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06 家族ごっこ

 私に向けられた、慈しむような眼差しが嬉しかった。とても嬉しかった、はずなのに。

 その優しさを受け取るべきなのは私ではないのだと――現実を突き付けられた気がした。


「……本当にすまなかった。どうか、気を悪くしないでほしい」

「き、気にしないでください! その……娘さんと、間違えただけですよね? 私は別に……ミアって呼んで貰っても全然大丈夫ですから……」

「……おい、イリナ」

「――やだ、変なこと言ってごめんなさい! あ、シチュー! お鍋に移しておきますね。少し冷ましてから持って帰ってください!」

 

 言うが早いか、私は逃げるように立ち上がって台所へ向かう。

 お鍋の表面に張った膜を、ぐるぐると無心にかき混ぜる。混ざるのはシチューだけじゃない。嬉しい、悲しい、申し訳ない――ぐちゃぐちゃになった感情が、頭の中も、胸の奥も、めちゃくちゃに掻き回していく。

 なんてことを口走ってしまったんだろう。ルークさんには本物の娘さんがいるのに。私ったら、なんて図々しいことを……。


「――イリナ」

「マーティン? ど、どうしたの……?」


 私を追ってきたのか、台所の戸口を塞ぐようにマーティンが立っていた。普段見ない険しい表情に、戸惑ってしまう。


「お前、まさかとは思うけど……あのおっさんのこと――」

「ち、違う! そんなんじゃない!」

「じゃあ、なんであんなに肩入れするんだ! 最初は同情かと思ってたけど、毎日甲斐甲斐しく飯の世話までして……どう見ても普通じゃないだろ!」


 図星を突かれて、言葉に詰まる。

 ――違う。最初は、ただ可哀想だと思っただけ。戦争で傷つき、家族に見放されたあの人を放っておけなかった。それだけだったはずなのに――。


「深入りすんなって言っただろ……! お前とおっさんじゃ、親子ほども歳が違うんだぞ!」

「だから、違うって言ってるじゃない! あの人のことをそんな目で見たことなんて、一度もない……!」

「それならそれで、もっと問題だろ! ……ああ、クソ、違うんだ。こんなことが言いたいんじゃない。俺は、ルークさんを悪く言いたいわけじゃないんだ。……ただ、怖いんだよ」

「……怖い?」

「お前が、『家族ごっこ』で本当に幸せになれるのかってことがだよ。……なあ、イリナ。あのおっさんは、お前を見ているのか? 死んだ娘のミアの幻影を、お前に重ねてるだけなんじゃないのか? 結局お前がまた傷つくだけなんじゃないのかって……俺は、それが怖いんだよ」


 鋭すぎるその言葉が、胸に突き刺さって抜けない。

 言い争う声が響いたのだろうか。ぎしり、と廊下の床が軋む音がした。

 マーティンの背後――そこに、気まずい表情のルークさんが立っていた。


「……すまない。今日はもう帰らせてもらうよ。シチュー、本当においしかった。私はもう腹一杯だから……残りは、マーティンのご両親にでも食べてもらうといい」

「あ、ま、待ってください……! 違うんです、私は本当に――」

「マーティン。雪解けまでは、君もしばらく村にいるんだろう? ……私は、彼女の優しさに甘えすぎていたようだ。少し、ここへ来るのは控えさせてもらうよ」

「ルークさん!」

 

 出て行こうとする彼の背中を引き留めようとしたけれど、足が床に縫い付けられたように、一歩も動けなかった。

 これ以上は、きっと迷惑になってしまう。

 本当にそんなつもりはなかった。なかったのに。……マーティンの言う通りだったのかもしれない。

 

「イリナ……」

「……ごめんなさい。今日はもう、帰ってくれるかしら。……私も、少し頭を冷やしたいから」


 ――浮かれていたんだ、きっと。

 心の中ではずっと否定していたけれど、渇望していた存在が目の前に現れてしまったから。

 私は、あの人の孤独と優しさに、つけこんでしまったんだ。


 ミア、と。呼ばれた名前は違ったけれども、あの慈しむような眼差しを受けて。

 それがどうしようもなく、嬉しかった。


 だって私は……誕生を祝ってもらうこともなく、お父さんに捨てられたんだもん……。


 

 マーティンを見送り、私は静かに玄関の鍵をかける。

 

『村の慣習なんてどうでもいい。――必ず戸締りはしなさい』

 

 そう、ルークさんが帰り際に、いつも口を酸っぱくして言ってくれていたから。

 

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