王子「よくある婚約破棄ものって現実にやったらどうなるんだ?」婚約者令嬢「いい質問ですわね。王国の信用が死にますわ!」
昼休みの貴族学園は、今日も平和だった。
少なくとも、表面上は。
中庭にはよく手入れされた花壇が並び、噴水はきらきらと水を弾いている。白い石畳の上では、貴族子女たちが優雅に昼食を取り、恋や噂や試験の話に花を咲かせていた。
そんな中庭の一角。
蔦の絡まる東屋で、この国、ブラックバニア王国第四王子ハワード・ヴァレンティアは、婚約者である子爵令嬢ミランダ・ハインドと向かい合って昼食を取っていた。
ハワードは銀髪碧眼の、いかにも王子らしい美貌の少年である。第四王子という中途半端な立場で、王太子候補として本格的に政治に関わるかは微妙だが、それはそれとして政治には少し興味があるお年頃。
「なあ、ミランダ。君は何でもよく知っている」
「はい、殿下。こう見えて勉強は出来る方ですわ」
「ついでにめちゃくちゃ戦闘能力もある」
「自慢ではありませんが、射撃の腕には自信がありますわ」
「そんな文武両道なミランダに聞きたいんだが……よくある婚約破棄ものって、現実にやったらどうなるんだ?」
ミランダの手が止まった。
彼女は新緑色の淡い髪を揺らし、優雅に紅茶のカップを皿へ戻す。そして、にっこりと微笑んだ。
「……私との婚約を破棄したいのですか?」
「違う違う! よくあるだろ、夜会で婚約破棄して云々かんぬんみたいな小説! あれ、現実でやったらやばくね……? ってふと思ってさ」
「ですが、いい質問ですわね! 今日は今どきの恋愛小説あるあるな、夜会での婚約破棄についてゆっくり解説してあげますわ!」
ミランダは少しばかり悪い笑みをたたえている。まるで悪戯好きな妖精を思わせる。
「その笑顔、なんか怖いな」
「まず前提から確認しましょう。殿下のおっしゃるよくある婚約破棄ものとは、卒業夜会などの公衆の面前で、王子が婚約者の高位令嬢……例えば公爵級の令嬢を断罪し、婚約破棄を宣言する形式のものでよろしいですか?」
「ああ、それそれ。真実の愛に目覚めた! とか言って悪役の性悪令嬢をとっちめるとかそういうやつ」
「なるほど」
ミランダは満足げに頷いた。
「結論から申し上げますと、王国の信用が死にます」
「突然の死!」
「王国そのものは即死しないかもしれません。ですが、王家の信用、公爵家との関係、貴族社会の安定、外交上の体面、王位継承の信頼性がまとめて損傷します」
「俺、恋愛イベントの話をしていたつもりなんだが」
「恋愛イベントではありません。国家の信用に関わります」
ハワードは無言でパンを置いた。なんだか想像以上に大ごとになりそうで、食欲が消えた。
「まず、王族と公爵令嬢の婚約とは、個人同士の恋愛関係ではありません」
「俺は君のこと、好きだぞ♡」
「ありがとうございます。私も殿下をお慕いしております♡」
「可愛いなぁ……」
「……コホン。いちゃつくのはこの辺にして、王族と公爵家の婚約は政治的同盟です」
「それは分かる」
「王家は公爵家の財力、軍事力、派閥、人脈を得ます。公爵家は次代王妃の実家という地位を得ます。周辺貴族は、その婚約を前提に派閥を組み、婚姻を結び、投資を行い、将来設計を立てます」
「投資」
「投資です」
「婚約って投資なのか」
「貴族社会では、婚姻はかなり投資です」
ミランダは微笑んだまま、膝の上で手を重ねた。
「そこで王子が、卒業夜会の場で公爵令嬢相手に突然こう言ったとしましょう。「君との婚約を破棄する!」と」
「よくあるやつだ」
「では問題! 王子がそう宣言した瞬間、何が起こるでしょうか」
「令嬢が怒る」
「それは当然として」
「そのままヤンデレ化して刺してくる」
「なにそれ怖い」
「でも、仮に俺がそれやったらミランダは刺してくるだろ」
「流石にそこまではしませんよ。……多分。おそらく。メイビー……」
少しだけミランダの目のハイライトが消えた。ハワードは思わず背筋を伸ばした。
「まあ、それはそれとして、まず、婚約破棄された公爵家の面子が潰れます」
「まあ、そうだな」
「公衆の面前で娘を断罪され、婚約を破棄された。これは単なる失恋ではありません。公爵家に対して、王家が、お前の家はもう不要だ! と宣言したように見えます」
「そこまで?」
「少なくとも周りには」
ミランダは人差し指を立てた。
「私のような子爵令嬢相手でも問題になるでしょう。公爵令嬢ともなれば被害規模はさらに跳ね上がります」
「公爵家といえば貴族序列は一位。実質国のナンバー2みたいな立場だしな。婚約破棄ものはポンポン公爵家を断罪し過ぎだ。公爵家が何をしたというのだ」
「で、現実では、その公爵家の家人や姻戚が動揺します。そして、彼らはこう考えます。王家は公爵家を切るのか? 次の王妃候補は誰か? 新しい寵愛相手の実家が台頭するのか? 自分たちはどうなるのか?」
「なんかこの時点で胃が痛くなってくるな。昼休みに聞く話じゃなかったかもしれない」
「ご安心ください。まだ序盤です」
「まだ序盤……?」
「さらに、それなりに大きな夜会には他国の大使や有力貴族が出席している場合があります」
「オイオイオイ」
