05 心が満たされる日々
翌日からルークさんが私の家を訪れるようになった。
昼過ぎにやってくると、店を兼ねたリビングの片隅にある椅子に腰を下ろす。ふたりで薪を割り、夕飯を囲み、翌日のお昼の分まで包んで彼に持ち帰ってもらう。
そんな穏やかな時間が、私の日常に新しく組み込まれていった。
ひとりで食事をするのが当たり前だったから。目の前に誰かがいて、同じ鍋のスープを啜るという光景がどこか不思議で、胸の奥が少しくすぐったかった。
「君は器用だな。まさか鳥まで捌けるとは思わなかった」
「ご近所の奥様方に料理を教わったんです。慣れれば平気ですよ」
「そうか……。私も教えを請いたいところだが、どうにも怖がられているようでな」
「それは、まあ……そうかもしれませんね。でも、私に差し入れしてくれるんですよ。これ、ルークさんにもどうぞって」
「……林檎か。ありがたいな。今度、礼を言っておこう」
切り分けた林檎を大きな口で頬張る彼の姿に、自然と頬がゆるむ。
誰かのためにご飯を作り、こうして人と食卓を囲むのが、こんなにも心満たされることだなんて私は知らなかった。
また、別の日には――。
「来るのが遅くなってすまない。着替えに手間取ってしまってな。……ダイナーは、来ていないか?」
「はい。ルークさんが来てくれるようになってからは、一度も」
「そうか、それは何よりだ。こうして飯の面倒まで見てもらっているのに、番犬の役目も果たせなかったら面目が立たんからな」
「もう、番犬だなんて……。あっ、ルークさん、上着の裾がほつれていますよ。どこかで引っかけたのかなぁ。貸してください、縫いますから」
「……何から何まで、本当に手間を掛けさせる」
そう言いながら、彼は少しだけ恥ずかしそうに上着を差し出してくれる。
じっと見つめられている中で黙々と針を動かす。そんな時間もある。
そして、またある日には――。
「……それも、君の仕事の一環か?」
「はい。リオさんのところのお爺ちゃんからの依頼です。最近は細かい文字が見えにくいそうで……でも、ご自分の目で読まないと気が済まないんですって」
「なるほど。だから、大きな文字で書き写しているのか。……分かるよ。できる限り、自分の力でやりたいというその気持ちは」
その声には、深い共感がこもっていた。
興味深そうに私の手元を覗き込むルークさん。じっと見られると少し緊張するけれど、これは私的な手紙じゃないし……まあ、いいか。
時には、マーティンがふらりと訪れて、三人で食卓を囲むこともある。
最初こそルークさんの存在に訝しげな目を向けていた彼も、この奇妙な生活の事情を察してくれたのか、少し渋い顔をしながらも深くは問いただしてこなかった。
「まさか、あんたと一緒に飯を食う日が来るとはな。……しかしダイナーの奴、俺がいないときは相変わらずらしいじゃねえか。また一発ぶん殴ってやろうか?」
「もう、そんなことしなくていいって。あの時だって、村長さんにすごく怒られたでしょう?」
あれは――私たちがもっと子どもだった頃のこと。
村の寄合の片隅で、ダイナーとその取り巻きに「親無し子」としつこくからかわれた。
笑ってやり過ごそうとしたけれど、何度も繰り返される言葉に声にならない涙がこぼれそうになった、その時――。
マーティンが、ダイナーを殴り飛ばしたのだ。
体格では劣っていたのに、彼は傷だらけになりながら最後まで一歩も引かなかった。
結局、大人たちは「子どもの喧嘩だ」と二人まとめて叱りつけただけ。
でも、私は知っている。後日、マーティンのお母さんが、ダイナーのお母さんからどれだけ嫌味を言われていたかを。
……あれ以来、私は寄合に顔を出せなくなった。
私がいるだけで村の輪が乱れてしまうから。からかわれるのも、気まずそうな顔で見られるのも、「親がいないから」と腫れ物に触るように扱われるのも……もう、嫌だったから。
「……息子のことを甘やかすなと、何度か村長には言ったんだがな。私がいない間に随分と増長したものだ」
「村長さん自体はそこまで悪い人じゃないと思うんですけど……。不思議ですね、親子でも似ないものなんですね」
「いや、あれも大概だが……。まあ、親子といっても血が繋がっているだけのこと。多くは環境が作るものだろう。……現に、私の娘はとても心優しい子に育ってくれた。私には過ぎた子だよ。……この身体を気遣ってくれるなど、私にそんな資格があるはずもないのに」
ぽつりとこぼされたその言葉に、私はマーティンと気まずく視線を交わす。
――この間、マーティンが「娘さんからの手紙」として届けてくれたばかりだったのだ。
『意地を張らずに周りの人を頼って、ちゃんと食事をしてくださいね。御身体にはどうかお気をつけて』
私が書いた偽りの言葉。素直に喜ぶルークさんの姿を見て、どうしようもなく胸が痛んだ。
「それは、おっさんも娘さんのことを気遣ってるからだろ? 誕生日プレゼントだなんて、俺は親父から貰ったことねえぜ」
「はは……。私も昔はそんなことを考えもしなかったさ。ただ金を稼いで家に渡すことが父親の役目だと……本気で信じていたんだ」
「まあ、あながち間違いでもねえんじゃねえの? 『亭主元気で留守がいい』なんて、うちのお袋もしょっちゅう言ってるし」
「そう、なのかな。……私はやっぱり、一緒にいられる方が幸せだと思うけど」
お父さんのことを尋ねても、お母さんはいつも、寂しそうに微笑むだけだった。
何も教えてくれないまま、その話題はいつもふわりと宙に浮いて消えてしまった。
結局、本当のことを知ったのは、井戸端で聞いた奥様方の噂話からだった。
病気がちだったお母さんを捨てて、他の女の人と逃げたのだ、と。
酷い人だと思った。けれど、会ったこともないから実感が湧かないのも本当のところで。
遠いどこかで、密かに私の幸せを願っていてくれるんじゃないかと。……そんな都合のいい空想を、未だにしてしまうくらいだ。
――そう、今のルークさんが、そうであるように。
「……まあ、家庭にはそれぞれの事情がある。何が幸せかなんて、その家の者にしか分からんものだ」
「そういうこった。うちなんて喧嘩ばっかりだけど結局別れやしねえし。あれもあれで、幸せの形ってやつなんだろな?」
「君もそのうち、素敵な家族と巡り会えることだろう。……その日が楽しみだね、ミア」
「……ミア? ……おい、おっさん。それ、確か……」
「――っ! すまない、私としたことが……」
――ミア。それは、ルークさんの実の娘さんの名前。
和やかだった食卓の空気が、一瞬にして凍りついた。