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04 初めての遠出

 待ち望んでいた約束の日。

 昨晩からそわそわしてなかなか寝つけず、朝は危うく寝坊しかけて、慌ててベッドから飛び起きた。


「あら、おはようイリナ。今日はめかしこんで、お出かけかい?」

「あ、はい! たまには隣村まで足をのばしてみようかなって」

「……それはいいけど、まさか一人でじゃないだろうね?」


 井戸端で出くわした近所のおばさんが、詮索するような目でじろりとこちらを見る。この時間なら誰もいないと思ったのにどうしよう、返答に詰まっていると――。

 

「……む、待たせたか」

「ひゃっ!?」


 背後からぬっと現れたルークさんに、今度はおばさんの方が素っ頓狂な声を上げた。


「やだもう、びっくりさせないでよ! ルークさん、いきなり人の後ろに立つのはやめてちょうだい」

「すまない、善処しよう。……イリナ、準備はできたか?」

「は、はいっ!」

「あらまあ、ルークさんと一緒だったのね。ふふ、なんだか意外な組み合わせじゃないの」


 好奇心を隠そうともしない視線が、私たちに突き刺さる。変な噂が立たないようにとルークさんが気遣ってくれたというのに……私がどんくさいせいで、結局意味がなくなってしまった。

 困って「えへへ」と笑うしかできないでいると、ルークさんがさらりと助け舟を出してくれた。


「久しぶりに遠出がしたくなったんだが、私ひとりでは隣村の者たちも怯えるかと思ってね。困っていたら、イリナが付き合ってくれると言ってくれたんだ」

「ああ、それはそうよねぇ。あんたが村対抗の腕相撲大会で全勝した伝説、今でも語り草なんだから」


 そう言って朗らかに笑ったおばさんは、ふと、ルークさんの右腕に目をやり――はっとしたように、言葉を飲み込んだ。

 おばさんは気まずそうに愛想笑いを浮かべると、「気をつけて行ってらっしゃいな」とだけ言い残し、そそくさとその場を後にした。


「……ルークさん、腕相撲も強かったんですね」

「昔の話だよ。まあ、左手でも誰にも負けるつもりはないがね」


 そう言って、残された左腕で小さく力こぶを作ってみせてくれる。その少しおどけたような仕草に、こらえきれずに笑みがこぼれた。強面なのに、こんなにお茶目な一面もあるのだと知ったのも、つい最近のことだ。


「……きっと、お昼には噂になってますね。すみません」

「気にしなくていい。……こちらこそすまないな。妙な勘繰りをされなければいいのだが。だから田舎は嫌なんだ」


 そう言ってぼやいたルークさんに、「……分かります」と私は思わず頷いていた。

 優しい人が多いのは本当だけれど、息苦しいほどの詮索と噂話ばかりで疲れてしまうこともある。なにせ鍵をかけるだけで「何かやましいことでもあるのか」と言われるのが、この村での常識なのだ。

 それが当たり前の空気の中で、ずっと馴染めない自分が悪いのだと、心のどこかで思い込んでいた。

 だから――ルークさんも同じように感じていたと知って、なんだかすごく嬉しくなってしまった。


 ぽつりぽつりと会話を交わしながら隣村へ着くと、朝市はたくさんの人で賑わっていた。私たちはその活気の中へ紛れ込み、娘さんへの誕生日プレゼントを探し始めた。

 私とルークさん。傍から見れば少し変わった取り合わせかもしれない。もしかしたら――親子にでも、見えていたりして? そんな想像をしたら、ぽっと小さな灯りがともるように胸の奥が温かくなった。


 一つひとつ露店を覗いては、「どれが良いものか、さっぱり分からん」と困ったように笑うルークさん。私は目に留まった錦糸が編み込まれた銀のブレスレットを勧めてみた。……自分が欲しいくらいに素敵だったから。

 そんな本音はそっと隠して、「これなら封筒にも収まりますし、後から好きな宝石を飾ることもできますよ」なんて、もっともらしい理由を添える。


「ふむ、腕に付けるものか。……君も、こういうのが好きなのか?」

「わ、私はこういうのは一つも持ってなくて……。でも、きっと年頃の女の子なら好きだと思います」

「そうか。……ありがとう。君の助言に従おう。娘も、喜んでくれるといいんだが」

「きっと喜んでくれますよ! だって、お父さんからの初めてのプレゼントなんでしょう? 嬉しくないはずがありません!」

「……そうだと、いいんだがな。あまりあの子と過ごす時間を持てなかったから。……正直、顔ももう朧げなんだ」


 その寂しげな告白に、胸がちくりと痛んだ。

 ……それを言うなら、私はお父さんの顔なんて朧げどころか知りもしない。私がまだお母さんのお腹にいた頃に、借金だけ残して他の女の人と逃げたらしいから。

 ダイナーのこともあって、男の人にはあまり良い印象がない。まともに話せる人なんて、昔から何かと気にかけてくれるマーティンくらいだ。……あとは、最近ではルークさんもだろうか。


