第五錠 青天井の未来に向けてⅠ
遠藤葵、小学三年生。
どこにでもいる小学三年生とは、少し違った。成績は前世の記憶により優秀、常に学年トップを突っ走っていた。新たに義務教育となった英語の授業も、過去に中高で学んできたため支障はない。
ただ、学業以外では若干の問題もあった。交友関係である。入学当初は子供向けのテレビ番組を見て、話を合わせることで交友を図ろうとはした。そうしなければ育ての両親や先生に無用な心配をかけることは目に見えていたからだ。
だが、十七歳と六歳では思考の差がありすぎた。ましてや男女ともなれば遊び方が異なる。次第に葵が他の子について行くことも、他の子が葵に近寄ることもなくなっていった。
愛としては、変に気を使うこともなく、見たくもない子供番組を見なくて済み、話の合わない子供たちと共に過ごさないことで肩の荷が下りた気がしていた。騒々しく、日々一緒にいるだけで疲れていた。世代が違いすぎる故に交流は諦めたが、本人はそれで良くても教職員や親としては懸念材料になっていた。教職員の指示はよく守るが、成績表の「友達との交流や協調を図る」という項目に○印がつくことはなかった。グループ行動や隣の子と意見を交換しよう、という場面では、周りの子が避けるようになっていたからだ。愛自身はそういった時には協力的に接するつもりではあるものの、周りが来ないのでは仕方ない。親からもその点は心配されていた。うちの子に何か問題があるのではないか、はたまたいじめられているのではないか…。親と学校とのやりとりもまた、愛にとっては悩みの種となっていた。
どのようにすれば葵としてうまくやっていけるのか。葵でうまくやろうとすればするほど胸が苦しく、愛としての自分が潰されてしまう感覚を覚えていた。だから、勤勉だけど周りとの協調生がない子供を演じることにした。その方が気楽だし、親もそういうもの、と諦めてくれると思っていた。毎回テストで百点を取り、通知表も良い成績を収めていることに父は満足気だった。だから、学校では友達がいなくても、勉強さえできればいい。そう思うようになっていた。学校はそれでも良かったが、習い事の方でもまた別のつながりは生じるものだ。空手は幼稚園生の頃からやっていたため見知った子もいるが、練習の合間や前後に交わす言葉は短く、学校ほど深い付き合いになるような人はいなかった。むしろ門下生には大人が多く、父にゆかりのある人が話しかけてくることが多いため相槌を打ったり、子供っぽく答えることで会話は成立していた。幼い子供より、大人の方が礼節をわきまえているため話しやすかった。この姿を見ているから、父は同世代の子と合わないだけだろうと深く心配はしていなかった。スイミングも同様で、愛自体は得意とまでは言えなくても平泳ぎやクロールで二十五mを泳ぐことはできた。なので、早々に背泳ぎやバタフライ、メドレーをこなせるようにして同世代の子供とはレッスンがあまり重ならないようにしていた。
ただ、水泳では交流よりも嫌な点が一つあった。水着である。葵は体が男なので、水着は当然教室指定の水泳パンツのみである。とはいえ中身は十七歳の女の子。幼い子供で胸も出ていないため、性的な眼差しを受けることはないと頭ではわかっている。わかってはいても、人前で上半身裸になることには耐え難い苦痛を感じていた。ラッシュガードを着て水泳をやりたい。そう親に申し出たものの、スイミング教室の規定で許可されることはなかった。衛生面や泳ぐ時に抵抗となるため、とのことだ。加えて、愛の意識が戻った時にはすでに習い始めていたため、途中からそのような申告をされても困るとのことだった。裸を見られるのが恥ずかしくて嫌だと、スイミング教室に掛け合ってくれたのは母だが、父としては「男が裸を見られて恥ずかしいとは何事だ」と、取り合ってはくれなかった。学校の体育でも、日光アレルギーのような皮膚の疾患があるわけでもないため、安全上と衛生面の理由もあって一人だけ許可を出してもらうことは叶わなかった。辞めたくても辞めさせてもらえない週一回のスイミングも苦痛でしかなかった。
これらに転機が訪れるのは学習塾で行われている全国統一小学生テストを何度か受けた後だった。
同学年の子供たちと折り合いが悪く色々と諦めた小学一年生の秋、ある一つの作戦を立てて参加することにした。
それは、このテストで満点を取り勉学の道へとシフトすることだった。習い事よりも勉強をしたい。実力を見せてそう言えば辞めることができるかもしれない。
葵の両親はその申し出に喜び、受験を後押ししてくれた。交友関係は悪くても、自分の意思を持っていると。親と子で思いは異なるものの、その姿勢が嬉しかったのだろう。
そうして迎えた一度目の受験は特に緊張もせず、あっという間に解答を終えることができた。結果は無論、満点。その結果に両親は大いに満足し喜んでくれたが、スイミングを辞めるという方向には結びつかなかった。
「まだ小学生だし一年生だから、そこまで勉強に打ち込まなくてもいいんじゃない?それよりも体を鍛えた方がいいと思う」
と判断されてのことだった。恐らく、このまま何度満点を取っても変わらない。結局、習い事を続ける羽目になる。
そう思うと、今まで夢見ていた理想が崩れたようでひどく気落ちしてしまった。もっと、違う手を考えなくては。
そう誓い、二度目の小学一、二年生を終えた。