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4話:花の丘での出会い



 アーマット王立学院を出てから1週間が経った。

 一日だけ豪雨が降る悪天候だったため足止めに遭ったが、概ね順調だ。

 王都ラグナートからストラーグ領までの道程もちょうど折り返しくらいまできた。

 借りてきた三冊ももう読み切ってしまい、二週目に突入していた。

 そんな昼下がり、なかなか道で他の馬車とすれ違わないあたりで、僕らは盗賊に遭遇した。


「こいつぁお貴族様のボンボンが乗ってるなあ。野郎ども、人質にして身代金をふんだくってやるぜ」


 一人だけ馬に騎乗している賊の頭と思われる粗野な男が手に持つサーベルをこちらの馬車に向かって突き出す。


「お前はここで待っていろ」


 兄さんは少しも動じることなく、毅然と言い放つ。


「兄さんがやるの?」

「あの人数を相手できるほど腕利きの護衛でもない以上、俺がやるしかないだろう」


 言うや兄さんは馬車を降り、先頭に立つ。


「あまり時間を無駄にもしていられないし、速やかに終わらせよう」


 兄さんの背に小さな羽を持つ人型の精霊が現れる。

 あれは兄さんの契約精霊、風の上級精霊シェーフ。


「吹き荒れろ、ツェンペスト」

 

