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『先駆けの騎士と王弟付き秘書官の婚約解消について』のすぐあと。
王弟執務室でのお話です。
ポール卿ことポーリーン・ファーバー子爵令嬢はベンジャミンの憧れだった。
涼やかで清廉な色気をにじませる空色の瞳も、高い位置で結ばれ動くたびに揺れる淡い金の真っ直ぐな髪も。
普段は穏やかで物静かなのに、剣を持った途端に好戦的にぐっと弧を描く薄紅の唇も。
そのどれもが、彼女の舞うような剣を素晴らしく輝かせる一級品の装飾だった。
ポーリーン・ファーバーの『剣』はベンジャミン・フェネリーの憧れだった。もちろん、今も憧れである。
ベンジャミンの家、フェネリー伯爵家は代々文官…特に財務官を多く輩出する家だった。
当然ベンジャミンも幼いころから英才教育を受けて育ち、飲み込みも悪くなかった彼はフェネリー家の後継では無かったが、国の官吏として十分フェネリーを名乗るにふさわしいと彼の家族も認めていた。
ただ、ひとつ問題があるとすると、ベンジャミンがやたらと剣を握りたがったことだ。自慢ではないがフェネリー伯爵家は武力の方はからっきしで、少なくとも過去四代、分家に至るまで騎士を輩出したことはない。
せいぜい、令嬢が幾人か武門の家に嫁に行った程度だ。それもフェネリー伯爵家との繋がりを求めたもので令嬢本人の資質によるものではない。
いや、財務管理能力と領地経営能力は買われていた、かもしれない。
そんなわけで、フェネリー家の人たちは困った。
可愛く賢い御年十歳の次男が自分たちが全く導いてやれない『剣術』というものに興味を持ってしまったのだ。
政治も経済も外交も貿易も。フェネリーの一族は内にも外にも秀でていたため文官であれば何に興味を持ってくれても良かったのだ。
なのに剣。なぜか剣。理由を聞いてもただ「好きなんです!!」と目を輝かせて繰り返すばかりの次男に、同盟国からも「あの男を敵に回してはいけない」と敬意とほんのちょっとの警戒心を抱かれる優秀な外交官である父伯爵も、ただただ遠い目をするしかなかった。
幸いベンジャミンは第三子であり、後継者として育てられている第一子の長女に万が一何かあったとしても第二子である長男がいる。
長女も長男も実にフェネリー伯爵家の血筋らしく間違いのない文官向きだったため、多少第三子がやんちゃでも問題にはならなかったのだ。
どうしても剣を、と情熱的に何日でも何時間でも語り続ける次男に父伯爵が折れ、文官としての勉強も並行して進めることを条件に王国騎士団を退役した元騎士を家庭教師として雇い師事させた。
そうして、ベンジャミンは学園を卒業してすぐに従騎士選抜試験に挑んだ。
結果はもちろん惨敗。未来の有望な人材を発掘するための試験は現在の剣の腕ではなく基礎体力や運動神経を重視するものだったが、例外なくフェネリー家の男子であったベンジャミンは残念なことに運動神経があまりよろしくなかった。
持久力もなく瞬発力もごく一般的。目が良かったり耳が良かったり勘が良かったりということももちろん無く、八十人の受験者のうち合格した五人に入ることはできなかった。
従騎士選抜試験は年に一度開催される。
有望な人材のスカウトによる中途採用などは随時行われているのだが、ベンジャミンがそこに引っかかるわけもなく。
ベンジャミンは翌年も、そのまた翌年も、もちろん従騎士選抜試験を受験した。そして当然のごとく、落ちた。
ベンジャミンの情熱に呆れ…いや、感銘を受け、家の手伝いと官吏の勉強を優先することを条件に二十三歳までは官吏試験を受けずに従騎士を目指してよいと父であるフェネリー伯爵も認めてくれていたため、その後も毎年ベンジャミンは従騎士選抜試験を受け続けた。
