第二章
平和な学校生活に戻った美希は、再び学校一の人気者の座に返り咲いていた。ピアノの先生にも事情を説明し、また通えることになった。制服の衣替えも済んだ初夏の日、突然、転校生が現れた。
「木崎ラファエルです。よろしくです」
金髪のツインテールで、冷たい感じがするほどに均整の取れた顔立ちの女の子だった。スタイルも良くて脚が長く、同じ制服を着ているのにまるでアメリカのポップアイドルみたいだ。
ラファエルは大きなストライドでスタスタと歩き、突然美希の顔を熱烈に抱き締めた。中学生としてはかなりふくよかな胸が美希の顔を包みこむ。
「ミカ、会いたかったですよ~!」
「は、はい? ……木崎……さん?」
ラファエルがなかなか放してくれないので、美希はボケーッと考え事をしていた。ミカって呼ばれたのは初めてじゃない気がする。そうだ、この前の臨死体験のときに……。そういえばあのタナトスちゃんはどこに行ったのだろう。
ふいにラファエルの腕が緩んだかと思うと、唇に柔らかい感触が押し当てられた。男子達がうおぉ! と、雄叫びを上げ、女子達が悲鳴を上げる。
「なに? なんなの? なんで?」
キスされたことに気付いた美希は正気に戻ってラファエルの肩を押し返した。
「あ、ごめんなさい。ミカは記憶を無くしていましたね」
ラファエルは振り返ると、美希の隣の席に座っている男子の両肩をつかんでニッコリ微笑む。
「ここに座ります。わたし、ミカの隣がいいです」
「え、でも、そんなのってありなのかな?」
男子が先生のほうを見て助けを求めていると、ラファエルはさっさとその膝に座ってしまった。
「や、やわらけ~、いいかほり……」
人間椅子にされている男子が鼻血を噴き出しそうに茹だっていると、男子諸君から大ブーイングが起こった。
「ま、まあ、いいから、よけてやれ。授業が始められん」
先生がそう言うとラファエルは少し腰を浮かせ、人間椅子はあたふたと這って逃げた。
そして、そのまま担任が受け持つ数学の授業が始まったのだった。
かなり破天荒なキャラにもかかわらず、ラファエルはすぐに人気者になった。休み時間がくるたびに質問責めに遭い、あちらこちらを女子達に案内されていた。ようやく質問の機会が得られたのは放課後だった。
「ミカ、一緒に帰りましょう!」
「うん、いいけど」
ラファエルの長いストライドでスタスタ歩かれると、美希は追いつくのでやっとだ。
「木崎さん、ごめん、ちょっと速いよ」
「あ、ごめんなさい。じゃあ手をつなぎましょう」
「え、でも……」
ラファエルはさっさと美希の手をとってつなぐと、お互いの腕がブラブラする距離を保ってゆっくり歩いた。
「木崎さんはスタイル良くて、脚長くて、いいな~」
身長差のせいもあるが、比率的にも結構違う。
「あはは、ガブちゃんほどではありませんよ。そうそう、わたしのことは、ラファエルと呼んでください」
「そうだ、あなたに訊きたかったんだけど、なんであたしをミカって呼ぶの?」
ラファエルは当然のように言う。
「前世ではミカ、ラファエルと呼び合う間柄だったからです。あなたは天使長ミカエル。わたしは熾天使(してんし――セラフ)ラファエルです」
タナトスとの件でいくらか予備知識があった美希はさほど驚かなかった。そのまま美希は前世についていくつか質問した。すると、ラファエルは言った。
「ミカが望むなら、天使長の記憶と力を呼び戻すことができます。わたしは今、天界の評議員だから」
「ここまで聞いちゃったら、続きが気になって仕方ないわ。それ、お願いできるかしら?」
「わかりました。まず、目を閉じてください」
言われたとおりにすると、ラファエルはブチューとキスをした。これは儀式なのだろうと、美希は耐えていたが、
「やっぱりミカは可愛いです。いけない気持ちになります。ムラムラしちゃいます」
