第二錠 運命の悪戯
十一時五十二分。
バースセンターに元気な産声が響き渡る。
「おめでとうございます!元気な男の子ですよ」
小さな手足をバタつかせ、キュッと目を閉じた赤子は看護師の腕に抱かれていた。
「お母さん、抱いてみますか?」
そう声をかけられ、母と呼ばれた女性は頷くと共に赤子をそっと受け取り、体を寄せる。
出産の痛みはあれど、我が子を手にできた喜びが勝っていた。
震えて小刻みに動く我が子をじっと見つめ、口元には笑みが溢れる。
「それでは、処置がありますのでこちらへ…」
そう告げられ、近くにいた看護師へと我が子を引き渡す。
(産まれた…。私たちの子供が…。)
無事に産まれたことに安堵すると共に、これまでのこととこれからのこと、様々な出来事に思い巡らせていた。
出産に不安がないわけではなかった。ただそれでも、愛した人との子供はほしかった。たとえ、茨の道であろうとも。
それに見合う努力はした。
費用も、時間も、多くをかけて。
そうして誕生した我が子を大切に育てる。たとえ、どんなことがあったとしても。
彼女は1人、心の中でそう決意していた。
「まーったく、やってらんねーよ」
空をふよふよと漂う黒い布。一般人が目にしたら通報ものだろうが、誰の目にも止まることはない。
「なーにが、『今は世界で子供が多く誕生して天使の数が足りない。コウノトリも大忙し。だから死神の諸君にも命の誕生という尊い使命に協力してもらいたい』だよ。お前らの働きが悪ぃだけじゃん。こっちは戦争もあるし冬だから死人が多くて忙しいのによ」
悪態をつく黒い布は自らを死神と名乗る。
見ればその布はローブになっており大鎌と袋を二つ携えていた。隠れてはいるが、人間の男のような出立をしている。
「俺たちは魂を刈り取るのが仕事だっていうのに、何で魂入れなんてしなくちゃなんねーんだよ。お前らのせいで…」
1人ぶつくさと垂れる文句に止まる様子はなく、ただ空を舞い目的地を目指していた。死神故に、死期が近い人の存在を感じ取ることができる。
「お、あれだな。あー、魂は元気だけど、もう体から離れそうじゃん。こっちは…両親か?こんな若い子を亡くすなんてかわいそうだねー。ま、俺には関係ないけどさ」
かわいそうと言うその言葉は乾いており、感情は微塵も感じられない。病室のベッドに横たわる少女の胸元辺りに雫型を逆さまにしたような光り輝く物体が浮かんでいるのが見える。
もちろん、これは病室にいる人たちの目には映らず、死神目線での話である。肉体から離れかかっている魂が尾を引かれるように伸びて雫型になっているのだろう。
ぞんざいに投げ捨てられた袋は死神の近くに留まっており、床まで転げ落ちる様子はない。空いたもう片手を大鎌に添えて大きく振りかぶる。
「まだまだ綺麗で元気だし、やりたいこともあったんだろうが…こっちも仕事なんでね。あんたらには悪いが、刈り取らせてもらうよ」
言うや否や、死神は雫の尻尾を目掛けて大鎌を振り下ろす。
振り抜かれたその瞬間、雫型はパッと球状になり少女の胸元からすうっと真っ直ぐに、天へ向かってゆっくりと登っていく。
「残念ですが、ご臨終です」
白衣を着た男がそう告げる声が聞こえて来る。その様子を横目に、輝く球を掴み取った死神は先ほどの袋へと投げ入れる。いつもの「仕事」のように。
「天使のヤローやコウノトリ共は命の誕生だーって喜ばれるけど、俺たちは嫌われモンだからな」
そう言って大鎌を持ち直し、袋を手に取る。
「確か、同じ時間にこの病院で魂入れなきゃなんねーんだよな。『同じ場所、同じ時間だし、1件だけでいいから行ってこい』って。めんどくせぇ」
生命の誕生については死神は興味がない様子だったが、命令とあれば受けざるを得なかった。事前に聞いていた病室まで建物をすり抜けていく。
「四階バースセンター。なんだよ、真下じゃねーか。こいつか?今にも産まれそうだし」
死神の目の前には必死に我が子の誕生の瞬間を迎えようとする女性が映っていた。
「天使の奴らは『感動するから死神くんも見守ってあげてね』なんて言ってたからちょっとは期待してたけどよ、興醒めだな。まあいい、次の仕事があるんでな。ほらよ、おめでとさん」
死神はおもむろに袋に手を突っ込み、魂を手に取る。それに目を落とすこともなく女性へ向けて投げつける。輝く魂は女性の中へと吸い込まれて見えなくなり、やがて産声が響き渡る。
「おめでとうございます!元気な男の子ですよ」
その言葉を聞き終えることもなく、死神はその場を後にしていた。まるで産声を聞きたくなかったかのように。
「次はどこだ?北か?まったく、めんどくせえ」
またもや悪態を吐きながら、死神はこの地を後にしていた。
自分のした「仕事」がこの後、どのような事態をもたらすかなど、一つも気に留めていなかった。
この死神の雑な行いが、天使に見守られなかった魂が、本来ならばあり得ない展開を生むことに、この時はまだ誰も気づいてはいなかった。