才能が無いとは分かっていたが、ひたむきで勤勉なベンジャミンの気質とその努力を、何だかんだと父伯爵はとても評価していたのだ。剣に全く向かない自分の血筋を申し訳なく思う程度には。
そうして最後の一回!と受験した二十三歳、六回目の挑戦の時、学園を卒業してすぐに従騎士選抜試験に挑んだ十八歳のポーリーンに出会ったのだ。
ファーバーとフェネリー。
家名順に郵送された受験資格者証のおかげで、ベンジャミンは常にポーリーンと同じグループに配置され、ポーリーンと共に過ごした。
共に過ごしたと言っても五人一組であり年齢差もあったためそれほど密に関わることは無かったが、それでもポーリーンの剣や動きを間近に見て、時に手合わせをすることもあった。
正直、ポーリーンの動きは滅茶苦茶だった。
ベンジャミンの知る型通りの剣ではない。確かに型はあるのだけれど、そこから一つも二つも絶妙に崩された…実戦の剣だった。
捉えたと思ってもさらりと流され、避けたと思っても思いもかけない方向から剣がのびてくる。時には足も拳も出た。
ポーリーンと剣を交えていると、まるで捕らえられない薄金色の蝶を必死で追いかけている気分だった。
極めつけは、ちょうど同じ年に同じく卒業すぐで受験していたアレクシア・ガードナー伯爵令嬢との見事な剣舞だった。
武門であるガードナー伯爵家は王国の東に領地を持ち、東の国境を守るハントフォード国境伯家と共に国を守護してきた一族の御令嬢だ。
FとGということでやはりベンジャミンたちと同じグループにおり、全く正反対に見えるポーリーンとアレクシアは意外なほど馬が合っているようだった。
確か、模擬遠征という名のレクリエーションに行った時の夕飯時だったと思う。アレクシアが東の地域に伝わる剣舞にポーリーンを誘った。
初めはたどたどしくアレクシアに指導されながら動いていたポーリーンは、さすがというかすぐにこつを呑み込んだようで、気が付けば平原に煌々と焚かれた炎の前で二人は見事な舞を演じて見せた。
ポーリーンの淡い金の髪が炎の朱を映して太陽のように輝き、アレクシアの漆黒の髪は赤く染まり深い闇のような妖しさをまとった。
澄み切った空の色とほの光る紫光の色の瞳が好戦的に煌めき見つめ合い、武骨な実用の重い長剣を使っているはずなのに二人の動きはあまりにも軽やかで、そして例えようもなく美しかった。
あの場にいた誰もがその動きと輝きに魅入られ、手で拍子を打ち、喝采を送った。
あの日。美しく舞うポーリーンを見たとき、ベンジャミンはやっと騎士への夢を本当の意味で諦めることができた。これが騎士になる人なのだなと心から納得できたのだ。
そうしてポーリーンはベンジャミンの憧れ、ベンジャミンの女神となったのだ。
ちなみに、二度と見られないであろうその稀有な光景は今でも騎士団の伝説として語り継がれており、東部地方の剣舞は騎士たちの憧れとなっている。
そして、二人の剣舞は御前試合や同盟国との合同試合などの時にはエキシビジョンとして必ず演じられる王国騎士団の名物となっており、見るたびに変わる二人の舞を見るためだけに毎回、観覧席の争奪戦が繰り広げられている。
―――そして現在。
ベンジャミンはなぜか王弟の執務室の扉の横に控えている。憧れの騎士ポール卿と王弟付き秘書官アンソニーの夫婦の語らい…というにはあまりにもポール卿の顔色が優れない話し合いを静かに見守っているところだった。
六年前。案の定六回目の従騎士選抜試験にも落ちたベンジャミンはすっきりとした気持ちで官吏試験に挑もうと思ったのだが、なぜか現在の主人に呼び出されてこう言われた。
「お前、面白いな。剣筋はさっぱり面白くないが」
そうして、お前は頭も切れるし根性もあるし剣も多少使えるようだからちょうどいいと、王弟殿下付きの従者という名の雑用係に抜擢されてしまったのだ。
余談だが、あれだけ勉強した官吏試験は結局一度も受けることが無かった。
3話構成で、本日20時までに完結させます。