六六九年 2
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「出てきたか?」
あたしの問いに、伊吹のは力無く首を横に振った。
「馬鹿め……」
「止めて……。大枝のだって」
「分かってるさっ!!」
何度こんなやり取りを繰り返しただろう。
大枝のが籠って八年目。連続では前の春に籠ったきりだからそろそろ半年だろうか。
「……チッ」
何も出来ない自分に苛立つ。
大枝のの要塞化の発案のお陰で、このお山での死者はほとんどでなくなった。
大枝のの発案で宮を作ったお陰で、いろんなモノとかを蓄えておけるようになったし、くつろいで寝る場所も得られた。
大枝のが皆を鍛えてくれたお陰で、この縄張りはずっと平穏に守られて、余所から移住してくる妖怪も増えた。
河童とか天狗とかは其のいい例だ。
大枝ののお陰で大枝の発案で大枝の意見は。
ひたすら大枝のは、皆の為に働き続けた。
最初は心配して見ていたものだ。
あの日、付き合いが半日程度しか無くても大枝のが本当に愛していた人を失った事くらい直ぐに分かった。
亡骸を抱きかかえたまま、朝まで飛鳥の方角へ咆哮を上げ続けていたそうだ。
あたしはあの鼠を追い掛けていたから見てはいないが、
時折聞こえた空気を震わす唸りは今でも耳に残っている。
だからこそ、彼が次の日にはふっきれた様に動き働き皆を指揮し始めた様子を見たときは、
あたしは先ず己の目を疑い、次に彼の正気を疑った。
鬼だって悲しいものは悲しい。
鬼として生まれたあたし達ですらそうなんだ。
人から鬼になった大枝のなんて、もっと悲しいに決まっている。
しかも、失ったのは人間だった頃から連れ添い、あたし達には無い“家族”って概念で結ばれていた娘。
あたしたちには、彼の悲しみを語る事さえできない。
だからこそ、あたし達は彼の傷が自然に治るのを待って欲しいと思った。
それ故に言葉をかけた。
働かなくても良い、無理をしないで欲しい。
今思えば、彼が激怒してあたし達を殺したとしても恨みごとの一つさえ言えない様な、傲慢な言葉だ。
だけど、今はそれを何度言いかけてでも彼をあの時止めておけばよかった、と思う。
あたし達の言葉に、大枝のは曖昧に笑うだけだった。
真摯な瞳で、『後悔したくないから』。そんなずるい言葉を言われちゃ、あたし達にもう止める手段なんて無かった。
そのうち心配は消えて無くなった。
唯唯、お山の頭の一人として信頼される大枝のがそこに居た。
大枝のが言うのならば。大枝のの発案なら。そんな空気が流れていた。
大枝のは、本当に寝る間さえ惜しんで働き続けた。
ひたすら他者の為なんて鬼らしくない、鬼の誇りを失ったのか、なんてことでもめた事もあった。
でも大枝のは決まってこう言う。『後悔したくないから』。
そう言われると、やっぱり何も言えなくて。あたし達は大枝のの背中を眺めるだけ。
そうやっているうちに、大枝のはみるみる力と知恵を得た。
あの時、飛べなかったから飛べるように。あの時、大切なものを忘れていたから忘れないように。
……あの時、取り返せやしないものを失ったから、もう二度と失わないように。
そんな鬼気迫る思いがいつも大枝のから感じられた。
尖兵の攻撃に晒された時、大枝のに危ないところを救われた事も両の手の指じゃ足りない。
今の大枝のは分からないけど、八年前の大枝のならあたしと伊吹のが纏めてかかっても五分五分だろう。
それほどまでに強くて、群れの長として誇り高い鬼としての一つの完成形にまで至って居た大枝の。
皆が頼って、あたしも例外なんかじゃ無く彼を信用して、伊吹のには悪いが淡い恋慕の様な情さえ沸いて
──そして、彼は穴に籠った。
ひたすら進み続けた彼は、折れた。
白を失ったことに三年間耐え続けて、そして限界を超えた。
思えば、初めから大枝のは無理をし続けていたんだと思う。
後悔したくないから、なんて言葉に、嘘は言わず隠された小さな語弊。
それにさえ気付いていれば、或いは。
今日も、出てこないねぐらの岩戸を見つめ、薄れない淡い思いを胸に抱いて。
あたしはそんな空想を一人する。
纏めて2話投稿でした。
3年の間にいつの間にかフラグ立ててる大枝の君、恐ろしい子!
鬼だから強い者なら多少ハーレム的要素があっても許される…よね?(チラッチラッ