10話:五回生
アーマット王立学院も早五年目が到来した。
慣れ親しんだ学校は、第二の実家のようなものだ。
一ヶ月ぶりに寮の自室で目覚める。
制服に着替え、食堂へ赴く。
「よう、親友」
「おはよう、バナード。特に変わらないね」
肩を叩かれ振り返ると、大きな眼鏡が特徴の不健康そうな男、バナード・スーウェットがいた。
「そりゃ一ヶ月そこらじゃそうそう変わらないよ。と言いたいところだけど、ライトは随分と、随分と。うん、色々変わったな」
「そうかな」
「そのへんはあとでじっくり聞くとして、朝食をとるとしよう。昨日夜抜いたから空腹なんだ」
「また勉強漬け?」
「まあそんなところ」
バナードの目の下のクマは勲章の証だ。
朝食を受け取り、空いている適当な席につく。
「さて、かなーり雰囲気が変わったような気がするんだけど何か向こうであったのか?女ができたとか?」
「……バナードは鋭すぎるよ」
「あんなに異性に興味なさそうだったのにどうしたんだ一体。ライトが選ぶんなら変な女でもないんだろうけど」
「でも、急に会えなくなっちゃったんだよね。どこの子なのかも知らないし」
「薄情なやつだな」
「きっと何か事情があったんだと思うんだ……。ま、どこかでまた会えるさ」
「やっぱり、前よりこう、なんか元気というか溌剌さがなくなったか?」
「それ兄さんにも同じようなことを言われたなあ。そんなことないと思うけど」
「前は元気すぎたからいまくらいでちょうどいいけどな」
朝食を食べながら話していたが、十分もすれば完食してしまった。
食器を下げて、教材を取るために部屋に戻る。
「で、女ができたっていうのと、他には何かトピックはないのか?」
「ないかなあ。ほぼ毎日その子に会ってただけで、他は特に何も」
「よっぽどお熱だな。それで相手のことは全然知らないってのもライトらしいが」
「僕のことはそれくらいしかないよ。バナードはどうなのさ」
「ぼくにそんなこと聞いたところでわかりきってるだろ」
「結局、卒業したら商いをするつもりなの?」
「ああ、そうする。決めたよ」
「そっか。バナードなら絶対成功するよ」
「絶対なんてものはない。と言いたいところだが、ライトに背中を押してもらえると気が楽だ」
「何も言わなくても、どうせバナードは成功するでしょ」
「失敗したらライトのところに転がり込むとしよう」
想像通り、バナードは学院を卒業したら商売を始めるようだ。
「実家の後ろ盾がある内に色々と準備も始めるつもりだ。さすがに、悪いがライトにも内緒だ」
「それくらい用心深い方がいい」
バナードといつも通り軽口を叩き合う朝。
肩書きだけが変わり、新学期が始まった。
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鳥を追っていたら、どこかわからないところに来てしまった。
アーマット王立学院には三日前に来たばかりで、土地勘が微塵もない。
しかも周りを見ても人通りがない。ここは一体どこ?