 風の上級魔法ツェンペスト。

 広範囲に渦を巻く暴風を発生させつつ、無数の風の刃でその中を切り刻む。

 周囲の木々を巻き込みながら、盗賊の一団をたった一撃でもって壊滅させた。

 深く大地に根を張っていた大木が薪より細かくなっている事実が、この魔法の威力の高さを物語っている。


「気にせず先に向かうとしよう」


 特に表情を変えずに言う兄さんに、頼もしさの他に一抹の恐ろしさを感じたことは胸に秘めておくべきだろう。



▼▼▼▼▼



 アーマット王立学院を発ってから十四日目にして、ようやく僕たちの故郷、ストラーグ男爵領に足を踏み入れた。

 僕の父の治めるストラーグ領は王都からそこまで遠くはないものの他の王都周辺と比べると一年を通して気候が安定しており、特に夏場でも比較的涼しい土地だ。


 ストラーグ領の北東方面には王族直轄領があり、そこには二つばかりの離宮が鎮座している。

 一つは白亜宮、もう一つは十年ほど前に竣工した黄昏宮。

 黄昏宮については実家の最上階から見えたので頻繁に見ていた。


 ストラーグ領には避暑地になること以外に取り立てて何があるわけではなく、眼前に広がるのは広大な農地。

 領民たちは農具を携えて畑を耕している。

 およそ半年ぶりの慣れ親しんだ土地の空気を吸う。

 王都の喧騒も楽しいものだが、故郷の田園風景も気持ちのいいものだ。


 まるでもう到着したかのような雰囲気を醸し出しているけど、ストラーグ男爵家まではまだもう半日を要する。

 兄さんも読書を止め、車窓からいまのストラーグ領をじっくりと観察していた。



▼▼▼▼▼



 ちょうど七日目に賊に襲われたというハプニング以外はこれといって何事もなく目的のストラーグ男爵家に到着した。


「王都よりのご帰還、まことにお疲れ様でございます」


 茶色い長髪を頭の後ろで束ねた、目つきの鋭い給仕服の女性が出迎えた。

 ストラーグ男爵家に常駐する唯一のメイドであるマイム・ハンだ。

 相変わらずメイド服の胸の膨らみが凄まじく、野暮ったく見えてしまうからという理由で腰のあたりで膨らむ服を絞っている。

 あれで父は籠絡されてマイムを愛妾にしたのだろうか、という考えは残念ながらそんなに的を外していないと思う。


「父上と母上はどちらにおられるか」

「ご両名ともに屋敷におりますので、お二人の身なりを整えさせていただいてからお会いいたしますか?」

「そうしよう」


 兄さんは手ぶらのまま変わらぬ足取りで屋敷に消えていった。


「久しぶり、マイム。変わらず元気そうで」

「ライト坊ちゃんこそ半年の間にまた少し大きくなりましたか?」

「もう坊ちゃんもやめてくれよ」

「わたくしにとってはいつまでもライト坊ちゃんはライト坊ちゃんですよ」


 実家ではあまり両親と話さず、メイドと執事とばかり喋っていたせいか、僕は少し年の離れた友達くらいに思っている節がある。

 自分の荷物は自分で持ち、兄さんの荷物はマイムが持って、半年ぶりに自宅の敷居をまたいだ。



▼▼▼▼▼



 制服に着替えた僕と兄さんは客間で座り、父の到着を待っていた。

 母さんはもう来ており、兄さんと世間話をしている。

 やや待っていると、ドア前で控えていたマイムが開扉した。

 まだ四十代も過ぎていないが白髪が混ざりはじめた頭髪に、疲れた雰囲気とは裏腹に優しげな目をしている父がやってきた。


「揃っていたか」


 最奥中央の椅子に腰掛け、早速話題に入る。


「お前たちの祖父である先代ストラーグ男爵の訃報については、手紙の通りだ。死因だが、老衰だそうだ。あれだけ精強だった父も、寄る年波には勝てなかったようだ」


 たとえ仲がそこまでよくなかったといえど、父は祖父を尊敬はしていた。

 おそらくはそれが父として尊敬していたのではなく、バンガード王国の一貴族として、だったのだろう。

 肉親を失ったというより、惜しい人を亡くしたという感情が先行しているように思える。


「お前たちが到着したのなら早急に葬儀をとり行おう。明日から五日間かけて行う。いくつか先代と関わりのあった貴族家も来るようだが、そのあたりの応対はダインならわざわざ言うまでもないか」

「つつがなく」


 一応僕も呼ばれているが、この葬式での僕の役割は祖父の孫というだけで、兄さんのようにやらなければならないことがあるわけではない。

 家督を継ぐのは僕ではなく兄さんだからだ。

 勉強をしようにも教科書もないので、唐突に暇を持て余すことになった僕は、学院に行く前まではよく一人で遊びに行っていた丘にでも向かうかと、水筒と本を持って家を出た。



▼▼▼▼▼



 その丘は正道から外れたところにあり、ストラーグ領と王族直轄領のちょうど中間あたりに位置する。

 ここは幼い頃迷子になって偶然見つけたスポットで、春夏は鮮やかな花々が咲き誇る自然豊かな秘密の場所なのだ。

 人に害をなさない小動物も多くおり、ここで日を浴びながら寝転がるのが好きだった。

 問題なのはそんなに近いわけではないことと、正道から外れているため万一何かあった際のリスクが高いということ。


 花の丘に行くには屋敷から一時間は確実にかかる。

 往復で二時間必要なので、それなりに暇な時しか昔も行けなかった。

 アクシデントがあった場合のリスクも無視できるものではないかもしれないが、何年もあそこに行って、いままで何もなかったのだから大丈夫だろうという感じだ。


 ストラーグ領から王族直轄領までは一応一本の道が通っている。

 使用頻度は高くなく、それゆえ多少踏み鳴らされている程度の、獣道よりはマシなくらいの道だが。

 その道を中頃まで行ったところで、道の脇の薮をかき分けるともう一本道が現れる。

 こちらは正真正銘の獣道だ。

 とはいえあまり大型の動物は通っていないのだろう。

 人が通るにはあまりにお粗末な道だ。

 生い茂る草木があたりを暗く染めている。


 僕はフェイの力を借りてトーチを使う。


 花の丘に向かうのはざっと五年ぶりになるだろうか。

 懐かしさが脳裏を過り、なんだか無性にワクワクしてきた。

 道なき道を十五分ほど突き進んだ頃。

 ようやく開けた場所に出た。

 もう少しだ。

 さらに三分ほど歩くと、目的地に着いた。

 開けた丘の中腹には既に半分以上が開花し、残る半分ほども蕾を開こうとしている。

 郷愁に思いを馳せていると、生き物の気配を感じた。


 そちらの方にそっと近づく。


「えっ?」

「君は……」


 てっきり小動物かと思っていたけど、その予想は大きく裏切られた。

 花畑を一望できる位置に、少女が座っていた。



▼▼▼▼▼



 艶やかな深い黒色の長髪は肩甲骨の下あたりまであり、前髪も重たく目元まで隠している。

 服装こそそこらの村娘のようなファッションだが、服は綺麗すぎるし髪も指も手入れが行き届いている。

 僕が彼女を見つけてからずっと困惑している様子だ。

 まあ、こんなところで人に会うとは思えないというのは同感だ。


「あ、あの、その、ごめんなさい…………」

「どうして謝るんですか? 別に僕は何もされていませんし」

「で、でも、あの、私といるとみんな不幸になるから……」


 僕と近い年頃であろう少女は俯きながらそんなよくわからないことを口にする。


「不幸になっても、それは誰かのせいじゃないですよ。それに、僕はどんなことがあっても不幸だとは思いません。だって僕はこんなに恵まれているし、みんな世界に祝福されて生きているに違いないですから」


