2話:日常②
次の講義は実技だ。外にある長方形の石造りの修練場に皆運動着に着替えて出ている。
実技の授業では魔法を実際に行使する。座学と違い画一的な授業内容ではなく、各々の進度に応じて内容が変わる。大きく分けると三段階になる。真ん中が平均的なレベルで、一番上が学院のカリキュラムの範疇をすでに超えているレベル、下が逆に平均から大きく下回ったレベル。
残念ながら僕は一番下のレベルになる。そして残念ながら、バナードも同じだ。ほとんどが真ん中のレベルなので、上も下もそれぞれ五人ほどしかいない。
講義といっても、教師がこの時間中に教えることはほとんどない。実技はあくまで実習だ。修めた魔法理論をもとに実際にやってみようという時間だ。
学院の敷地内で魔法を使っていいのはこの時間だけ。許可が下りても教師が監督をしていないと使ってはいけない決まりになっている。初級魔法であれば殺傷能力はほぼないのだが、中級ともなるとものによっては暴力性を帯び、上級ともなると迂闊に使えない。そんなものを生徒間の喧嘩で使われては死者がでかねない。
もっとも、学院内に限った話でもない。外で不用意に魔法を使用することは法律で禁じられている。日常的に使うとしても、自宅の中で生活を補助するために初級魔法を使う程度に留まる。
ならばどこで使うことになるのかといえば、そう、戦争だ。
この国では大きな戦争はもう五十年以上起こっていないが、大陸東部を大きく支配するユースタス帝国とはその間小競り合いは続いており、いつ戦争が勃発してもおかしくない状態で膠着している。といえど、僕が生まれてから十五年、ずっとその状態なので、戦争にまで発展するとはあまり思えない。
まあ、つまり、そんなことはちっとも気にしていない。たぶん学院にいる誰も気にしていないんじゃないか。
早々に、修練場の奥で精霊の力の高まりを感じる。誰かが早速魔法を使う準備をしているようだ。
轟、と火炎が巻き上がる。これは火の上位魔法、ボルカニクか。火の上級魔法を発動できるのは、というより上級魔法を扱える四回生は一人しかいない。ミラノーラだ。
ちなみに、修練場では強力な魔法を放っても外部に影響がないようになっている。ここ修練場と学院の本館は百五十年前に学院ができた時から存在する。特に修練場は学院を設立した賢者アーマットが光の上位魔法、リフレクタルを施しており、修練場上で魔法を放つとリフレクタルに吸収されて霧散するようになっている。これの一番凄まじいところは、百五十年間も使えているというところだが。
僕も賢者アーマットの足元に及ぶくらいになれるように頑張らないと。まずは全属性の初級魔法を扱えるようになるところからだ。
属性は大別して六つになる。
まずはさっき見えた火。精霊から借りたエネルギーを燃焼させ、燃やす炎。火の精霊と契約しているのはミラノーラはもちろん、ガリアードもそう。あとは国王陛下も火の精霊と契約されている。
次に水。精霊から借りたエネルギーから水を生成する。派生に氷魔法もあるが、こちらを扱える契約者はレアだ。水の精霊と契約しているのはバナードがそうだし、担任のソート先生もだ。
三つ目は風。精霊から借りたエネルギーから風を生じさせる。風の精霊と契約しているのは兄さんと、あとはここ二年ほどまともに会話をできていないが幼馴染みもだったはずだ。
基本四属性の最後の一つは土。精霊からエネルギーを借りて大地を操る。父は土の精霊と契約しているし、あとは王太子殿下や宰相閣下もそうだったと記憶している。
残る二属性は光と闇。こちらはかなり抽象的な作用をし、たとえば光は単に灯りをともすだけでなく、傷を癒やしたり、結界を張ったりと多くのことができる。
闇はあまりいい印象が持たれておらず、光属性はポジティブな効能が多いのに対し、闇属性は傷を癒やしにくくしたり気を病ませたりとネガティブなものが多い。
光の精霊と契約しているのは僕もそうだし、ユナン義姉さんもだ。
逆に闇の精霊と契約している契約者は同級生の中にもいないし、有名な人にもいない。もしかしたら秘匿されているのかもしれない。
闇の精霊に悪いイメージが付きまとうのは、三十六年前にあった未だに語り継がれる凶悪犯罪の影響によるところが大きい。
