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その日、私の隣を歩くのは ~代筆屋と片腕の帰還兵~  作者: Mel


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08 招かれざる客、再び

 ――嫌なことは、どうしてこうも重なるんだろう。

 翌日、腫れた瞼をこじ開けて店の戸を開けると、そこにいたのは、今一番会いたくない相手だった。

 ズカズカと無遠慮に踏み込み、勝手知ったように中へ入り込むその男。

 軽薄な笑みを浮かべた、ダイナーだ。


「……な、なんのご用ですか……?」

「テレサの親父、来たんだってな? 誰が手紙を書いたか教えろってしつこくてよ。仕方ねえからお前の名前を出してやったんだ。まあ、ガキだってんで許されただろ?」


 まるで悪びれる様子もないその口ぶりに、言葉を失う。

 狭い村だ。この家でのやり取りも、すぐに村中に広まったんだろう。

 

「嫌味な親父だったろ? テレサも面倒くせえ女だよな。一回ヤっただけで彼女面しやがって、今さら親を出すなんて卑怯だろ。おかげで俺も親父にまたグチグチ言われちまったぜ」


 ヘラヘラと語るその声が、耳障りな雑音のように響く。

 こみ上げてくるのは、この男への嫌悪だけじゃない。

 何も考えず、この人の言うままに筆を走らせた――自分自身への、どうしようもない自己嫌悪だ。


「まあ、勝負は俺の勝ちだったからいいんだけどよ! それでよ、この間行った街にいい女がいてさ。酒場の娘なんだが、またお前に手紙を頼もうと思ってな。……ああ、安心しろ。そいつ、父親はいねえって言ってたからよ」


 ――父親がいないからいいって言うの?

 あんなことがあったばかりなのに。また平然と同じことを繰り返そうとするこの人に心の底から呆れ果ててしまう。

 もう二度とこの男の共犯者になんかならない。今度こそはっきりと言わなくちゃ。


「ごめんなさい。もう嫌です。……他の方を当たってください」

「……ああん?」


 自分としては、きっぱり言ったつもりだった。けれども、低く唸るようなダイナーの声に思わず肩が跳ねる。

 それでも譲りたくなかった。もう二度と、誰かを傷つけるようなことに加担したくなかったから。


「ひ、人の心を弄ぶのは、よくないと思います……!」

「……なんだァ? いつからそんな偉そうな口をきくようになった? 俺に逆らうってのは、この村を出て行く覚悟があるってことだよな?」

「そうやって人を脅してばっかり……! もし貴方が村長になるなら、私、喜んでこんな村出ていくわ! 揉め事ばっか起こして、また誰かを泣かせるに決まってるもの!」


 啖呵を切ったものの、自分の声が情けなく震えているのが分かった。

 でも、ここで負けるわけにはいかない。いつまでも子どもじゃいられない。私は、自分の足で立って、この人に向き合わなくちゃいけないんだ。


「……言ってくれるじゃねぇか、イリナ。あのクソジジイと一緒に過ごしてるうちに自分まで偉くなったつもりか? ……でも残念だったな。あの負け犬はもうここには来ねぇよ。俺が、ちゃんと伝えておいてやったからさ」


 何を、と目を見開く私に、ダイナーは口の端をニタニタと吊り上げる。昔から変わらない、人が嫌がることを心から楽しんでいるあの顔だ。


「片腕のくせに偉そうにしやがって……ムカついたから、少し調べさせたんだよ。あいつの娘のことをな。――ミア、とか言ったか?」


 その名が出た瞬間、心臓がどくりと嫌な音を立てた。まさか、あの人の大切な娘さんにまで――。

 なんて卑怯な人なの。怒鳴りつけようとした私を遮るように、ダイナーは勝ち誇ったように言った。


「いやあ、驚いたぜ。もうとっくに死んでたなんてな! お前もなかなかやるじゃないか。娘のフリして、あの片腕をまんまと騙してたんだろ? なんだよ、金でも引っ張ってたのか?」

「……え?」


 耳に届いた言葉が、すぐには理解できない。

 ミアさんが……死んでた? ルークさんがあんなに大切に想っていた、娘さんが……?


