8話:強襲
王国にはワルプルギスの夜で実子をすべて失ったワイズ侯爵が私財を注ぎ込んで作り上げた、ウィニバルダという王国兵にも貴族の私兵にも属さない第三の軍隊に似た組織がある。
ワルプルギスの夜で子を亡くした多くの貴族の出資もあり、惨劇を繰り返さないために組織された。
そして、ウィニバルダの指揮官クラスには貴族家の次男三男といった家督を継げなかった者たちが多い。
彼らもまた、兄弟姉妹を失った被害者たちだ。
ウィニバルダは次第に、穏健派と過激派に分かれ、分裂することとなった。
このことは世間ではあまり知られていない。
過激派はワルプルギスの夜で受けた傷の癒えない者たちだ。
彼らの目的はただ一つ。
闇の精霊の契約者を殺せ。
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ミラが闇の精霊を伴っていると告白した時から、随分と影なく笑うようになった。
せっかく綺麗な目なのに隠しているのはもったいないと言ったら、翌日には重たい前髪がスッキリとしていた。
そのことも影響しているのかもしれない。
ミラは初めて会った時から随分と変わった。
僕がきっかけなのかもしれないけれど、それは本人に変わりたいという意思がなければ変わらないはずだ。
彼女はずっときっかけを待っていただけで、それがたまたま僕だったというだけじゃないだろうか。
何であれ、僕がそうした役割を果たせたのなら嬉しい限りだ。
「ミラは学校には通ってないんだよね?魔法はどうやって習得したんだい?」
「厳密に言うと習得はしてないの。使いたいと願うと、この子が魔法を使ってくれるから」
「でも扱える魔法は理解してる?」
「それはしているわ。だって、危ないから……」
「危ないくらいの魔法が使えるのかあ。僕は初級魔法しか使えないから全然危なくないや」
そうして内緒だよ?と魔法を見せる。
光の初級魔法、トーチ。指先に灯りを点す。
火の初級魔法、イア。指先から小さく発火させる。
風の初級魔法、ワインド。風を吹かせ、花々をたなびかせる。
土の初級魔法、アス。地面に触れ、泥団子を作り出す。一回失敗した。
水の初級魔法、ウオタ。花に水をやる。これは三回失敗した。相変わらず成功率は全然低い。
「わあ、すごい。そんなにたくさんの属性が使えるなんて」
ミラが大きな黒い目をキラキラとさせながら褒めてくれるものだから、大したものでもないのになんだか自分のやったことがすごいことのように思えてくる。
「頑張ればミラもできるんじゃないかな?」
「できないよ……それに、もしできるとしても、練習しないといけないでしょう?練習で失敗したら、周りに迷惑がかかっちゃうから、だからできないよ」
いまのは無責任というか、無神経すぎた。
彼女は精霊を、魔法を使うことを避けている。
そんなミラにかける言葉としていまのは不適切だった。
「ごめんね。でも、きっとできるようになるとは思うんだ」
「う、うん、ライト君がそういうつもりで言ったわけじゃないことはわかるよ」
変に気を遣わせてしまった。
「ねえ、い、嫌だったら断ってほしいんだけど……て、手を握ってもらってもいい?」
帰り際、急にそんなことを言い出された。
「全然!嫌じゃないよ」
断る理由なんてない。
差し出されたミラの、髪と目とは対称的に透き通るような白い肌の細く小さな手を握った。
「っ!……暖かい…………」
いつまで握っていればいいのか、でもこちらから手を離すのも……そう考えているとミラがありがとうと謝辞を述べてきたので離した。
「今日もありがとう。ライト君のおかげで最近楽しいの。また明日ね」
「僕もだよ。また明日」
そんな呑気なで暖かな日々があと半月、続くものだと思っていた。
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ミラの秘密を知ってから、急激に距離が縮まったように思う。
あれから一週間、彼女からは闇の精霊のことを聞いた。
いまでこそ辛うじて共存できている様子だが、少し昔までは自身の精霊のことを憎んでさえいたという。
それでもいまは前向きに生きようとしている。