「お気づきになられましたか」
ミランダの言葉が何を意味するかは、流石にハワードにも分かった。
「外国大使の前で王太子候補が感情的に婚約破棄を宣言した場合、外交的には、次代国王候補に政治判断能力がない。と見られる恐れがあります」
「その王子の信用が落ちるな」
「大暴落です」
「王家の信用も落ちる」
「大恐慌状態です」
「……婚約破棄って恐ろしいんだな」
「はい。怖いです」
ミランダは紅茶を一口飲んだ。実に優雅だった。
だが、言っている内容は国政の危機管理だった。
「それだけではありません。王子の隣にその真実の愛のお相手がいる場合、その方の実家は翌朝には政変の黒幕候補です」
「真実の愛なのに?」
「政治は真実の愛を待ってくれません」
「冷たい」
「現実です」
「もし相手が下級貴族や平民だったら?」
「誰が殿下に近づけたのか、誰が後見しているのか、誰が資金を出したのか、どの派閥が背後にいるのか。徹底的に調査されます」
「恋愛ドラマが陰謀論になった」
「王族の恋愛は、周囲から見ればだいたい陰謀の入口です」
ハワードは「むむむ……」と唸る。一方、ミランダは楽しそうだった。
「それから、公爵家が軍事費や国庫への貸付を担っていた場合、財政面にも影響が出ます」
「婚約破棄で国の防衛が揺らぐのか」
「揺らぎます」
「真実の愛で軍事費は補填できるか?」
「できません」
「だよなあ」
「さらに、この手の高位貴族はだいたい血縁関係が複雑なので……例えば、辺境伯家と縁戚関係にあれば」
「オイオイオイ……」
「つまり公爵家級の高位貴族を敵に回すということは、場合によっては辺境伯家の機嫌も損ねます」
「アカン、国境線が変わる!?」
「はい。場合によっては隣国と内通するでしょう。王家に喧嘩売られたら、そりゃあねぇ……?」
「婚約破棄ひとつで国境まで波及するのか」
「政略婚とはそういうものです」
ハワードはしばらく黙った。それから、ぽつりと言った。
「つまり、卒業夜会でいきなり婚約破棄する王子は……」
「はい」
「恋に生きる男というより……」
「統治能力に重大な疑義がある次期国王候補です」
「言い方」
「事実です」
「貴族や国民からすると、とんだ事故物件ってわけか……」
ミランダは少しだけ身を乗り出した。
「もちろん、婚約破棄そのものが絶対に不可能というわけではありません」
「そうなのか?」
「はい。両家の合意があり、理由を整え、面子を守り、代替の婚姻先を用意し、派閥への説明を済ませ、発表時期と文言を調整すれば可能です」
「めちゃくちゃ手順がある」
「王族の婚約ですから」
「じゃあ、やるなら裏で根回ししてから?」
「当然です」
「夜会で突然は?」
「論外です」
「断罪は?」
「証拠があっても、場所を選びます」
「真実の愛は?」
「尊いものです。ですが、国家予算の裏付けにはなりません」
「愛はお金じゃ買えないが、お金も愛では生まれない、と……」
ハワードは深く息を吐いた。
「勉強になった」
「それは何よりです」
「俺、絶対に君を大事にする。改めてそう思った」
ミランダの表情が一瞬だけ止まった。それから、彼女はわずかに頬を染める。
「……それは知恵袋としてですか?」
「その英知的にも、個人的にも」
「まあ」
「そもそも、君を捨てる理由がない」
「殿下」
「君は賢いし、優しいし、俺の変な疑問にも付き合ってくれるし、俺が馬鹿なことをしそうになったら止めてくれそうだ」
「褒めても何も出ませんよ?」
「あと、仮に国で革命が起きて逃避行する様な事になっても頼れそうだ。こう……小銃片手に暴徒相手に無双しそう」
「それは褒められているのでしょうか?」
「かなり褒めてる」
「では、いい答えですね」
ミランダは照れ隠しのように紅茶を飲んだ。
ハワードはその姿を見て、少し笑う。
「なあ、ミランダ」
「はい」
「もし俺が本当に夜会で婚約破棄なんて言い出したら、君はどうする?」
「まず殿下の発言を遮ります」
「強い」
「次に、熱で錯乱したということにして殿下を控室へ連行します」
「俺、病人扱いされるのか」
「その後、王妃殿下に報告し、宰相閣下を呼び、実家に緊急連絡を入れます」
「危機対応が早い」
「そして、殿下には三日ほど反省文を書いていただきます」
「三日で済む?」
「私が婚約者として庇えば」
ハワードは目を瞬かせた。それから、少しだけ真面目な顔で言う。
「じゃあ、俺は君に庇われなくて済むようにする」
「それは助かります」
「あと、君を庇える男にもなる」
ミランダは、今度こそはっきりと頬を赤くした。
「……今日の殿下は、質問も答えも少しずるいです」
「いい質問だっただろ?」
「真似しないでくださいませ」
二人は顔を見合わせて、小さく笑った。
昼休みの貴族学園は、今日も平和だった。
「……ただ、私を庇うなら、まず1000m離れた標的に射撃を命中できる様にしてください。それができないなら私が戦った方が早いです」
「前提条件がハード過ぎる」
読了、お疲れさまでした。これにて、本作は完結です。
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