 不思議だよね。小さい頃は、ただ怖い人だと思っていたのに。大人になって再会した彼は、あまりにも寂しそうで、頼りなくて。けれど、娘さんを想う言葉は、どこまでも真摯で優しかったから――。

 だから私もつい、気を許してしまったのかもしれない。


「何度もすまないが、また代筆を頼めるだろうか。あの子が暮らす街はもう冬景色に染まる頃だろう。身体を気遣う言葉を添えてもらえるとありがたい」

「もちろんです。……こっちもそろそろ冬支度ですね。ルークさんは、日々の生活に何か不自由はありませんか?」

「恐ろしいものでね、片腕の生活も続けばそれなりに慣れるものだよ。ただ……食事には、少々不便を感じているかもしれんな。なにせ料理などしたことがなかったし、外で食べるにしてもこの姿では他の客に気を遣わせてしまうからな。もっぱら……芋ばかり蒸かして腹を満たしているよ」

「それは……栄養的にもよろしくありませんね。……そうだ! もし、ご迷惑でなければ、今度食事をお作りしますよ?」


 ぽろりと、自分でも驚くような言葉がこぼれ落ちた。

 だって芋ばかりの食事なんて聞かされてしまったら、「そうなんですね~」と笑って聞き流すことなんてできなかった。


 見上げれば、私の突拍子もない提案にルークさんが目を丸くしている。

 やがて、その眉間に深い皺が刻まれた。その顔は私の記憶の中にある、厳しかった頃の彼を思い起こさせた。


「……申し出はありがたいが、君にそこまでの手間は掛けさせられない」

「い、いえ! どうせ自分の分は毎日作るんですから、一人分が二人分になるくらい、少しも手間じゃありません!」

「私の立場を分かっているだろう。君に妙な噂が立つ」

「噂なんて気にしません! それに、もう十分立ってる頃ですから!」


 つい、やけっぱちな気持ちでそう言い返してしまった。

 事実、村を出る前に近所のおばさんに見られているのだ。もうとっくに噂が広がっていてもおかしくない。今さら何をしたって同じだ。


「じゃ、じゃあ! 私を雇う、という形はどうでしょう? その、ルークさんのご事情は皆さん知ってますから。お手伝いさんがいたって、誰もおかしいなんて言いませんよ!」

「……それは確かに、理屈としては正しいかもしれんが……」


 まだ難しい顔をしているルークさんに、私はつい焦って言葉を重ねてしまう。


「ご、ごめんなさい! 困らせたいわけじゃなかったんです。ただ、もし良かったらって……。その、忘れてください……」

「いや、困ってはいない。むしろ本当にありがたいと思っている。ただ……やはり年頃の娘さんを、私の家に招くわけにはいかないだろう」

「あ、でしたら! うちに来ていただくのはどうですか? お店も兼ねていますから、ルークさんがお客様として来てくださってもおかしくありませんし、マーティンも時々様子を見に来てくれてます! 少し遠いですけど……いい運動にもなりますよね?」

「……あのドラ息子も、たまに来ると言っていたな?」

「ああ……はい、たまに……」


 ドラ息子――言わずもがな、ダイナーのことだ。

 最近はルークさんがお客さんだと知ってか顔を出さなくなったけれど、いつまた現れるか分からない。この間は助けてもらえたけれど、次も同じようにいくとは限らない。

 考えるだけで、胃のあたりがきゅうっと痛くなる。


「……ふむ。それならば、私が君の家に通うとしよう。もちろん食事の対価はきちんと支払う。私がいる間は入口の扉も開けておけばいい。それならば妙な噂も立たずに済むだろう。……どうだろうか?」

「ルークさんさえよければ、ぜひお願いします。……本当に、助かります」

「それはこちらの台詞だよ。……いいか、何か不快に思うことがあれば、遠慮せずに言うんだ。村長に直接言ってもいい。君はどうにも強く出られない性格のようだから難しいかもしれんが……」

「が、頑張ります……!」


 そう言ってぎゅっと拳を握った私に、ルークさんはまた、小さく笑みをこぼした。

 こうして、明日からルークさんが我が家に来ることが決まった。


「……これを、手紙に同封してもらえるかな。もし返されてきたら……そうだな。君のものにしてくれて構わない」

「そんなわけには……。でも、大丈夫ですよ。きっと受け取ってもらえますから」


 ――娘さんへの贈り物として買った、銀色のブレスレット。

 ほんの少しの罪悪感を抱えながら、私はそれを机の奥深くにそっと眠らせた。

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