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東方史萃譚  作者: 甘露
13/40

六七一年




***




  六七一年  夏




***



直らない。直らない、直らない直らない直らない!!

何度やっても駄目、誰を使っても駄目! どうして、どうして直らない! どうしてぼくの白が直らない!!」


ぼくは頭を掻き毟った。

今回攫って蓄えていた材料を全部使っても駄目だった。

身体を作っても、二日すれば足した部分は腐りだす。

死体を動かせることがぼくの力だったはずなのに、心の臓と肉体をそろえても脳が起動しない。

ただ何時までも腐らず残り続ける白の死に顔と前にのばされた片腕がぼくを苦しめる。


ぼくはひたすらに人間を、余所の妖怪を、仏門の尖兵を攫い白の身体を作り続けた。

もう何人殺したか、もう何人喰ったか。五百を超えたところでぼくは数えるのを止めた。

何日昔のねぐらに籠っていたのか。日付の感覚が曖昧になっている所為で分からない。とりあえず結構日は経っている筈だ。


そろそろ、外に出てみよう。材料もなくなった事だし。

ぼくは重い石の扉をゆっくり開く。

ごうんと轟かせながらそれを開けると、ぼくの眼に一面の緑が飛び込んできた。

はて、前に入った時にはまだ春先だった筈だが……。


「大枝の……」


きょろきょろと景色を見回していると、腰辺りの低い所に何か柔らかいものが抱きつき、久々な声が聞こえた。


「伊吹の、久し振り」

「っ…久し振りじゃないよ馬鹿!」

「ん? ぼくと伊吹のは久し振りじゃないのか?」

「伊吹の、やめときな」


伊吹のの良く分からない挨拶を後目に、ぼくは星熊のに声をかけた。


「久し振り、星熊の」

「……こりゃ、本格的にどうしようもないね」


はて。星熊のまで何を言っているのだろうか。

それに、挨拶をしたのに挨拶を返されないのは少し寂しい。


「何故挨拶を返してくれないんだ?」

「あー、すまんすまん。久し振り、大枝の。とりあえず身体を水で洗ってから、話はそれからだ」


水で洗ってこい、ということはぼくはよっぽど酷い格好をしてるか、よっぽど酷い臭いをしてるかだ。

はて、そこまで酷かっただろうか。


「酷いなんてもんじゃないさね。人食いの妖怪共まで皆あんまりな姿にビビっちゃってるよ」

「なるほど、だから犬は目を回しているのか」


ぼくの全身が余りに血生臭過ぎて。

というか何故、ぼくの内心を星熊のは読めたのだろうか。


「いや、あんたは考えが顔に出るからねぇ。

 まあ今回の籠ってる内でそこまで変わっちゃって無くてあたしは安心したよ、あはは」

「分かった。とりあえず身体を流してくる。伊吹の、離れてくれ」

「……やだ」

「やだじゃない。離れてくれ」

「ぜったいやだ」


伊吹のがこんな事を言ったの、初めてじゃないだろうか、とぼくは思った。


「何故だ? これじゃあぼくは身体を流せない」

「………………やだ」

「やだ、じゃなくてぼくに理由を教えてくれ」

「やだったらやだ!! 

 そんなこと言っといてどうせまた七日もしたら一年以上閉じこもっちゃうんだろ!!

 なら私絶対離れない!! 十年間で合わせて二十日しか一緒に居れてないんだぞ!

 私寂しかったんだぞ!! めちゃくちゃ寂しくて! お前が私の中に勝手に入り込んでいるから!

 だから私他の何かで穴を埋めようとしたのに全然埋まらなくて!!

 だから離さないぞ、離れないからな! ばか、馬鹿、ばかばかおおばかくそまぬけの朴念仁!」


ぽかぽかと、これっぽっちも力のこもって無い拳で胸を殴られた。

目からは大粒の涙が落ちて、ぼくの赤茶に染まった着物を濡らした。

助けを求めるように星熊のを見ると、何故か酷く怒った様な顔でにらみ返された。


「あたしも、そこまで熱々じゃないけど概ね同意見だねぇ。

 大枝の、あんたさ、後悔して何とかとか十年前に言ってたけど、あの時から何も変わっちゃ居ないよ」


怒気を全身から滲ませながら、星熊のが近づいてくる。


「そんな訳が無い。あの時失態を犯したから、ぼくは頑張った。

 ぼくはまた後悔したくないから、白を直したい」

「この、ド阿呆がっ!!」


星熊のの拳が、ぼくに突き刺さって撃ち抜いた。

上から頬を殴られたぼくは、くるくると中で回ってその場で無様にへたり込んだ。

腰に掴まったままの伊吹のを下敷きにしなかっただけ上出来じゃないだろうか。


「あんた、自分がどれだけのもの背負ってるか、分かって無いのかい?

