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二話

 小学校四年生の頃、放課後に友達と校庭でサッカーで遊んでいた時、隅の方に立っていた少女が俺を指差した。


 ──アレが欲しい


 恐らく、そう言ったのだと思う。隣にいる黒いスーツにサングラスという出で立ちの男に、彼女は無表情で告げた。

 見知らぬ少女に突然指を刺されたことに僅かな不快感を覚えただけで、特に気に掛けはしなかった。



 それから一週間も経たずに父親の会社が倒産した。


 ただでさえ経営が傾きかけていた所に、銀行からの融資を断ち切られてしまったらしい。

 当時の僕にはよく分からなかったが、絶望に打ちひしがれる両親の姿に恐怖心を覚えていた。


 そして、それから数日後。


 帰宅して玄関のドアを開いた先にあったのは、妙に首の伸びた父親の姿だった。その首には縄が巻かれていて、天井からぶら下がっていた。青白い顔をして、舌を突き出して、下半身から漏れ出た汚物が床に垂れて悪臭を放っていた。


 僕は、一生あの光景と臭いを忘れることは無いだろう。


 葬儀は、慎ましく行われた。


 僕と母親だけの、家族葬。死化粧を施された父親の顔は血色が良いように見えて、けれど何処か違和感が拭えなくて、それから一時間ほど後には骨だけになって帰ってきた。

 母親は啜り泣きながら骨を骨壷に入れていた。僕は未だに何が起きたかちゃんとは受け入れられずに、言われるがままに小さな骨を拾って入れた。のどの骨の説明をされても、よく分からなかった。


 ただ、係の人が残りの骨を入れていく途中で、中身が一杯になると事務的に骨を砕いて、そのザクザクとした音で初めて寂しさを感じた。

 母親は変わらず啜り泣いていた。けれど同時に、骨壷を睨みつけているようにも見えて怖かった。


 それから母は僕よりも早く仕事に行って、帰ってくるのは夜遅くになった。朝起きると現金が机の上に置かれていて、僕はそれで朝食と夕食をコンビニで買って食べていた。


 やがて、母がやつれ始めて生気を失い始めた頃、チャイムが鳴った。


 玄関口で、母親は黒いスーツを着た男の人と何かを話していた。動揺した様子で、僕とその男の人とに何度も何度も視線を向けた。

 そして、媚びへつらうような笑みを浮かべて僕に近づいてきた母親は、ぐいぐいと背中を押して玄関口へと強引に連れて行って、僕はそこで始めて玄関の扉の影に何処か見覚えのある昇叙が立っていることに気付いた。

 彼女は目が合うと口角を僅かに釣り上げ、僕はその目には爛々とした煌めきを見た。


 母親は、更に僕を押して玄関の外まで追いやり、頭を撫でた。視線を上げたが、母親は僕ではなくて黒いスーツの人から受け取った分厚い封筒の中身に向けられていた。


「いきましょ」


 鈴のなるような透明感のある声を発した少女が僕の手を取った。その手は妙に冷たかった。


「どこに?」


 それに返答はなく、少女と黒いスーツの人に挟まれ、黒くて少し長い車に乗せられた。


 全く状況が理解できないまま、やがて車は見たことの無いような西洋風の豪邸へと入っていき、僕は再び手を取られてその中へと連れられていった。


 赤いカーペットの敷かれた館内の長い廊下には幾つもの扉が付いていて、まるで映画や漫画の世界に入ったかのような錯覚に陥った。

 僕の手を引く少女は、その扉の一つの前で止まって、ドアを開き、ふんわりと柔らかな笑顔を浮かべた。少し、鼓動が早くなるのを感じた。


「これがあなたの部屋。ここがあなたの家」


 しかし、続く言葉の意味はよく分からなかった。


「どういうこと? 僕の家はここじゃないよ」

「いいえ、今日からそうなるの。そうなったの」

「おかあさんは?」

「いないわよ」

「どうして?」


 少女は獲物を見るように目を細めた。ぺろり、と舌先が下唇をなぞる仕草に再び鼓動が早くなった。


「あなた、私に買われたの。あなたのお母さんはね、自分の生活費のためにあなたを売ったのよ」


 買った、ということよりも、売られた、ということを強調するような言い回しだった。


 買った。売った。どちらも通常、人間に対して使われる言葉では無い。僕がヒトではなく、モノであるかのように扱われていると感じた。


 その時は、やはり自覚など無かった。

 天井からぶら下がる父親を見た時からずっと夢を見ているかのようで。


 ──しかし、現実として、僕はこの瞬間から少女の所有物(おもちゃ)なっていた。

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