儀式が終わったのかと目を開けて、前世とやらを思い出してみるが、何も思いだせない。
「ねえ、あなたインチキ霊媒師? そうやって女の子を引っかけて歩いてる人なの?」
「怒った顔も素敵ですが、わたしはまだ何もしてません。ちょっと耳を貸してください」
耳をなめられやしないかと警戒しつつも、美希は耳を貸す。
ラファエルは神妙な顔で咳払いを一つして耳元でつぶやいた。
「あなたは全てを覚えているのに、何故思い出さないのですか? あなたは最も神に近しい力を持っているのに、何故使わないのですか?」
美希の中でラファエルの言葉が何度も木霊のように反響した。気が遠くなってラファエルに抱きかかえられると、ラファエルが唇をとがらせて迫ってくる。
「ラファエル、人前でチューしてたらガブちゃんに怒られるよ!」
美希はラファエルの顔を手のひらで受け止めた。まるで条件反射のように慣れた手付きだった。
「ああ、ミカのガードが硬くなってしまいました。これは誤算です」
「なんだかこの感触、なつかしい……やだ、ほんとにラファエルだ……」
いつの世にも親友として、時には家族や恋人として生きてきたパートナーだった。前世では転生のタイミングがずれて出会えなかったため、数百年ぶりの再会ということになる。どちらからともなく熱い抱擁が交わされ、涙を流し合った。そして、いつもどおりにラファエルがミカの唇を狙い、ミカはその顔を鷲づかみで止める。
「地上では同性愛への偏見が強いから、気をつけないとだめよ」
「おお、それは残念です」
手をつないで歩き出そうとした二人の前にタナトスが現れた。
「あ、タナトスちゃん、このまえはありがとう。あたしね、全部思い出したのよ。これからもよろしくね」
タナトスは返答せず、ラファエルを凝視している。ラファエルはジリジリと後ずさりして美希の後に隠れる。
「あ、あの……タナトスちゃん? ラファエルがどうかした?」
「わたしは天界に大沢家の護衛を依頼した。力を戻せとは言っていない」
ラファエルは目をそらし、上ずった声で言う。
「ミカが思い出してくれないとつまらないです。それに、自分の身は自分で守ってもらったほうが合理的です。さらに言えば、ミカに関しては天界の問題です。今まで大沢家の護衛を買って出ていただいたことには感謝しますが、ミカをどう扱うかまで指図される覚えはありません……」
タナトスは顔を伏せ、肩がワナワナと震えている。
「確かにこれは内政干渉。でも、わたしはミカに重荷を背負わせたくなかった。熾天使ラファエル、これだけは言っておく……」
タナトスは顔を上げ、ビシッとラファエルを指差した。
「は、はい……?」
「あなたの慌てた顔はとても可愛い。剥製にして部屋に飾っておきたいぐらい」
ポカーンとする二人。きしむような動きで口角を上げて微笑むタナトス。
「わたしは魔界に戻ってバフォメットといいことをする。ラファエル、ミカを頼みます」
タナトスは二人に背を向けると、クックックと笑い声を漏らし、空間を裂いて消えていった。
「あの人はいったい……」
「たぶんね、ラファエルのこと気に入ったんじゃないかな。可愛い子が大好きだから」
「死神ジョークは難しいです。わたしには理解できません……」
「そうかな? 強引なところとか、女の子が好きなところとか、結構似てるんじゃないの?」
「わ、わたしは魅力的な人が好きなのです。女の子を特に好むというわけではありません。そもそも、わたし達天使は中性であり、かりそめの肉体が男であるとか女であるとか、そんなのは問題じゃないはずですよ!」
美希はラファエルの顔をしげしげと見る。
「なるほど、ほんとに慌てた顔が可愛いかも」
「ミカはどんな顔してても可愛いですよ」
そのまま抱きつこうとするラファエルを美希はサラリとかわし、駆けだした。キャッキャとはしゃいでじゃれ合う二人は、そのまま大沢家に向かったのだった。