 お山も、妖怪たちも、あたしら鬼も、皆背負ってるんだ、あんたも背負ってんだ! あたしらで背負ってるんだ!!

 それに皆で暮らす為の宮を作ったのも、妖怪たちに力を付けさせたのも、ここで生き残る機会を与えたのも、全部あんたなんだ!!」


ぼくは何も言えないまま、星熊のが紡ぐ言葉を聞いていた。


「お前は鬼だろう!! 誇り高い鬼だろう!! あたし達を纏める様な強い鬼だろう!!

 それがなにさ、過去に後ろ向きで縛られて、音の届かない穴倉に逃げ込んで!!

 悲しむなとは言わないけど、それで、それでお前がすり減っていくのを見るなんてっ!!

 お前はっ、全部を放り出そうとしてるんだよ! 卑怯者め! そんなのは人間の薄汚い嘘と同じくらい最低だ!!」


不意に星熊のの目元で何かが光った。

……涙だった。


「星熊の……」

「っ!! 訳分かんないよ……なんであたし泣いてんのさ……。どうして……どうしてっ……」


「私達は、皆不安なんです。

 大胆不敵な伊吹様がいて、威風堂々とした星熊様が居て、その後ろに寄り添う様に、だけど不思議な空気で皆に安心を感じさせる大枝様が居た十年前。

 お山の頭領達は常に私達を少々強引に引っ張って、気分屋でも強敵には真っ先に立ち向かう。

 そんなお三方が揃っていらっしゃることで、私達はどこか安心するんです。それはきっと、星熊様と伊吹様も同じで」

「真白の……」

「お久しぶりです、大枝様。これでも最近は天狗達の長なんて呼ばれてるんですよ」


いつの間にぼくの傍に来たのか、一段と羽が立派になった真白のがいた。

以前は感じたどこか自信なさげな様子はほとんど見られなくなっていて、ぼくは素直にそれに驚いた。


「大枝の」

「なんだ、伊吹の」

「お願い、お願いだから、ねぐらに戻らないで」

「それは……」


ぼくは、まだ白を直してない。


「もう止めてよ……大枝のがすり減る様なんて、誰も見たくないんだよぉ!」

「お前は気付いてないかもしれないけどな、あたしらは気付いてるんだ。

 大枝のがねぐらに籠って、出てくる度にあんたが壊れて出てくることに」


真っ直ぐに、四つの赤い瞳がぼくを見つめた。

なんだかくすぐったくて、少し嫌な気分だ。


「お前たちこそ、鬼らしくない」

「っ!」

「……」

「伊吹のは、何時の間にいつまでも同じ事に縋る様な女々しい奴になった。星熊のは、何時の間にこんな弱い雄にいつまでもこだわる様になった

 そんな姿鬼じゃない。そんな鬼は居ちゃいけない」

「それはっ!」


ぼくの言葉に、伊吹のが身を乗り出して反論をしようとした。

だけどそれは星熊の出した手に止められた。


「……大枝の、あんた本気で言ってるのかい?」


殺す気さえ滲ませて、星熊のはぼくに問いかけた。

ぼくはそれに、静かに頷いた。


「そうだ。白を失って、ぼくは分かった。

 ぼくは、弱い人間のままだ。身体だけの、紛い物の鬼だ。

 ぼくの心は何時までも白を取り戻したいだけなんだ。

 だからぼくは、弱い白にいつまでも拘って、何時までもすがり続ける弱い鬼だ」


伊吹のと星熊のに向けた言葉は、つまりぼくへと向けた言葉だ。

自分がどれだけ弱いか。自分がどれだけ鬼でないか。

言葉にする程、一語一句刻む程それが露わになる。

それはどうしようもなく隠しておきたい鬼のぼくの恥部、だけどそれは白との繋がりをまだ残すぼくの大切な一部。


「ぼくを嘲笑え。 いつまでも白に取り憑かれたぼくを嘲笑しろ。

 ぼくが頑張ったのも、ぼくが頭になったのも、全部ぼくの為だ。

 ぼくが白を直したいから、強くしたんだ。ぼくが白を直したいから、安全にしたんだ。

 ぼくは弱いんだ! ぼくはお山を背負う頭なんかじゃないんだ!! 

 ぼくに縋らないでくれ! ぼくを頼らないでくれ!!」


結局、ぼくはどうして欲しいのだろうか。

唯分かるのは、増えた責任も、皆の信頼も、白を直したいだけのぼくには、どっちも重すぎる。


「伊吹のは、星熊のは、二人は強い鬼だろう! 