それに、彼女の契約精霊は周囲に悪影響を及ぼすが、ミラ自身のことは危険から守護してくれるのだそうだ。幾度かそういったこともあったらしい。
僕はミラに会うべく、今日も花の丘に赴く。
いつも通り、屋敷から北西に延びる王族直轄領とを繋ぐ街道を進む。
ここ二週間で一度だけ運搬の馬車とすれ違った程度の廃れた道路だ。
ほとんど誰も通らない道を歩いていると、少しの気配も気になる。
花の丘への入口である薮まであと少しというところで、道の先の方から剣呑な気配を察した。
フェイも肩のあたりに姿を現し、懸命に何かを伝えようと明滅を繰り返す。
何だか妙に嫌な予感がした。
この道を日常的に使うのは僕とミラくらいしかいない。
そう、僕とミラの二人しかいない。
「ミラ?」
これがただの杞憂であれと、僕は走り出した。
魔法を使うには体力も必要だ。
だから僕は基礎的な肉体の体力を向上させるべく、毎朝走り込んでいる。
だから、意外と長い距離を走れる。
足場のよくない道を踏みしめ、駆ける。
三分ほど全力で走り抜けただろうか、こちらに背を向けた灰色のマントをつけた四人、道を阻んでいた。
いや、道を阻んでいるのはこちらからの進行ではない。
向こう側の進行を妨げている。
四人の奥にはさらに三人おり、真ん中にいる人影を囲っている。
真ん中にいる少女を守るように立つ濃密な魔力を纏う漆黒の精霊と、七人の灰マントたちは互いに睨み合っていた。
そう、そこにいたのは闇の精霊の契約者であるミラだった。
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ミラはいつも通り片道三十分ほどになる道のりを歩んでいた。
いつもは隠れるためにこの道を歩き、あの丘へと行っていたが、いまとなっては違う。
あの場所でなければならない。
軽い足取りで進んでいると、音もなく灰色の外套を纏った人たちに囲まれていることに、彼らがミラの前に姿を現してから気づいた。
「えっ、そ……その……」
ミラを囲う七人はミラの精霊の魔力に当てられたのだろう、眉間にシワが寄る。
「くっ……なんという禍々しい魔力。やはり邪悪な契約者、生かしてはおけぬ」
「子どもといえど闇の眷属、畳みかけるぞ」
しかしミラの精霊の気にあてられながらも戦意を失わず、各々精霊から力を借りる。
そして、七条の魔法をがミラの四方から放たれた。
軍用中級魔法、ラインビット。どの属性の使い手でも使用できる汎用無系統魔法。
魔力を砲弾として放つ殺傷力の高い魔法。
それが七つ、ミラに襲いかかった。
何が起きているのかさっぱり理解できなかったが、ミラを守護するように闇の精霊が現界する。
闇の精霊はすべての攻撃をその身に受ける。
しかし特にダメージはないようだ。
ミラは悟った。
彼らは私――ミライエを殺害しにきたのではない。
闇の精霊の契約者を葬るべくやってきたのだ。
自身の精霊のせいで引き寄せた不幸だが、その精霊のおかげで助けられた。
ぐちゃぐちゃな感情がミラの胸の中で渦巻く。
「ミラ!」
聞こえないはずの声がミラの耳朶を打った。
ライトは灰外套の向こうに、肩で息をしながらミラの名を呼ぶ。
「……ら、ライト君」
「運の悪いガキだ」
ライトの最寄りの灰外套は慣れた手つきでラインビットを発動する。
その光線は無慈悲にライトの左腕を根元から吹き飛ばした。
「恨むなら、闇の精霊とその契約者を恨むんだな。ヤツらがいなければお前もこんな目には遭わなかっただろうに」
続く二射、三射はライトの右脚と胸元を貫いた。
「え?」
ライトは声を上げることもなく仰向けに倒れ込んだ。
まだ息はあるようで微かに胸が上下しているがあまりに弱々しい反応だった。
「ら、ら……ライト君……?」
「闇の契約者は不幸をばら撒く。死んで精算しろ」
確実に殺すべく、彼らは軍用上級魔法、セイキッドを発動する。
「束ねよ」
「束ねよ」
「束ねよ」
片方は三人、もう片方は四人の力を集結させ、二本のセイキッドの切っ先がミラを捉えた。
セイキッドは原理としてはラインビットに近いが、単独での発動が難しいことからわかるように、とてつもないエネルギーを有する。
