六段目
すでに夜明け頃になりました。大まん長者はそろそろ良い時分だろうと、「姫の生き肝を取って参れ」と命じて、荒々しいつわものどもを三人遣わしました。つわものどもは御堂に参り、姫にこの事を申しあげれば、姫君は少しも騒ぐことなく、
「もとよりわかっていたことですから、今さら誰を恨みましょうか。でも、ここで生き肝を取ったりしたら、あの弟が驚いて嘆くでしょうから、麓の野原に出ましょうか」
といって、横たわった弟を、この世の名残もこれまでと、慕わしい気持ちで眺めると、野原に立ち出でて行きました。
敷皮を敷かせ西向きに座り、
「お侍さま、しばし暇をくださいませ。御経を転読しますから」
といって、法華経の五の巻を転読しては、これは一切衆生のために。阿弥陀経を転読しては、これは弟ていれいの身の安穏のため、また死後にはこの功力で上品の蓮台に往生得脱なりますようにと祈りました。
姫はその身をまた西に向けて手を合わせ、
「南無西方極楽教主の弥陀仏、この願いを確かにお聞き入れになって、父母を浄土へとお導きくださいませ」
と回向しました。
「さあ、お侍さま。人の生き肝を取るときには、まず刀を五分巻にして、弓手の脇に切りたてて、馬手へきりりと引き回せば、肝に差し障りはありません。生きていれば名残惜しさが増してくるばかり。さあ、はやくお取りなさい」
というので、もののふどもはめまいがして心も消え入りそうになりながらも、刀を五分巻にして弓手の脇に切りたてて、馬手へようよう引き回し、生き肝を取りました。天寿姫のその命は、生年十二歳を一期として、朝の露と消えたのでした。
もののふどもはこの生き肝を取って長者の館へ帰り、延命酒の酒にて七十五度洗い清めて、松若に与えました。松若がこれを押し頂いて服用すると、顔に広がった三病の瘡がたちまち消え失せて、一時ほどのうちに花のような稚児の姿に平癒したのはまことに不思議なことです。見る人聞く人、おしなべて感動しないものはございません。
さて、三人のつわものどもが、一つ心に気にかかることを申せば、
「不思議なことにただいま姫君を害したところ、異香が薫り花が降り、紫雲たなびき音楽が聞こえました。いざ、せめて亡骸だけでも埋葬いたしましょう」
とのことでした。
元の場所へ立ち返って松明をかざして見てみれば、まだ一時ほどもたたないのに、死骸は消え失せてどこにも見当たりません。野に住む犬の仕業でもなく、狐狼野干の所業でも無いようです。それならば血の跡をたどっていこうと、血が滴った跡にしたがっていけば、不思議なことに黄金づくりの御堂を指して入っていくようです。御堂に立ち入ってみると、天寿、ていれい姉弟は、昨夜の姿のままに、姉は弟に覆いかぶさり、弟は姉を枕として、安らかに横たわっておりました。
もののふどもは驚いて、
「これはどうしたことか、姫君、たしかにその身を害しましたが、弟への心残りから魂がここまでやって来たのでしょうか。何がどうしてこのようなことが」
姫はこれを聞いて、ほっと息をつきました。
「もののふたちよ、お聞きなさい。私は夢うつつのうちに敷皮に座り、生き肝を取られると思ったそのとき、仏壇の中の黄金の阿弥陀がその美しい唇から妙なる御声をおだしになって、すばらしく親孝行な姉弟であるから、私がそなたの身代わりとなって姉弟の命を全うさせ、福貴の家として守りましょう、とおっしゃったのですよ」
仏壇を開いて見てみれば、三尊いらっしゃる中の本尊の胸の間がくわっと切れて、未だに鮮血が流れているのでした。
大まん長者は、
「まことに親孝行な姉弟であるから、三世の諸仏も不憫に思し召して、身代わりになられるのも理であろう。このように諸仏に心をかけていただいた姫ならば、松若の御台所としようではないか」
といって、姫は松若の御台となり、二代の長者と栄えたのも、親孝行の遺徳というものです。弟のていれいは髪を剃り出家を遂げて、かの御堂に住んで、ますます親の菩提を弔ったのでした。
しかるに、この本尊の胸の間は平癒するべきところを、あえて末代の衆生のために証拠として残し、今でも血が垂れておいでなのです。たいへん優れたものであったので、中ごろには大唐に渡り、一切衆生を利益しました。そのころ、せんとうかしょうは修行の真っただ中に、この出来事をつぶさに書き記し、日本へ渡されたのも、末代の人々に親孝行の人の後世がいかなるものかを知らせるためでございます。今もなお天竺びしゃり国のかたわらに胸割り阿弥陀といって名物三尊がございますとか。
上古も今も変わりなく、親孝行の者たちは、誰でもこのようであるべきだと、感心しないものはないのです。
※この翻訳は古活字本「阿弥陀胸割」を底本としています。ただし、底本では段分けはされていないものを「小説家になろう」掲載に当たり読みやすさを考慮して、鱗形屋孫兵衛版「阿弥陀胸割」を参考に段分けをしました。また、『新日本古典文学大系(90) 古浄瑠璃 説経集』(信多純一・坂口弘之 校注、岩波書店)の校訂、注釈を参考にさせていただきました。