ワルプルギスという、家督の継げない貴族家の子弟が結成した反王国犯罪組織が、累計百を超える貴族家の子弟を殺傷し、王位継承権第二位の王子までその毒牙にかけた。
組織の指導者と幹部は揃って闇の精霊の契約者であり、闇の精霊といえばワルプルギスというイメージが根強く残っている。
最終的には憤激した陛下が近衛隊を連れて首領と幹部を一網打尽にし幕を閉じた。
対外的には陛下の契約者としての力量の高さを示威した事件だが、貴族たちの間に深い傷痕を残した。
たしかにワルプルギスの面々は決して許されない罪を犯したし、断罪されなければならないだろう。
しかし、闇の精霊の契約者だからそのような凶行に至ったというのは安直過ぎると思う。
たとえば、一般に光の精霊の契約者は慈心を持つという通説があるが、その中でも痛ましい犯罪を犯す者もいる。
逆も然りで、闇の精霊の契約者であっても心の清らかな人だっているはずなのだ。
契約精霊の性質と契約者の性質には相関があるという論文も発表され、それが広まっているが、だからといって闇の精霊が悪ということはないと思う。
基本的に精霊は精霊単独では大きな現象を起こせないし、契約しなければ存在も希薄だ。
もしも本当に闇の精霊の契約者が邪悪な心を持つというのなら、彼らを弾圧するより、共存の道を探すべきじゃないか。
というのは兄さんにも昔話したことがある。
その時はたしか
「そういった平和な解決策は考えられるべきだが、厳しいと言わざるを得ない。三十六年前というと、それ以降に生まれた者たちにとってはあまりにも過去の出来事だが、今まさに各々の領地を治めている多くの貴族にとっては今もなお傷を残す事件だ。少なくともお前のような考えが受け入れられるようになるには、完全に代替わりするほどの時間が経たなければ難しいだろう」
と返された記憶がある。
きっとワルプルギスの惨劇に巻き込まれた子を親に持つ人たちにとっては、闇の精霊の契約者を受け入れるというのは非常に困難なのかもしれない。
けど、僕が闇の精霊の契約者だって僕らと何も変わらないと思うことは自由なはずだ。
兄さんにも別に考えを否定されたわけではないし、何ならどちらかというと同じ考えに寄っているように感じた。
まあ、つまり、僕は闇の精霊も闇の精霊との契約者も見たことも会ったこともないので、闇属性については本で読んだこと以上のことはさっぱりわからない。
いつか実際に会って、仲良くなれるだろうか。
そんなことを考えながら風の初級魔法、ワインドを発動させようとしていたら、集中が切れて微かに暴発した。
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風の初級魔法は集中力云々を抜きにしても成功率が低い。
だから徐々に成功率を上げられるようにしようと修練場では最近はもっぱらそればかり練習しているが、せいぜい十回に二回しか発動しない。
今日もだめだったか。
ポジティブに定評のある僕でも、へこむときは普通にへこむ。
ガリアードの生家テセン伯爵家の傘下にある、いつもガリアードに付き従う三人衆は修練場でしばしば突っかかってくるが、そのたびにちょうどいいと魔法のコツをいつも教えて欲しいとお願いしていたら、何故かいつの間にか相手をしてくれなくなってしまって少し残念だ。
ちょっと前までは実演して教えてくれていたのに。
「本日は以上だ。各自、修練場の清掃をしたのち着替えて教室に戻るように」
授業は終了のようだ。
学院内では階級、地位は関係ないということになっているが、清掃をしているのは概して家格の低い人たちだ。
とはいえ例外――こちらが正しい姿だが、ミラノーラは子爵家の子弟でありながら嫌な顔一つせず自身が使った部分を掃除している。
掃除を終え、ロッカールームで着替えを済ませる。
「そろそろバナードは一つ上のレベルに移ってもいいんじゃないのかな?」
隣でまだ着替え終わっていないバナードに尋ねる。
「うーん、それも少し考えたんだけど、ぼくにはまだ少し早いかな。それに、ぼくはあんまり、いわゆる強い魔法を使いたいとかはないし」
バナードのことをよく知らない人が聞けば、実力がないから言い訳をしていると謗られることもあるだろう。(実際そう言われているのを聞いたことがある)
けど、バナードはそんなやつじゃない。