 そう言うと、少女は重い黒髪の下で瞠目していた。

 そして、自信なさげに形のいい口が開かれる。


「あなたは強いのですね」

「僕は全然弱いんですよ!自慢じゃないですけどね。だめだめです。でも周りのみんなはとても強いですし、特に僕の兄なんて強すぎて盗賊もちょちょいのちょいです」

「そう、なんですね……」


 いくらか言葉を交わしていると、徐々に心を開いてくれたのか、向こうからも質問してくれ始めた。


「ど、どうやってここを知ったのですか?」

「十年はさすがに言い過ぎですけどそれくらい前に迷子になって、ここに行き着いたんです。それきり、素晴らしい場所なので気を見計らってはよく来てきました。君は?」

「わた、私はたまたま見つけて」


 まさかそんな同志がいたとは!

 少女は言葉に詰まりながらも僕の質問に丁寧に答えてくれる。


「じゃあおんなじですね。よくここには来ます?」

「週に、一度くらいは、来ています」

「僕も頻繁に来たいんですけど、なかなか。あまり機会がないので明日も来ようかなと思っていますけど」

「そ、そうなんですね……」


 同志を見つけたのが嬉しくて、景色もそっちのけで色々と話し込んでいたら、あっという間に日がそろそろ落ちようかという時刻になってしまった。


「そろそろ帰らないと。一人で大丈夫ですか?」

「いっ、いつも一人だから、大丈夫、です」

「そうでしたか。せっかくなのでお名前を聞いても?あ、僕はライト」

「み、ミラ……」

「じゃあミラさん、お気をつけて!」


 二人で獣道を抜けて正道に出ると、帰る方向が逆だったのでそこで別れた。



▼▼▼▼▼



 翌日も、昼下がりになれば自由になった。

 日が落ちるまでは散歩をしていても誰に文句を言われるでもない。

 今日も花の丘に向かっていた。


「こんにちは、昨日ぶりですね」

「こっ、こ、こんにちは。今日もいらしたのですね」

「やっぱりここが好きなので。迷惑でなければ隣にお邪魔しても?」


 小さく頷いたのは昨日初めて会った少女ミラ。

 昨日とは違う服を着ていた。

 一方の僕は同じ服だ。


「いつもどれくらいこの場所にいるんですか?」

「……できれば、朝から夜までです。けどいつもお昼から夕方くらいで帰ります」

「僕もできれば一日中いたいんですが、さすがに親に心配をかけてしまうかと思うのでなかなか」

「私は、両親とはもう長らく会話できていないので、ライト様が羨ましいです……」

「あ、でも僕も全然親とはコミュニケーションが取れてないんですよ。まあ、それは僕のせいというのが大きそうなんですが」

「ど、どうしてでしょう?」

「昨日も話しましたけど、僕の兄さんはそれはもうとんでもなく優秀な人なんです。きっと、兄への期待と同じだけな期待がかけられていたから、そのギャップで困惑しているんだろうと思っているんです」

「あ、兄に嫉妬や、親を軽蔑したりはしないのですか?すみません、変なことを聞いてしまって……」


 俯いたまま尋ねる彼女には、そういった暗い感情を持っていて、その処理に悩んでいるのだろうか。


「嫉妬はしないですね。兄さんはすごい兄さんです。普段はぶっきらぼうなんですけど、いざと言う時は結構助けてくれますし、尊敬しているし頼りにもしています。親に対しては、そうですね、いまからでも期待を越えよう!と思ってやれるだけのことはやってます。親といっても同じ人間ですし、感謝こそすれ軽蔑なんてしたことないです」

