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東方史萃譚  作者: 甘露
10/40

六六九年 1

***




   六六九年 秋




***



近江宮から程近い、地元の人間の所謂“聖地”で俺は弓を片手に居た。

聖地で弓なんて胸糞悪いったらありゃしねえのに、何故そんな事をしているかと言えば簡単だ。

糞兄の命令で宮に居る人間総出で狩りに来たからだ。

それも糞兄が即位し、近江宮へ移り一年が無事に経った祝いとか言う実に下らない理由で、だ。


糞兄、もとい中大兄皇子は血みどろの半生の末手に入れた大王の座をより強固なものにしようと必死になっている。

自分が裏切りと謀略の最中で生き、蘇我親子、石川麻呂、有間皇子、噂では妃だった遠智娘でさえ利用し殺したてきた所為だろう。

その裏切りを何よりも畏れている。

これも裏切りへの対策の一つであり、持つ意味合いを要約すれば

俺の号令でこれだけの人間が狩りに動くんだぞ! 聖地なんて現人神である自分には畏るるに足らないんだぞ!

と言った冷静になれば頭の悪さしか露見しない発想故だ。


大体謀略戦を嗾け対抗馬を蹴落とすなんて先ず己がしでかしたことなのに、どう考えても間抜けでしかない。

裏切りが怖いなら初めからしなけりゃ良かったんだ。


尤も、あの糞野郎の偉いお陰で俺の地位がある様なものだから、余り文句ばかり言っては神罰が下っちまう。

それに悪い事ばかりでもねえしな。我ながら現金なもんだ。


「大海人皇子様?」

「ん、ああ。すまん、少々考え事をしておったのだ」

「……また私のお話を聞いて下さらなかったのですね?」

「そうへそを曲げるな、讃良姫さららのひめみこ


これが悪い事ばかりでもねえ、の代表格、糞兄貴の娘で俺の許嫁の讃良姫だ。

尤も、現時点ではあと二人妻が居る現状ではあるが。俺はこの女子が最も愛おしい。

器量良し、容姿良し、生れよし。

まあそれだけなら腐るほど、とは言わぬが居るには居る。俺が気に入り愛おしく思うのはそんなところじゃない。

讃良は飛びぬけて変わっているのだ。女子では珍しい鋭い頭脳に豊富な知識量。

その嫉妬深い…と言えば聞こえが悪いが所謂やきもち焼き。

そして何より、彼女は誰よりも、強い女子だ。


幼き頃、有間皇子の乱の際母、遠智娘を父に、俺の糞兄に殺されたにもかかわらず、ひたすら気丈に生きているのだ。

──いつまでも、産みの親を引き摺る俺とは違って。


「……ふんっ。皇子様なんで知りませんっ」


ついでに言えば、この様な物言いをする女子を俺は他に知らない、ってのも大きな要因の一つだったりする。

もしこの場に讃良が居なかったら俺は何だかんだのらりくらりとかりに出るのをかわしてたかもしれん。

それほどまでに俺は讃良姫を愛している。

さて、この可愛らしいじゃじゃ馬姫をどうにかして……


「大海人!! 此方へ来い!!」


肩を抱いたところで、糞兄大王から有難いお呼びがかかった。

俺は讃良の耳元で「後で埋め合わせはするから」と囁くと、顔を真っ赤にしてさらにそっぽを向いた。

本当に愛い奴だ。讃良姫のお陰で幾分か癒され、俺は糞兄の元へ向かった。

どれだけクソ野郎で全身血塗れの生ける鬼野郎でも、奴は大王なのだ。

気に食わない事を上げ出したら両の手足の指を五人分使ったって足りやしないが、それでも逆らう訳にはいかない。


俺は渋々と言った内心と張り付けた笑顔の表情の均衡を保ちながら大王の元へと行った。


「何故直ぐに此方へ来なかった」

「聞こえませんでしたので」

「讃良姫との談笑が弾んでおった所為か?」

「兄君に私が誰と話すかまで決められる謂れは無いと思いますがね」


厭味ったらしい言い方に俺も嫌味で返す。

実の兄と慕え、なんてのは無理な相談だ。先王には申し訳ないが。


「……フン、まあよい。ところで大海人、何故貴様は狩りに参加せぬのだ。

 近江宮に移ってから一年余り、その平定を祝った大祝賀行事なのだぞ。

 群臣、王族皆が皆馬を駆って狩りをしておる、貴様も今すぐ馬を駆り弓を取れ」

「お言葉ですが兄君、私はこの場で狩りなど致す気、毛頭もありませぬな」

「……何故だ」


糞野郎のこめかみがぴくりと動いた。


「はて、兄君がご存じでない筈がないと思いますがね。

 元々この地は産土うぶすなの神々が居られた土地であり、この地の生き物は全て神々のもの。

 しかし兄君は知ってなおこの地を選び狩りをおこなった。

 大王の威光をかさに立てた暴挙でございますな。

 現人神だか何だか知りませぬが、それは所詮人が名付け人が名乗る称号。

 無理やり彼らの祭る神社を破壊し信仰の自由を奪い仏門に強制的に入門させる、それは神というより、まるで悪魔の所業で」

「大海人皇子ォ!! ……っ。いや、予はこの場で流血沙汰を起こしたくは無い。その手には乗らんぞ。

 それにな、この狩りも仏に窺い立て許しを受けたものであるぞ」


また出た、野郎の口から出る言葉は二言目には仏だ。


「はっ、それが尚気に入りませぬな! 兄君はなにかと付けて仏、仏と仰られる。まるで仏を信じる者だけがヤマトの民であるかのような言い草」

「それの何が悪いというのだ!」

「畿内の地ですら様々な産土の神々を信仰する部族が諸所おります、それらはヤマトの民では無いのですか!」


彼等も中央に税を納め、役をこなす立派な民だ。

信仰の差以外は何も違わない彼等は、糞野郎が最新ご執心な亡国百済の人間よりずっとこの国の民だ。


「仏法を理解できぬ蛮族など倭国には要らぬわ! 