とりあえず歩いてみればどこかには辿り着くだろうと、歩き回ってみる。
すると傘のような形に柱と屋根がある日除けらしきものと、その下にベンチがあるところに迷い込んだ。
ちっとも校舎内に戻れる気がせず、目元に涙が溜まり始める。
もう授業も始まってしまっていることだろう。
どうしようどうしようと考えていると、パンクしてしまった。
「どうしたの?その徽章は一回生かな。ここに来たのは迷ったから?」
ちょうど柱の影に隠れて見えていなかったが、ここには先客がいた。
短めの金髪に琥珀色の目、かなり整った柔和な顔貌。徽章から五回生であることがわかる。
「はっ、ははは、はひ。迷いました!」
「そっか。じゃあ案内するよ」
五回生の先輩に先導され、あっという間に校舎内に戻ってこれた。
「あっ、ありがとうございます!助かりました!この恩は忘れません」
「恩なんて大袈裟な。どうしてもっていうなら、君に後輩ができた時に、迷っている子がいたら案内してあげてほしいな」
格好いい、こんな貴族の人もいるんだ。一生ついて行きます!と思っちゃうくらい感銘を受けた。
「あの!先輩のお名前は?」
「僕はライト。ライト・ストラーグだよ。君は?」
「ヘカーテ・アクライトです!」
「ヘカーテさん、いい学院生活を」
「はい!ありがとうございました!」
ライト先輩は颯爽とさっき通った道を引き返した。
ヘカーテはその場に立ち尽くし、余韻に浸っていた。
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フェイの姿が見えなくなってから三週間も経過した。
ただし魔法は使えるので、契約が切られたわけではない。
どうして魔力は借りられるのにフェイが現れないのか。
試しにトーチを使ってみたところ、普段通りにやったはずだが、普段より、いや、トーチとしては見たことのないほど大きく強い光源となった。
まったく疲れなくなったこととも関係があるのだろうか。
調べてみてもそれらしいものは見当たらないし、ソート先生に相談することにしよう。
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「ふむ、精霊が現れないか。しかし魔法は使えると。精霊は気まぐれだ。たまたましばらく姿を見せていないだけではないか?魔力が借りられているなら問題はないように思うが」
「先生、修練場で僕の魔法を見てくれませんか?」
「個別指導は引き受けていないが…………ああ!わかったよ。少しだけ見てやる」
強めの口調だが、ソート先生は快諾してくれた。
先生も忙しいはずだが、生徒が困っていれば手を差し伸べずにはいられない先生の弱みに漬け込んだようで若干いい気はしないけれど、いまはそんなことも言っていられない。
助言がほしいのだ。
「じゃあ先生、やりますね」
「やってくれ」
見えないフェイから力を借りて、光の初級魔法トーチを発動する。
普段は豆粒のような大きさの灯りが人間の頭のサイズにまで拡大している。
「は?」
光も強烈で、5メートルほど離れているソート先生の目を潰さんばかりだ。
急な光に目をやられたソート先生は目を揉みながら問う。
「つまり、精霊が見えなくなったというのは前置きで、本命はこっちか」
「どういうことなんでしょうか?」
「最もシンプルな答えは、精霊の格上げが起こったとするものだろうな。特にお前の精霊は学院にいる中でもおそらく最も貧弱な精霊だ。微精霊との契約者でありながらここまでやる者はそうそういない。それが原因で昇華が起きた可能性もある」
「では、姿を現さないのは?」
「精霊の昇華については前例が少ない。もしかしたらいままさに昇華しつつあり、精霊が自身を実体化できない状態にあるのかもしれない」
「蛹のような状態ということですか?」
「その可能性もある、としかいえない。ただ、魔法が明らかに強化されているとなると、そういうことだと判断するのが最も自然だろう。他にもやってみてくれ」
僕は頼まれた通り、火の初級魔法を使う。
せいぜい手のひらくらいの大きさの火の玉を出すのが限界だったが、ちょっとした焚き火くらいの炎が出た。火力も明らかに高まっている。
想像より大きかったので慌てて魔法を解除する。
「それは大きすぎる魔力を上手く扱えていない証拠だ。初級魔法は魔力量を調整すれば限りなく大きくもできるが、調整しなければ出力できるだけの魔力が魔法に還元される」
「小さく発動できるようにならないといけないということですか」
「中級魔法まではその必要はない。だが、上級魔法を扱う気があるなら魔力調整は必修だ」
「僕は上級魔法が使えるようになるのでしょうか?」
「いままでのお前であれば初級魔法が使えるのが関の山だったが、それだけの魔力量を持てているのなら、中級魔法を扱えるようになることは私が保証しよう」
ソート先生のその言葉に、思わず目が潤む。
実は優しいソート先生であるが、先生は決して慰めは言わない人だ。