本来であれば戦時に敵軍へと放ち、百単位で敵兵を討滅する使い方をするものだ。
間違っても一個人に向けるものではない。
セイキッドが着弾し、あたりに魔力が爆散する。
「馬鹿な……セイキッドを二発も撃ち込んで無傷だと?化け物め」
煙の中、闇の精霊は先程よりも大きくなり、その威容を増していた。
少女は精霊の下で膝をつき、運の悪い少年に視線を奪われている。
「あ、ぁあ…………あああああああああああ!!!」
泣き声に似た絶叫が少女の小さな口からとめどなく溢れ、それに呼応して精霊の存在感がますます濃厚になっていく。
あまりに濃いどす黒い魔力に当てられ、七人は硬直する。
中には嘔吐する者までいた。
「ああああああああ!!!」
ミラの絶望に感化され、闇の精霊は動く。
ぼんやりと人型を取る闇の上級精霊ダクラス・ナクラスは宿主の願望を叶えんと動き出す。
闇の上級魔法オールン・フォールンがダクラス・ナクラスから直接繰り出される。
辺り一帯を囲むように極大の魔法陣が展開され、七人に照準が定まる。
「うわ、何だこれは!?」
「悪魔が……」
「闇の精霊に魂を売り渡した売女が!」
陣からにじみ出る黒い霧が彼らを包み込み、それに完全に覆われると、魔法陣の中に取り込まれて消えた。
ほんの五秒ほどの出来事だった。
軍用上級魔法まで扱えるほどの手練の七人に反撃の隙すら与えず全滅させた。
ミラはその惨劇に目もくれず、片手片足を失ったライトのもとへ駆け寄る。
「っら、ライト君!」
元々弱々しい声がさらにか細くなっていた。
手足だけなら出血量も少ないことだし一命は取り留めただろう。
だがライトの胸の真ん中にはぽっかりと穴が空いていた。
「やっ、やだ。嫌だ嫌だ嫌だ!ライト君!しっかりして!ダクラス・ナクラス、ライト君を治して!」
取り乱したミラは闇の精霊に願う。
だが精霊は役目を果たしたと言わんばかりに影に溶けていった。
闇の精霊は破壊することしかできない。
その願いは聞き届けられない。
「ぁ……み、ミラ…………」
ライトは残った右手を震えさせながらも持ち上げ、ミラの頬を撫でる。
「だ、いじょうぶ……大丈夫さ。泣かないで…………笑って」
ライトは虚ろになりつつある目と裏腹に、口元はいつも通り笑っている。
「わ、わら、笑えないよ、こんなの。だって、だってライト君は……」
「大した、こと、じゃないよ。へっちゃらだ……。それに、よかった、ミラが、無事みたいで」
空いた胸からは血がとめどなく溢れる。
寿命が刻々と流れ出ている。
ミラは自分の頬を撫でる弱々しい手を握り、あまりの脱力さからライトには時間が残されていないことを悟った。
けれど、言葉は喉で詰まり、嗚咽だけがこぼれ出る。
「ふ、フェイ……頼りない、契約相手で、ごめんよ。君のおかげで、色々と助けられたのに…………ありがとう。契約は解除して、ミラに、ついてくれないかな……?」
ライトの上にぽっと光のもやが現れる。
小さき名もない光の精霊。
ライトの契約精霊のフェイだ。
フェイはライトがいままで見たこともないほど激しくもやの体を発光させる。
その輝きはライトの全身を包み込むと、おもむろにその体が宙に浮かび上がる。
その鱗粉のような輝きは、教会で受けることができる聖職者の癒しの手による光と少し似ていた。
さらにひときわ強く、陽光よりも激しく光り輝くと、次の瞬間には幻だったかのように跡形もなく消えていた。
光の精霊フェイの姿もない。
もしかして、と慌ててミラはライトを見る。
強い光のせいでぼやけていた視界が徐々に晴れる。
ライトは静かに横たわっていた。
「うそ…………」
ミラは絶句した。
ライトの左腕と右腕は完全に胴体から分かたれていた。
胸も大きく円形に抉れ、反対側が覗けるようになっていた。
だが、なくなっていたはずの右腕と左足は何事もなかったかのように存在し、胸も衣服が丸く消失しているが、肉はたしかにあった。
ライトは規則正しい寝息を立てている。
いままでの出来事はできの悪い夢だったのだろうか。
ミラはわけがわからず呆然としていた。
特に意識せず、ミラはライトの頭を抱き、彼が生きている喜びに浸っていた。