「事故だったらしいな。この村を出てすぐのことだとよ。母親も間抜けな女だよなあ。大人しく親父の愛人にでもなってりゃ、娘を死なせずに済んだのによ!」


 飛び散る唾と、下卑た笑い声。気分が悪くて、目の前がぐらりと揺れた。

 ルークさんの、あの寂しそうな笑顔が脳裏に蘇る。もし、それが本当だとしても。知らなければ彼はまだ夢を見ていられたはずなのに――。

 この人は、そのささやかな希望さえも粉々に打ち砕いてしまったんだ!


「どうして……っ! どうして、娘さんが死んだなんて言ったの!」

「はあ? 自分だって騙してたくせに、どの口が言ってんだよ。てめえに指図される筋合いはねえ!」


 逆上したダイナーに、いとも簡単に右手首を掴まれた。ぐい、と力任せに捻り上げられ、壁に強く押しつけられる。背中にじっとりと密着する体温が、吐き気を催すほど気持ち悪かった。


「なぁ、分かってんだろ? お前はひとりぼっちなんだ。権力者に媚びを売って、尻尾を振って生きるしかねえんだよ。今なら謝れば許してやる。痛い目に遭いたくはないだろ?」

「嫌……! 私は、あなたを絶対に許さない!」


 身体は震えていても、私はありったけの声を振り絞って叫んでいた。


「……ふーん、そうかい。マーティンもいない今、親無しのガキを守ってくれる奴なんざ、どこにもいねえのにな!」


 身を捩って逃げようとした瞬間、背後から髪を鷲掴みにされた。ブチッと髪の抜ける音がして、頭皮に走る鋭い痛みに小さく悲鳴を上げる。


「――やめて、離してっ!」

「大声出したって無駄だぜ。今の時間は寄り合いだ。大人も子どもも、みーんな集会所にいるんだからな。……ああ、そうか。ぼっちのお前には、関係ねえ話だったな?」


 ――違う。仲間外れにされたわけじゃない。

 私が行かなくなったのは、みんなに気を遣わせるのが嫌だったからだもん……!

 

「親がいないってのは惨めだよなぁ、イリナ。どんなに俺が悪さをしても親父は俺を見捨てねえ。子どもってのは、それだけ大事なもんなんだとよ。……ああ、お前には一生分からねえことか」


 突きつけられた現実に、喉の奥がきゅっと締めつけられて、息が苦しい。

 ……私だって、欲しかった。お母さんだけじゃない。私を守ってくれるお父さんが、欲しかった。

 だけど、いないんだからしょうがないじゃない……!


 無理やり顎を掴まれ、ダイナーの顔を真正面から見せつけられる。

 ぎらぎらと興奮に光る目、私の涙に酔っているかのような歪んだ笑みに、血の気が引いていくのを感じた。


「安心しろよ。お前のことはこれからは俺が囲ってやるからよ。この村で生きていくには、そうするしかねえんだからな?」


 ……嫌だ。こんな男に、私の尊厳を奪われたくない。

 今すぐ逃げなきゃいけないのに。身体が震えて、指一本、動かせない。

 

 ――もう、助けを求めてはいけない。自分の足で立たなければと決めたばかりじゃない。

 そう頭では分かっているのに、恐怖に支配された唇が、勝手に震えた。


「いやっ、たすけて……ルークさん……!」


 無意識に漏れ出てしまったのは、あの人の名前。

 届くはずなんてない。

 嘘つきだと、軽蔑されたかもしれない。

 もう、あの人には合わせる顔もないのに――。


 ――ガンッ!


 次の瞬間、爆音とともに、玄関の扉が蝶番を弾き飛ばし、内側へと倒れ込んだ。

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