「やはり、ライト様はお強いのですね……。それに比べて私のなんと浅ましい……」

「何があったのかはわからないですけど、過ぎてしまったことは仕方ありません!もしも傷つけたのなら、その分以上に癒せばいいと思うんです。何でも、遅すぎるなんてことはありません、なんて、そんな説教みたいなことを言えるような経験は積んでいないのですが」


 後半を茶化しながら言うと、ミラさんは少し笑った。

 昨日からずっと暗く沈んだ表情だったが、初めて彼女の笑顔を見た。

 その笑みは、あたりに咲く鮮やかな花々より美しく見えた。

 そう思った気持ちを正直に伝えればいいのに、何故か僕は妙に照れてしまい、しばしの沈黙のあと強引に話を変えた。


「僕はここによく来ていたんですが、実は花のことはさっぱりなんです。ミラさんはわかりますか?」

「は、はい。多少は……」

「あの白いのは?」

「あれはルーチェアーノです」

「白い星、ですか」


 ルーチェヤは古代ネブカダ語で白、アーノは星をそれぞれ意味する。


「古代ネブカダ語に精通されているのですか?」

「精通はしていないですが、基礎くらいなら」

「ルーチェアーノは夜になるたびに萎み、日が出る度にまた咲くのです」

「ではあちらの黄色い花は?」

「あれはタイガですね。肉食の動物はあの花の香りを嫌います」

「ああ!だからここは凶暴な獣が少ないんですね」

「そ、それもあると思います」

「えっと、じゃあこっちの紫の花は?」

「そちらは――――」



▼▼▼▼▼



「今日は色々とありがとう!おかげでここらの花のことにすごく詳しくなれたよ」

「う、うん。私も、人とたくさんお喋りできて嬉しかった。ライト君、ありがとう。また明日もここに来てくれる?」


 ミラは最初と比べて随分と声色が明るくなった。他人と喋るのが少し苦手で人見知りするのかもしれないが、慣れてきたようなら嬉しい限りだ。


「もちろん来るさ。じゃあ、気をつけて帰るんだよ。本当は僕が送るべきなんだろうけど……」

女の子を一人でこんなところから帰らせるのは忍びない。

「大丈夫。安全だから」


 けれどミラは僕の随伴を頑なに拒むので無理強いはしない。

 もしかしたら道中に護衛でも潜ませているのかもしれない。

 大丈夫だというのなら、これ以上は余計なお世話だろう。


「それじゃあ、また明日」

「ま、またね」


 少し長居し過ぎて、マイムには少し怒られてしまった。



▼▼▼▼▼



 さらに翌日も、翌々日もミラと会っていた。

 だが明日は屋敷の外には出れないし、明後日はもう学院に戻らなければならない。


「ここに来れるのはしばらくできなくなる。次に来れるのは半年後になる」

 

 そう伝えたときのミラは、初対面の時より一層影のある表情をしていた。

 なんだかとてつもなく申し訳ないことをしたような気がしていたたまれなかった。


「そ、そう、よね。ずっとここにはいられないものね」


 努めて明るい声を出そうとしつつも喉の奥に引っかかっているような声だった。


「学校に戻らないとなんだ。だから次にこっちに戻ってくるのは後期の課程が終わって、次の学年が始まるまでの期間になるんだ」

「勉強は大事だわ。うん、私ももっと勉強するわ」


 会話の端々から、ミラからは深い教養を感じられた。

 学校に通っている様子は見受けられないし、家庭教師もいないと言っていた。

 彼女は独学でその教養を身につけたのだ。

 僕にはとても真似できないことに思える。

 きっと非常に大量の書籍を読み、先人の知恵に触れてきたのだろう。


「ね、ねえ、ライト君、私たち、また会えるかな?」

「もちろん!ミラと話すのは楽しかったから、きっとまた会おう!」

「や、約束ね?」

「ああ、約束する」


 ミラはおずおずと小指を差し出してきた。

 自分の小指を差し出された小指に絡め、指を切る。


「えへへ……」


 普段は暗い顔をしているミラがはにかむと、暗闇からいきなり日の光が目に入ってくるような感覚に襲われる。


「ライト君、ま、またね」

「うん、また」


 ミラも気づいていただろう。

 僕も彼女も平民ではない、と。

 それでも僕らは家名も何も伝えずに再会を約束した。

 根拠はないけれど、半年後にはまた会えるはずだという妙に強烈な確信だけが胸中にあった。





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