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03 招かれざる客

「よう、イリナ。今日も仕事を恵んでやりに来たぜ」


 決まってマーティンが村にいないときを見計らったように、ふらりと現れるのは村長さんの息子――ダイナーだ。

 親無し子の私を気にかけてくれているのか、村長さん自身も字は書けるはずなのに「君の字は美しいから」なんて言って定期的に仕事を回してくれる。それは私にとって貴重な収入源。息子である彼を粗末に扱うこともできず、私は笑顔を貼りつけて店の中へと招き入れた。


「こんにちは、ダイナーさん。今日はどんなご用件ですか?」

「さあな、親父のやることなんざ知るかよ。……それよりもさ、お前のおかげでテレサを落とせそうなんだ。女ってチョロいな。甘い言葉を並べてやりゃ、すぐその気になるんだから」


 ……だからこの人のことはあまり好きになれないんだ。

 自分の字じゃ様にならないからと恋文の代筆なんか頼んでくるくせに。女の人を見下して薄ら笑いを浮かべる姿に、どうしようもない嫌悪感がこみ上げてくる。


「そのテレサさんと、結婚するんですか?」

「まさか。あんなの遊びだよ、遊び。誰が一番早く落とせるか競争してんだ。俺にはれっきとした婚約者がいるの、お前だって知ってるだろ?」

「ああ……そうですか……」

「なんだよ、そんな寂しそうな顔すんなって。お前もやっと女らしい体つきになってきたからな。本妻にはしてやれねえけど、愛人にしてやるって」


 ――結構です。

 そうはっきり言い返せれば、どんなにいいことだろう。

 でも、この村で生きていく以上は、次期村長である彼の機嫌を損ねるわけにはいかない。天涯孤独の私が村八分にでもなったら、もうどこにも行く場所はないのだ。親切な村の人たちだって、村長の権力に逆らってまで私を庇いはしないだろう。


 返事に困って曖昧に笑うしかない私に、ダイナーの手が伸びてきた。なれなれしく肩を抱かれ、彼の吐く息が頬にかかる。ぞわりと肌が粟立ち、身体が硬直する。


「お前にだって悪い話じゃねえだろ? ……なあ。マーティンなんかに股を開く前によ、俺に――」

「……イリナ、今日も頼みたいことがあるんだが……む。先客がいたか」


 カラン、と玄関の釣り鐘が鳴り、戸口に大きな人影が立った。――ルークさんだ。

 戦場から遠ざかってもなお衰えない体躯と、その鋭い眼光。それだけで、ダイナーがたじろぐように私から身を引いたのが分かった。


「……なんだよ。純朴そうな顔して、負け犬まで誑し込んでたのか、イリナ」

「そ、そんな言い方はやめてください! ルークさんはちゃんとしたお客様です!」


 いつもは萎縮してしまう私が、思わず声を張り上げていた。

 それが気に入らなかったのか、ダイナーがムッとして何か言い返そうとした、そのとき――ルークさんが場の空気を読むように、ゆっくりと口を開いた。


「君は……ああ。村長のところの悪餓鬼か。こんなところで油を売ってどうした。寝小便はもう治ったのか?」

「うっ……うるせえな! いつの話してんだよ、クソジジイ! 女房に逃げられたくせに、若い女に手ぇ出してんじゃねえ!」

「そうかそうか、口だけは達者になったようだな。それで、兎くらいは狩れるようになったのか? お前が兎に蹴られて泣いていた姿は今でも忘れられんよ」


 ルークさんとってダイナーなんてまだまだ子ども同然なのだろう。何を言われても泰然と受け流し、むしろ楽しむように彼の口からは次々とダイナーの黒歴史が明かされていく。みるみるうちに顔を真っ赤にしたダイナーが、わなわなと拳を震わせた。


「――クソがっ! てめえがこの村にいられるのも、親父の温情のおかげなんだからな! そのことを忘れんじゃねえぞ!」

「払うべきものは払っている。この村に住む権利は私にもあるはずなんだがね。……それよりも、いい年をしていつまでも親の権威を笠に着るのはみっともないぞ。女を口説くのなら、なおさらだ」


 ルークさんの落ち着き払った正論に、ダイナーはぐうの音も出ないようだ。悔しさに顔を歪ませ、忌々しげに舌打ちをすると、彼は勢いよく背を向けた。


「覚えてろよ!」


 陳腐な捨て台詞とともに玄関の扉が乱暴に閉められる。

 嵐のようだった、なんて他人事のように考えていると、ルークさんが気まずそうに咳払いをするのが聞こえた。


「……余計な真似をしたのならすまなかった。君が困っているように見えたものだから――」

「余計な真似だなんて、とんでもないです! 本当に困っていたんです! 助けていただいて……本当に、ありがとうございました!」


 安堵と感謝で、つい声が上ずってしまう。そんな私にルークさんは少し驚いたように目を瞬かせ、それから、ふっと優しく笑った。


「それなら良かった。……彼は、たびたびここに?」

「はい。マーティンが村にいないときを狙って……。あ、以前ふたりが大喧嘩をしたことがあって。腕力では勝てないと分かってからは、マーティンがいるときは寄りつかないんです」

「なるほどな。まったく、血は争えんか……。いいか、イリナ。また何かあったら今度は私に言いなさい。遠慮はいらないから」


 その声は静かだったけれど、有無を言わせないほど力強かった。優しくて、頼もしくて……これまで感じたことのない感情が、胸の奥でそっと芽生えていく。

 それが何なのかも分からないまま、私は照れくさくなって、慌てて話題を切り替えた。

 

「本当にありがとうございました。どうしても私の立場だと強く言えなくて……。あ、それで、何かご用だったんですよね? お仕事でしょうか」

「ああ」

 

 そう頷くと、ルークさんは肩掛け鞄から一枚の封筒を取り出した。見覚えのあるそれは、私が娘さんとして送ったものだ。


「もうすぐ娘の誕生日なんだ。何か贈り物をしたいんだが……年頃の娘が何を喜ぶのか、見当もつかなくてな。……もしよければ、一緒に考えてはくれないだろうか」


 そう言って微笑む彼の顔は、どこか気恥ずかしそうで、少し戸惑っているようにも見える。

 娘さんの誕生日を祝ってあげたいだなんて――。その優しい想いに触れて、私の胸までふんわりと温かくなった。


「はい、喜んで! ……村のルールーさんの雑貨屋さんで探しますか?」

「それでも構わないが……ここでは何かと目立つだろう。君さえ良ければ、隣村まで足を延ばしてみるのはどうだろうか」


 隣村――その言葉に、胸が高鳴る。

 そう遠くはないけれど、仕事でもない限り、子どもだけで村の外へ出るのは許されていない。

 お母さんを亡くしてから、私はずっとこの村の中だけで生きてきた。だから……。


「わあ……! 行ってみたいです! ぜひ、お願いします!」


 嬉しさのあまり、思わず声が弾んでしまう。

 ルークさんがじっとこちらを見つめているのに気づいて、はしゃぎすぎた、とはっとした。……いけない、子どもみたいに思われただろうか。

 おそるおそる顔を上げると、彼は「それなら良かった」と、とても穏やかに笑っていた。

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