過ち
エマーリィ視点に変わります。
四年前、自宅で催した茶会でアルフレッドを貶してしまった。アルフレッドに謝罪の言葉は受け取ってもらえたが、素っ気なくあしらわれた。それまでの関係が決定的に崩れて、初めてエマーリィは自分の気持ちに気付いた。
しかしその後すぐに、エマーリィはクラウス王子の婚約者候補に名を連ねられるようになり、アルフレッドに好きだと伝えることは叶わなくなった。
せめて関係を修復しようと接触したが、いざ目の前にすると怖気づいていま一歩踏み出せなかった。対するアルフレッドの態度もよそよそしいもので、関係悪化に拍車をかけた。周囲は年齢相応のものだろうと、二人の関係の変化を不思議に思わなかった。長年エマーリィに仕えている侍女のシエラ以外は。
あれ以来ずっと、アルフレッドには嫌われているか、もしくは好かれていないと思っていた。大勢の前で貶めたのだから、無理もない。そう自分に言い聞かせてきた。恋心を心の奥に押し込めた。
そして己に課せられた使命に向き合いクラウス王子と良好な関係を築こうと苦心したが、ほかの婚約者候補たちとの足の引っ張り合いにだんだんと心が荒んで、刺々しくなっていった。家人や、取り巻きの令嬢に強く当たることも増えた。
「エマーリィ様って、まるで物語に出てくる悪役令嬢みたいですわよね」
それなりに仲良くしているつもりだった令嬢たちだ。
あるとき、エマーリィの悪口で盛り上がっている現場に居合わせてしまった。建物の陰で息を潜めてやり過ごす。いっそ彼女たちの前に出ていって驚かせてやろうかと思ったが、急にバカバカしくなってやめた。
誰もいない廊下を一人進む。エマーリィの足音だけが響いていた。
ずっと高位貴族の令嬢として、王太子の婚約者候補として相応しくあろうとエマーリィなりに頑張ってきた。
近々学園で催される学園祭での出し物についても、皆が楽しめるようにと考え抜いて、率先して準備してきた。関連書類の提出をしようと向かっていたが、悔しさがじわじわと込み上げて立ち止まる。
今まで積み上げたもの築き上げたもの全部を壊したくなった。書類をぐしゃぐしゃにして、床に放り投げて散乱させた。少しだけ、胸が空く思いだった。
「エマーリィ」
ふいに背後から声をかけられて、肩をびくりと震わせる。
人前で醜態を晒した。さぁっと血の気が引く。恐る恐る振り向くと懐かしい顔が視界に映り込む。エマーリィは目を丸くした。
(アルフレッド)
記憶の中の姿より、ほんの少し大人びていて一瞬面食らったが、間違いない。しかし同じ学園内にいても、今までほとんど見かけることがなかった。
(今、私の名前を呼んだ?)
疎遠になってから会ったときはずっと、アルフレッドはエマーリィのことを『エマーリィ様』か『ドルシェンナ嬢』と家名に敬称を付けて呼んでいた。
アルフレッドがエマーリィと呼び捨てていたのは、幼い頃、一緒に遊んでいた時だけだった。
どういうつもりなのかと戸惑っていると、アルフレッドは床に散らばった書類を一瞥し近づいてきて、その場に屈んだ。一枚一枚手に取って皺を伸ばし、内容に目を通してからまとめる。
「はい」
淡々と差し出した紙の束の中から、抜き出してあった一枚を指さした。
「ここ。申請に不備があるよ」
「……私が間違うはずは」
昔のように、気安い口調で接してくる幼馴染に困惑しながら、エマーリィはアルフレッドの指摘を否定しようとした。指さした箇所を確認して、アルフレッドの指摘が正しいことを理解する。ハッとして顔を上げた。
「そういうときもあるだろ」
書類を投げ捨てた経緯を聞くこともなく、行為を咎めることもなかった。アルフレッドはその一枚をほかの書類の上に重ねた。エマーリィの方へまとめて差し出す。差し出された書類の束を見つめていると、アルフレッドがほら、と促す。エマーリィはようやく受け取った。自然と肩の力が抜ける。
「……拾ってくれてありがとう」
「ん」
軽く頷いてから、アルフレッドがその場を去る。エマーリィは何度もアルフレッドとのやり取りを反芻した。
王子の婚約者候補だからと、皆の前で虚勢を張り続けた。
アルフレッドの前でだけ緊張が解けた。弱さを見せることができた。自然体でいられたことがじわじわと心に沁みて、気付けば後を追いかけていた。
小走りで後を追い、廊下の角を曲がったところで他の人間の気配を感じて慌てて立ち止まる。
「アル。お前、どこに行っていたんだ。急に消えるから探しただろう」
長い黒髪を高く結んだ、見目の良い男がアルフレッドに声をかける。アルフレッドはその男に応じて、隣に並んで歩き出す。
結局声をかけることができないまま、遠ざかる背中を見送った。
エマーリィが事故に遭ったのは、その数か月後のことであった。
階段から足を滑らせて転げ落ち、強く頭を打って何日間も意識を失った。目が覚めた後、投薬された薬の影響もありエマーリィは一時、軽度の意識障害を患った。そのときの周囲の慌てようは意識がはっきりと戻ったあとも鮮明に覚えていた。
エマーリィは寝台に寝転がりながら、この状況を利用してとある計画を立てた。