第四章
ラファエルは大沢家の庭で抜き足差し足していた。まだ光希とサッちゃんの寝室には明かりがついている。窓のそばまで近付いたとき、ちょうどよく明かりが消えた。ラファエルはコップを物質化して壁に当てる。
「サッちゃん、こっちおいでよ」
「え~? 美希ちゃん達が出かけてから毎晩だけど、大丈夫~?」
「こないならそっち行っちゃうよ~」
ゴソゴソと一つのベッドに入る気配があって、会話がどんどん甘ったるくなってゆく。ラファエルは顔を真っ赤にしながら、鼻息を荒くしながら聞き入っていた。
視界の隅で何かが動いたのを察知して、ラファエルは舌打ちした。
「いいところだったのに」
追いかけると、リリンが駆けていくのが見えた。ラファエルは翼を出して飛び、あっという間に追いつくと、オーラのリングで捕縛した。
「さて、邪魔してくれたからには、リリスについて喋ってもらいます」
ラファエルはふいの電撃でリリンを消されぬよう、オーラの防壁をはった。十字を切って注射器を取り出し、リリンの肩に突き付ける。
「これ、できれば使いたくありません。強烈過ぎる自白剤で、天界では本来禁止されている薬物です」
リリンは大して気に止めた様子もなく、涼しい顔をしていた。
「我々リリンは死ぬことも恐れない。個々の命を惜しむという感覚がないのだからな。好きにすればいい」
ラファエルは首を振る。
「これで死ぬことはありません。ただし、物凄い苦痛で錯乱し、自白も思いのままになります。そして、一生元の身体に戻りません。発狂するほどの苦しみが生涯続きます」
リリンはまるで恐れていないようだ。
「強情な奴です。天界にそんな危ない薬などありません」
ラファエルは注射器を十字の中にしまった。
「うーむ、どうしたらリリスについて喋ってくれますか? わたしは拷問とか嫌いですよ」
「知りたければ本人に聞けばいい」
リリンは顎を突き出して、ラファエルの背後を示す。振り返ると、左肩を押さえて憎々しげな顔のリリスが立っていた。
「わたしの美しい身体を……腕を返せ!」
リリスは口に咥えていたサーベルを右手に持ち、ラファエルに襲いかかる。ラファエルがかわすとリリンをかすめ、拘束していたリングがとけた。
リリンは曲刀を出してラファエルに斬りかかった。
「言い忘れたが、わたしは名前を持っている。アーリマンという名前をな」
今までのリリンとは明らかに動きが違った。この男には前世の評議員達が次々にやられたのだ。
ラファエルは槍を出し、翼を出して飛び上がった。しかし、すばしっこいリリスに行く手を塞がれ、背後からアーリマンの剛力が迫る。
「アーリマン、その小娘を押さえてちょうだい。わたしにしたのと同じように、いいえ、倍返し、それとも四倍返しがいいかしら?」
「やめて……放してください……」
抵抗虚しくアーリマンに羽交い締めにされる。
「まずは同じ目に遭わせてやるわ」
リリスは嬉々とした表情で振りかぶり、ラファエルの左腕めがけて振り下ろした。
切断された腕が宙を舞う。
耳をつんざく女の絶叫が深夜の街に木霊する。
「……とうとう見つけたぜ、アーリマン!」
リリスの背後に光希が浮かんでいた。バスローブを羽織ってサンダル履きだが、恐ろしいまでのオーラをまとっている。光希は『リリスの右腕を切り落とした』剣の血をペロリとなめる。
「なるほど、サッちゃんの味だが、少し違うな」
光希はリリスに蹴りを入れて地面に叩き落とした。
「光希パパ……目覚めたのですか?」
「美希ちゃんが地上人を解放してくれたおかげで、俺もサッちゃんも全て思い出したんだよ。俺は魔王ルシファだ。そして、そこにいるアーリマンに復讐しなくちゃならない」
光希は早速アーリマンに斬りかかる。
「あのサッちゃんもどきに用があるんだろ? ここは任せて行っていいぞ」
ちょうど本物のサッちゃんが光希に加勢しにくるのが見える。ラファエルに気付くとウィンクして見せた。二人ともずいぶんと若返って、二十歳ぐらいの見た目になっている。
「じゃあ、こいつは頼みます」
「無理しちゃだめよ? ラファエルちゃんはうちの可愛い姪っ子なんだから」
力と記憶が戻って嘘だとわかっているはずなのに、サッちゃんは姪っ子だと言った。ここしばらく親の無い子をやってきたラファエルには少々こたえる一言だった。
「わかってます、叔母様!」
「叔母様はだめよ! サッちゃんと呼んで!」
ラファエルは背後に手を振りながら、リリスを追った。
リリスは靴を脱ぎ、右足で器用にサーベルをつかむと、空間を切って裂け目を作った。
「待ちなさい、リリス!」
ラファエルは夢中で追いかけ、一緒に裂け目に入った。
裂け目を抜けると、そこは色とりどりの花が咲き誇る大河の河原だった。
「ここは……ひょっとして……コキュートスですか?」
一人つぶやくラファエルにかまわず、リリスは夢魔の翼で逃げる。川の上流に向かって飛ぶリリスをラファエルはひたすら追いかけた。
――しばらく飛ぶと、チラチラと雪が降ってきた。進むにつれて雪は本降りになり、ブリザードになった。大河は細い川になり、いつしか雪の下に消えていた。
「見失いました……まずいです……わたしはどっちから飛んできましたか?」
オーラのバリアで身体を守りつつも、視界ゼロの吹雪の中では心細い。諦めて引き返そうと、着地して大きく十字を切る。そこに入ろうとして、すり抜けてしまった。
「十字の紋章が使えません。コキュートスだからでしょうか?」
物質化も出来ないため、建物を建てて休むことも出来ない。ラファエルはかまくらを作って入り、吹雪がやむのを待った。待てども待てどもやまず、ラファエルは眠りに落ちていった。