 古び恩恵を感じさせない神々と大陸の高度な文化をもたらす仏法、それのどちらが優れておるか、など議論するまでもない!」

「優れる優れないの問題ではありませぬ! ……兄君には、誇りが無いのか! 我ら王家の祖神は誰でございますか! 天照神では無いのですか!」

「ええい五月蝿いわ! 旧体制に囚われた腐れ頭め!!」

「なんだとっ!!」


「お、おやめ下され!」


俺が帯剣に手を掛けようとしたところで、一人の声に割って入られ止められた。

兄の旧友であり旧臣である、中臣鎌足殿だ。

俺は彼の声を聞いた瞬間、自分が何をしようとしていたかに気付き、はっとなり糞兄に臣下の礼をとる。

大王に剣を向けようとした、その行為自体が即首を跳ねられても可笑しくは無い。


「お二方ともこの国を担うべき人物、それがこの様な場所で恥を晒す様な口論、信じられませぬぞ!

 お二方、主張の食い違いに歯がゆさを感じるのは分かりますが、なにとぞこの場では、私に免じてご自重の程を」

「……確かにそうであるな。子供じみた口論など」

「兄君、申し訳ありませんでした」


鎌足殿の言葉で冷静になった俺は、即座に謝罪をする。

謝罪を大王に先にさせたなんて難癖を後から付けられるきっかけを作る。

そんな手前の思惑に乗ってやるほど暇じゃないんでね。

すると予想通りだったのか、“お兄君様”は小さく舌打ちをする。

俺にだけ聞こえる程度の小さな音だが、コイツはどうやら馬鹿だ。それも真正の。


「大王……?」


俺と馬鹿の間には鎌足殿が居るというのに。

案の定というべきか、馬鹿は鎌足殿にキッツい視線を向けられると慌てて咳払いをした。

随分と昔だが、蘇我入鹿を討った頃からこういう関係らしい。

だから俺は鎌足殿を信用している。

幼き頃の師でもあるし、例え大王であろうと一切の容赦がないさっぱりした性格は実に俺好みだ。

尤も、入鹿討伐を持ちかけたのも、それから多数の人間を消していったことも、

馬鹿とその知恵袋である鎌足殿の共同作業なので、俺はあの人を信頼することはできない。


「う、うむ。私も浅慮であった……」

「父君!」


**


「父君!」


聞こえたのは私の最も利発な息子の声。

大友皇子だ。


馬を駆ける術も、弓を射る術も一流。仏を慈しみ信仰し、勉学に良く励む。

この忌々しい弟を大王にしなければいけない慣例さえなければ、直ぐにでもこの座を譲っても惜しくない。


弟は二言目には『しかし兄君』だ。

何かと付けて私の決定には反対を述べ、何より仏を微塵も信仰しておら。

尤も、私もさほど熱心に信仰しておるわけではない。あくまでも政策の一環なのだ、仏教の布教は。

しかし、だからと言ってこの布教の持つ意味は果てしなく重要であるという事が分からぬ弟でもあるまいに、あの言いざま。

それどころか旧体制的で排他的且つ野蛮で存在すら疑わしい様な物の怪を産土の神だとか着物神等と呼ぶ。

畏怖を与える為の象徴としての神など私と祖神の天照だけで良いというのに。


確かに反対意見の提出は高度な政治的意味合いを持つ物ではある。

だがこの弟はそう言う意味で言っておる訳ではないのだろう。

ただ私が気に食わぬゆえに言っておるだけなのだ。


忌々しい。血を分けた弟で無ければ今すぐにでも排除してやるというのに。


「父君?」

「ん、おお。大友よ、少々考え事をしておったのだ」

「そうですか。それより父君にお見せしたいものが」

「なんだ? そちはそこの伯父君と違い父を喜ばせてくれるのであるな?」


そう言って大友皇子に訊ねると、一匹の雉を差し出した。


「なるほど、雉か。……ん? お、大友皇子!!」

「はい、珍しい鳥と思い射止めたところ、この様な姿で」


大友皇子の献上した雉は、信じられぬ事に足が四本ある怪鳥であった。

それを見ると、そして大海人はにまり、と笑った。


「ほぉ、これは何とも不可思議な鳥でございますな」

「四本足の雉……良く無い兆しじゃ……」


ふざける大海人を後目に鎌足が真剣そうにそう呟いた。確かに見ていて全くいい気分はしない。


「ハッ、これは恐らく兄君の所業に、産土の神が謹んで賜った捧げものではないですかな?」

「大海人皇子様っ!!」

「おっと、これは失礼」


鎌足に怒鳴られるも、大海人は肩をすくめておどけて見せるだけだった。


「斯様に気味の悪いものは焼き捨ててしまえ!」


そう言い捨てると、大海人が実に愉快そうにくすくす笑うのが聞こえた。


「ええい、今日はもう取りやめだ! 帰るぞ!」

「大王、お待ちを!」


鎌足の声に振り返ることなく、私は馬に乗るとその場を駆けだした。

何が産土の神々だ!

忌々しい大海人め!!


しかし、あながち見過ごす事も出来ぬかもしれぬ。

もし、もしも大海人の言う様に何かの予兆であったら……。


いや、馬鹿馬鹿しいっ。その様な事等、ある訳が無いのだ。

神道も仏法も、所詮は政治的な思惑が渦巻く枠組みの一つでしかないのだから……。


関係ないですけど、コメント返信って何処でしたらいいんですかね…

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