契約者としては珍しいが、魔法に全然興味がないのだ。
彼は主に政治や会計といった実務ベースの学問を好んでいるだけで、言い訳なんかではない。
と、陰口をしていた同級生には反駁しておいた。
「あとは、ライトとやってる方が楽しいしね。よくわからないけど、ライトがなにかやっているところを見ているとこっちもやらないとなって思えてくる。なんかこう、活力が湧いてくる感じ?それにぼくはライトくらいしか話し相手がいない」
ロッカールームをあとにして、教室に戻る。
本日の授業はこれにて終了。
窓の外に目をやれば、もう夕方だ。
ホームルームが終わり、早々に自室に帰る者もいれば、教室で自習する者もいれば、部活に向かう者もいる。
僕は自室にさっさと帰るグループだが、今日は図書館に用がある。
僕もバナードと一緒でそこまで魔法に多大な興味を持っているわけではない。
しかし、精霊にはそれはもう途轍もなく興味がある。
だから精霊に関する色々な文献を読み漁っていて、それが趣味みたいなものだ。
一番最近読了したのは、有名なのに一部分しか教科書で読んだことがなかった『精霊と魔法の属性の一致性』。
次に読もうとしているもの、つまりいま図書館で探しているのは闇の精霊か闇の魔法に関する文献。
全然数がないのは知っているが、見つかればいいなくらいの気持ちで書架を眺める。
背表紙ばかりを目で追っていたせいで、人が近づいてきているのに気づけなかった。
「あっ」
「きゃ」
横歩きで移動していたら、誰かとぶつかってしまった。
「すみません、周りに気を配れていなくて……。大丈夫でしたか?」
「いえ、こちらこそ失礼しました。はい、大丈夫です。そちらも大丈夫ですか?」
お互いに言い合いながら、顔を見合わせる。
「ら、ライト……」
エメラルドのふわふわとした髪型に、どことなくふわっとした雰囲気。
少し昔まではよく見覚えのあった相貌だが、全体的により女性的な曲線を増していた。
もうここ二年は口を聞けていない、一つ上の幼馴染みの姿がそこにあった。
「アラナ?」
アラナ・ビヒヤタス。
ビヒヤタス伯爵家の次女。
歳は僕の一つ上で、五回生だから一つ先輩だ。
ストラーグ男爵領はビヒヤタス伯爵領の西部と隣接しており、酷暑の時期は避暑地としてビヒヤタス家はやってきていた。
小さな頃からおそらく一番親交があり、歳が近いこともあってよく一緒に遊んでいた。
ちなみに、本人に指摘すると怒られるので言わないが、少し天然である。
「ひ、久しぶりね、ライト。元気そうで何よりだわ」
「アラナこそ、元気そうで」
僕はつい空気の読めない言動をしがちではあるが、それでも気づいていた。
アラナは二年前から露骨に僕を避け始めていた。
悲しいけど、嫌がられているのならあまり近くに長居するのはよくない。嫌がられる理由は思い至らないが、だからといって彼女に意地悪をする事由にはならないだろう。
「久しぶりに話せて嬉しかったよ。それじゃあ」
目当ての文献は見つからなかったが、いつでも機会はある。
僕はそそくさと図書館を後にした。
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「アラナ?」
短めで色の薄い金髪に、力強い琥珀の瞳。
いつも笑みを湛えていた彼の口が驚きで開いている。
二年前からここまで近くで見れていなかったが、前までは勝っていた身長も、いつの間にかちょっと抜かれていた。
「ひ、久しぶりね、ライト。元気そうで何よりだわ」
早まる鼓動と動揺と喜びを抑え、当たり障りのない文句を絞り出す。
「アラナこそ、元気そうで」
また名前を呼ばれたと、アラナは綻ぶ口元を手で隠す。
ライトは目を泳がせ、やや逡巡すると、
「久しぶりに話せて嬉しかったよ。それじゃあ」
足早にライトはアラナの前から立ち去っていった。
アラナは手を伸ばそうとして、胸元に手を抱えた。
「ライト、益々かっこよくなってた……はあ、どうしよう、どうしよう。ほんとに好き……」
アラナが二年前からライトを避けていたのは、思春期の少女らしい悩みからだった。
ただ、ライトのことが些か以上に好きで、その感情を処理しきれず避けていただけなのだ。
アラナが避けている理由が嫌っているからだと思われていることは、アラナはまだ知らない。