二段目
さて厄神たちはお釈迦様の御前に参り、
「長者夫婦を退治してまいりました。ただ子供たちの命だけは助けおきましたが、この姉弟をいかがいたしましょう」
と伺いを立てました。お釈迦様が仰るには、この姉弟の命は助けてやりなさいとのことでした。
可哀想なのはあとに残された天寿、ていれいの姉弟にほかなりません。二人の親と死に別れ、三世の諸仏に見放されて、七つの宝も三日のうちには水の泡と消え果てました。頼れる人もいないもので、姉は弟の手を引き、弟は姉に縋りながら、近所の里へ行って物乞いをする姿こそまことに哀れなものでございます。
この様を見た里の人たちは、
「七つや五つで両親を亡くしたばかりか、あふれんばかりにあった財産までことごとく失うとは、三世の諸仏がこの子供たちを見放したからに違いないよ」
と、いまいましげに見ておりました。家に近づけるな、門の前に立たせるなといって、姉弟を嫌うばかりで助けてくれる人はありません。
ですから二人は、ある時はむなしが原というところで家もないままに寝泊まりし、またある時は薄の野辺を宿として、むなしく月日を送っていたのでした。
食べるものがなければ沢野に出て根芹を摘み、里へ下りては落ち穂を拾って、やっとの思いで命を繋いでいるのは何ともいたわしいことでありました。
ある日の徒然に、弟のていれいが姉に向かって申しました。
「ねえ姉御様。早いもので今年はもう父母の七回忌です。生きていても甲斐のないこの身を売って、両親の菩提を弔いましょうよ」
と、そういうので、姉弟は手に手を取って、あちらこちらに立ちよっては、「この身を売ります」「買ってください」と呼びかけますが、買おうという人はおりません。
ならば他の国へ行ってみようと思い立ち、たくさんある国の中でもびしゃり国の南隣の、はらない国あららの庄という、四方に四万軒もの家の並び立つところへ行って、「私を買ってください」「この身を売ります」と口々に呼びかけますが、やはり買おうという人はおりません。
ちょうどそのあららの庄には尊い阿弥陀堂があったので、姉弟はこの御堂に参り、清らかな滝で身を清めて御本尊の御前にお参りしました。
「西方極楽浄土の主、阿弥陀如来よ。私たち姉弟、自分が得をしたいと願ってのことならばあなた様に憎まれもいたしましょう。しかし願っているのはただ父母の供養でございます。そのために身を売ろうと思っても、買おうという人がおりません。どのような人であれ、この身を売らせてくださませ」
と、深くお祈りしつつ、涙を流して一首の歌を詠みました。
あさがおの いつしか花はちりはてて 葉に消えのこる 露ぞものうき
――朝顔の花は散ってしまったのに葉の上に消えることなく残された露のように、後に残された我が身こそ悲しいものです
そうして歌を詠んでから少しまどろんでおりますと、その夢の中にかたじけなくも阿弥陀仏が姿を現したのでございます。
「姉弟たちよ、よく聞きなさい。この国にお前たちを買う者はないだろう。ここからお前たちの本国、びしゃり国の北原八十六か所で名の知られた、山中おきの郷ゆめの庄というところに大まん長者という長者がいるだろう。この長者をたずねて身を売りなさい」
とお教えになりました。