三段目
さて姉弟はこの夢のお告げを確かに聞いて、この御堂を涙と共に出てゆきました。菊水川を渡り、じきふヶ野辺をあとに見て、七日間ほど行きますと、びしゃり国で名の知れた山中おきの郷ゆめの庄の、大まん長者のところにたどり着きました。
さて、この大まん長者と申します者は、北原八十六か所では知らぬ者のない長者ですので、四方に四万の蔵を建て、家の中には眷属も多く、何事につけても不足するということはございませんでした。
ところがそのころ大まん長者は、辻という辻にとある札を書いて立てておりました。どういう訳かと申しますと、この長者には松若という若君が一人おりましたが、この若君はいかなる罪の報いでしょうか、七歳の春から世にも苦しげな病にかかり、長者が手を尽くして看病すれども平癒することもなく、十二歳の今に至るまでただいたずらに時を過ごしていたのです。
長者はいよいよ嘆いて、ある時博士を召し出して占わせてみれば、博士が言うには、
「この病は天竺の言葉では五衰病といい、大唐の言葉では四衰病といい、また日本の言葉では三病人と呼ばれます。このような三病人は、三世の諸仏の因果を得たものです。さもなければこれほどの病にはかからないことでしょう。薬でも祈祷でも効き目はありますまい。しかしながら、ひとつ有効な薬がございます。私にたくさんの宝を下さるならばお教えしましょう」
ということでした。
長者はお喜びになり、
「薬があってこの若が平癒するならば、そなたにいくらでも宝を与えよう。これは当座の手付金である」
といって、黄金千両を積み上げれば、博士は大変喜んだ様子で、
「この上は何を隠すことがございましょう。まずこの若君は、壬辰の年、辰の月、辰の日、辰の一点にお生まれになった若君ですから、同じく辰の年、辰の月、辰の日に生まれた姫がいたならば値段を限らず買い取って、この者の生き肝を取り出し、延命酒という酒で七十五度洗い清めて与えたならば、たちまち病は平癒するでしょう、長者様」
と言いました。
そういうわけで、長者は喜んで「壬辰の年、辰の月、辰の日に生まれた姫がいたならば、大まん長者が値段を限らず買い取ります」と辻々に札を書いて立てたのでした。
もとより天竺は国がたくさんありますから、近くの国からも遠くの国からも、「私も辰の年の者です」「この姫も辰の年生まれです」といって多くの姫を連れて長者の館へやってきました。ところが、歳が同じでも月が違うもの、月があっていても日や時が異なるものばかりで、ついにぴったり合う者がおりません。
そうしたところへ、天寿とていれいの姉弟は、この事を夢にも知らぬまま、我が身を売ろうと大まん長者のもとへ尋ねて行ったことは、何より哀れなことでございます。