枝のが私と星熊のを侍らせても、うん。何も問題はないね!
……少しだけ、独り占め出来ない事が不満だけど。
「成程ねぇ……」
「発想の転換だね。私そこまで頭回らなかったよ!」
「ご理解、頂けましたでしょうか?」
「確かに。するとあたしらは二つある椅子の内の一つを奪い合って喧嘩してた訳だ」
「だから下らないなんて言えたんだね。知ってて見てたら滑稽だもんねぇ、そんな私達の様」
「はい、ご理解頂けた様でなによりです」
真白は明らかにほっとした様子でそう言った。
「へぇ。真白、つまりあんたはあたしらが滑稽だったって言いたかった訳だね?」
「へっ? いえ決してそう言う訳ではっ」
「いやいや、伊吹のの言葉に肯定したってことは、あたしらが滑稽だってことじゃないか」
……どうやら星熊のの真白弄りはまだ続くみたいだ。
助けを求める視線を誰彼構わず送る真白のだけど、部下の天狗もお山の妖怪も皆揃って目を逸らした。
遂には私のところにまで視線を送って来たが、私は笑顔で『さよなら』って手を振った。
……さて、大枝のが出てくるまで本気で泣きそうな真白のでも肴にしてお酒でも飲むかねぇ。
最近余り聞かなかった馬鹿騒ぎの喧騒が、私にはどうにも心地いい。
こりゃ、思ったより早く酔いが回りそうだねぇ…………。
**
ねぐらの中は、それは酷いあり様だった。
つい先程までぼくは、その光景に何も思わなかったのに、今一度見返してみれば酷さがぼくの眼に付いた。
血で壁は染まりきり、そこらじゅうに腐りかけの死体の一部が転がっている。
臭いもひどいもので鼻が曲がりそうな悪臭だ。なぜぼくはさっきまで何も気にならなかったのだろうか。
というかぼくは今、多分凄い体臭していると思う。こんなところに一年も居たら、体中に死臭がしみ込んでしまいそうだ。
本当に、ここは鬼の住処、と言った感じだ。
尤も、ぼくらの様な鬼でなく、卑しい餓鬼の方の鬼であるけれど。
骸を蹴り飛ばし、血だまりを踏み抜く。
ずんずんと最深に向かうにつれて、臭いは益々キツくなる。
もうすっかりぼくの鼻は麻痺していたから実際は分からないけど。
なんて言うか、臭いが目に染みる感じだ。
そのまま暫く進み続けて、しばらくの後。
十年慣れ親しんだ、白の身体が安置されたそこにぼくは辿り着いた。
十年間変わらず腐る事もなく、変化する事もなく、ただそこで、静かに眠る白の頬を、
ぼくはひたすらな愛情と、心からの謝罪を込めて一つだけ撫でた。
温度の無いその柔肌は絹みたいに何処までも白。
血で染まり、重なった年月で節くれ立ったぼくの両の手とはまるで別の物質。
白を免罪符に利用したぼく自身の罪を、あの時白を助けられなかったことを、そして今この瞬間も白を起こしてやれないことを。
ほほに添えた手を離せないまま、ぼくは謝り続けた。
ぼくの中でごちゃごちゃに混ざりあってしまったその感情は、いつの間にかぼくに一つ涙を流させた。
最悪だ。鬼らしくない。強くない。此処に二人が居なくて本当に良かった。
……涙も、これで見収めだな。
そんな思いを抱えながら、ぼくは漸く、白の頬から手を離した。
「これから起きた事は、誰にも語ってはいけない。分かったか?」
「ひゃ、はいっ!」
何やら緊張しているらしい。黒い翼が忙しなく揺れている。
そんな返事を返した天狗を一瞥すると、ぼくは視線を白に戻した。
そして白の顔に、一片の傷もつけないように、優しく、ゆっくりと、
ぼくは、白を食べた。
物言わぬ躯の筈なのに、白が苦しんでいるような気がして。
何かに急かされるように腕から肩へ、肩から胸元へ。
やがて首元まで食べ終えて、残ったのは眉一つ動かない白の顔。
さらさらと長い髪の毛が、ぼくの腕をくすぐって。
『兄。撫でて』
嗚咽が漏れた。ひざが崩れた。とたんに涙があふれた。
白の首を抱いたまま、ぼくの涙は止まらなかった。
ぼくは駄目な鬼だ。
まだ、ぼくはどこかが人間らしい。
**
『二つの話に関連性がこれっぽっちも見えねぇ。前が見えねぇ』的な意見を頂いたので六七〇年の記事に少し追記しました。