 なら、こんな……弱い白に何時までも縋り続ける弱い鬼なんて、もう見捨ててくれ!」


吐き捨てるように言い切り、数瞬間を置いてぼくは顔を上げた。

そこには、呆れでも怒りでもない、ただ何処か優しげな星熊のが居た。


「んで、大枝のよ。いいたいことは、それだけかい?」

「そうだ」


ぼくが即答すると、何故か星熊のは大きく息を吸い、これまた大きなため息を一つ吐いた。


「はぁ……。どうしてこんな阿呆にあたしったら惚れちまったのかねぇ。

 さ、伊吹のや。大枝のの声を聞いて言いたいことの一つ二つ、出来たんじゃないのかい?」


星熊のは伊吹のに向き直ると一歩後ろに下がった。

代わりに目を尖らせた伊吹のがズイズイと前に出る。


「いいか糞戯け。耳かっぽじってよく聞きやがれ!

 もっと、私達を頼れ! 私達は仲間の鬼だろ! 一つの群れだろ!!

 お前が少しでも、私達を仲間だと思ってくれているなら、そう思ってるのなら、なら私達を頼ってくれよ!

 群れの重さが辛いなら私や星熊のにももっとあの時分けてくれればよかったのに!!

 ……そりゃさ、私達にも、寧ろ私達にこそ弱いところをさらけ出すなんて恥に感じるだろうし、

 実際鬼として情けない事この上ない気もするよ?

 でも逃げるなんて最低だ! そんなの人間のすることだ!!

 大枝のは鬼だろう? 誇り高い鬼だろう!?

 なら逃げないでよ! 逃げたくなるくらいなら私達を頼って頂戴よ!! 

 我慢して、大切な大枝のが壊れちゃ意味ないよ!!

 その所為で逃げちゃったら元も子もないよ!!

 白を助ける為に大枝のが犠牲になったら、何も解決してないままなんだよ!?」


小さな鬼の眼には、涙が浮かんでいた。

泣かないで。出かけた声を飲みこみ、頬を撫でようとした右腕を左手できつく握り締める。

涙の原因はぼくだ。今のままのぼくに、伊吹のを撫でる資格なんてない。

自分の所為で、特別な想いを感じる彼女をどうしようもなく悲しませた。

今更になって、十年もほったらかしにしてぼくは漸く気付いた。

これはどうしようもない糞戯けだ。


「いつでも頼りっぱなしのなよなよ弱々になれなんて言わないさ。

 だけど、もう少し私の事頼ってよ! 

 大枝のを……大枝のを支えさせてよ!! 力にならせてよ!!

 一人で……勝手に壊れようとしてんじゃないよ……ぉ!」


ついに伊吹のは、その場でへたり込んでしまった。

涙を両の手で拭うその姿に、ぼくはどうしようもなく抱きしめたい衝動にかられる。

こんな表情をさせたくない。伊吹のには笑って居て欲しい。

十三年忘れていた感情を思い出し、そしてぼくは己の底抜けな間抜けっぷりをどこまでも思い出す。

ぼくは何も見えなくなっていた。お山も、星熊のも、伊吹のも。


……人間の、弱さに呑まれていた。




「……大枝の」


俯き唇を噛みしめるぼくに、星熊の男勝りな声が届いた。


「あんたのしたことで、皆助けられたんだよ

 あんたは皆の、あたし達の、立派な頭だったんだよ。

 だから……ってのも言い訳臭いけどさ、あたしらはあんたに頼りっきりになっちまった。

 あんたが、どれだけそれを辛く感じてるかなんて気付きもしなかった。

 ……だから、あんたが籠っちまったとき、あたしも、伊吹のも、お山の妖怪共もみんな後悔した。

 傲慢で勝手な願いなのは分かってる。だけど、お願いだ大枝の。

 あたしらに、もう後悔させないでくれ。もう一度だけ機会をくれ……。

 あんたの背負ってるモノ、あたしらにも背負わせてくれ」


呑まれたぼくは、ただ逃避する理由が欲しかっただけなんだ。

白を殆ど失ったことで、ぼくはどうしようもなく畏れたんだ。

だから籠った。届かないところに籠った。白を助ける、なんてのも、建前でしか無かったんだ。

逃げる為にぼくは、お山を見捨て、星熊のの信頼を投げ売り、伊吹のへの想いを忘却しようとした。

そして、恐怖に負けたぼくの所為で、ぼくの弱さの所為で。


 伊吹のと星熊のをぼくは泣かせた。

 白への親愛を弱さへの免罪符に利用した。


本当に、ぼくは糞戯けだ。

縛られ、闇にとらわれ、前も回りも見てやしなかったんだ。



「伊吹の、星熊の」


ぼくは、視線を上げた。

勝気な吊り目と、涙を拭った小さな瞳。真白の銀眼や部下の天狗達、星熊のが連れてきた様々な妖怪達。

お山の全員がそろっているんじゃないか、ってくらいの数が、ぼくを唯真っ直ぐ見ていた。


一つ浅く息を吸うと、ぼくは口を開いた。




「ぼくは、鬼だ」




人間のぼくよ、さようなら。


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