10 その日、私の隣を歩くのは
その日を境に、私たちの周りの世界は少しずつ色を変えていった。
きっかけは、村長さんが寄り合いの場に私とルークさんを招き、集まった皆の前で深く頭を下げてくれたことだった。
――息子の育て方を誤った。イリナにも多大な迷惑をかけた。
息子は街の自警団に預け、その性根を根元から鍛え直してもらうつもりだ――と。
それが本心だったのか、あるいはルークさんに諭された結果なのかは分からない。
けれど、村を覆っていた息苦しい空気がほんの少しだけ和らいだのを感じた。
だから私は……その謝罪を受け入れることにした。
正式に私との養子縁組を結んだルークさんは、私の家に移り住んだ。
代筆屋の仕事は続けながらも、ふたりで薪を割り、畑を耕す。時折、マーティンがお土産を片手に訪ねてくる。
私たちの新しい、本当の家族としての毎日が始まった。
ある日、マーティンは少し言いにくそうに、一つの伝言を届けてくれた。ルークさんの元奥さんからの言葉だった。
「……あんたの元奥さん、やっぱり金は受け取ってくれなかったよ。もう再婚して幸せにしてるから関わらないでくれってさ。……それと、娘さんのことも、あんたがすぐに駆けつけられなかったのは仕方のないことだと、理解してるって」
マーティンはそこで一度言葉を切り、ルークさんの顔をまっすぐに見つめた。
「……あと、感謝してる、とも言ってた。村長からあんたが守ってくれたおかげで、今の自分があるからって」
「……そうか。中途半端に手を出して、幸せにしてやれなかったことは、本当に申し訳なかったと思っている」
「いいんじゃねえの。奥さんも今が幸せならさ。……あんたは、娘さんの分までイリナを大事にしてくれてんだから。きっと、それでいいんだよ」
言葉を選びながらそう言ったマーティンは、照れ隠しのように猪肉にかぶりつく。
ルークさんが狩った獲物のお返しにと、奥様方からたくさんもらった野菜で作ったスープは、彼の口にも合ったらしく何度もお代わりしてくれた。
――今度、村の男衆と、壊れた橋の修理をするんだ。
そう言って少しだけ誇らしげだったルークさんのために、しっかり食べて、力を蓄えてもらわないと。
時に笑い、時に些細なことでぶつかりながらも、穏やかな毎日が続く。
私はその日々の中で、心からの幸せというものを、生まれて初めて知った。
――それから、季節は幾度か巡った。
荘厳なパイプオルガンの音色が、村の教会の天井高く響き渡る。
ゆっくりと開かれた扉の向こう、まばゆい光と花吹雪が、祭壇へと続く赤い絨毯に降り注いでいた。
集まってくれた村中の人たちの祝福の拍手に包まれながら、私は、静かに一歩を踏み出した。
祭壇の前には、伝統衣装を凛々しく着こなしたマーティンの姿がある。
窓からの逆光に目を細めたそのとき、私の視界の端に、すっと一本の腕が差し出された。
「……左腕が残っていて、本当に良かった」
照れ隠しのようなその自嘲に、私も微笑みで返す。
その逞しい腕に自分の腕を絡ませ、私たちはゆっくりと歩き出した。
「今日まで、私を守ってくれてありがとう。……お父さん」
「こちらこそ。今日まで私の娘でいてくれて、ありがとう、イリナ」
「今日まで、じゃないわ。これからもずっと――私は、あなたの娘よ」
「……そうか。そう言ってくれるか。……私の大切な娘を頼んだぞ、マーティン。泣かせたら承知せんからな」
「分かってるって。……まったく、世界一物騒な義父さんだよ」
軽口を叩きながらも、マーティンは優しく微笑んで私のために手を差し伸べてくれる。
私はその大きな手に、自分の手をそっと重ねた。
私の右手首には――。
かつて、お父さんが『娘のために』と買ってくれた銀色のブレスレットが、祝福の光を浴びて、軽やかに揺れていた。