他の属性の初級魔法は使えるようになるかもしれないとの助言をくれたのは先生だったが、中級魔法以上は諦めろと言ってきたのも先生だった。
「精霊の昇華については判明していることが少ない。もしも精霊の昇華であることが確からしくなったら、それに詳しい人が知り合いにいる。そいつに任せよう」
「その人はどういう方なんですか?」
「精霊の昇華を経験している契約者だ。名はバルト・セントループ。国王陛下直属の近衛隊の末席を汚す軽薄なやつだ」
その名を呼ぶ時は心底嫌そうな顔をしていた。そんなに嫌なのに、僕のために呼びつけようとしてくれている。教育者の鑑だ。
「いずれにしろ、精霊が姿を現してくれればわかるだろう。それだけの魔力量になったんだ。少なくとも微精霊ではなくなっているはずだからひと目でわかるはずだ」
「何かわかったら報告します」
とりあえず、初耳だった精霊の昇華について調べてみることにしよう。
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授業の合間を縫って昇華について書かれた文献を図書館で探す。
「あっ、ライト。相変わらず元気そう……何か少し変わった?」
会ったのは最上級生となった幼馴染みのアラナだった。
「え、いや、そんなに変わってなくない?」
「え〜、うそだ。こう、雰囲気が何か違うような気がするんだけど。何かあった?お兄様との間に問題があったとか?」
「兄さんとは特に何もないよ。変わらず」
「へ〜、ふーん。あ、もしかしてもしかして、あのライトに恋人ができた、なんて?」
「……まあ、遠からずかな。バナードにも指摘されたし、そんなにわかりやすいのかな」
思わず苦笑が漏れる。
「え?ほんとに?」
「恋人ができたわけではないけどね」
「え……あ、ごめん、用事があるからまたね」
「うん、また」
アラナはそう言うと走り去っていった。
図書館で走っていたため、司書に注意されていた。
にしても、そんなに僕の雰囲気が変わったのだろうか。
そういえば、兄さんにもそれっぽいことを言われたなと思い出す。
身近な人にはよくバレていると思うと、なんだかなあという感じだ。そんなにわかりやすいんだろうか。
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アラナはライトの前から用事があると言って立ち去ったあと、アイアーネの部屋を訪ねていた。
「アイ〜」
アラナはアイアーネの部屋に入るや否や、アイアーネの腰元に抱きついて崩れ落ちた。
「ちょっ、アラナ!どうしたのよ」
アイアーネは顔を僅かに赤くして慌てている。
「アイ〜、どうしよう」
どうしよう、どうしようとだけ繰り返すオルゴールに成り果てたアラナを、アイアーネは落ち着くまでよしよしと、そのふわふわの頭を撫でることにした。
「落ち着いたみたいだから聞かせて欲しいんだけど、何があったの?なんとなくの察しはついているけれど」
アイアーネの視線にいたたまれなさを覚え、アラナは目線を露骨に逸らす。
「どうせ愛しの幼馴染み絡みでしょう?」
「うっ」
完全に図星である。
「で、何があったのよ」
「実は――」
促され、アラナは図書館での出来事を端的に語る。
「ライトが、恋人ができたって言うの」
正確には恋人ではないとライト本人も訂正していたのだが、混乱したアラナにとっては誤差だった。
「ああー。なるほどね。うん、そういうこともあるよ」
「たしかにライトはかっこいいし可愛いけど、でもでも、私はずっと想ってたのに!」
「だからあれほど早く気持ち伝えればいいじゃんって言ってたのに」
「それは恥ずかしいもの!」
「これで晴れてアラナも失恋か〜」
「……え?」
「え?じゃなくて。それとも略奪愛でもするの?それはそれで傍から見る分には面白いからやってほしさはあるけど」
「う〜、アイの意地悪」
「というかそもそも本当に彼女がいるって聞いたの?アラナはよく早合点するから、勘違いじゃなくて?」
「勘違いの可能性もあるかも……でも、気になってる子がいるのはたぶん確実」
言いながらアラナの一瞬晴れた顔が曇る。
「ダメだったら慰めてあげるから、当たってく砕けにいきなって」
「もう!私の気も知らないで!ばか!またくる!」
アイアーネが茶化すと、アラナは扉を勢いよく開け放って出ていった。
半開きの扉を見ながらアイアーネはため息をつく。
「……アラナこそ、私の気も知らないで」
小さな呟きは宙に消えた。
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自分で目的の文献を探すのを諦め、司書に精霊の昇華について書かれた文献はないか尋ねていた。
「昇華についてですか……ああ!昔に見かけたことがあったような。たしか……このへんとか」
司書が手をふらふらとさせて目当ての本の在処を探している。
「あったこれこれ、精霊の進化。この本に似たような内容のものが書かれているはずです」
「ありがとうございます。読んでみます」
文献を受け取り、手近な机について早速読み始める。
著者はマルメレッサ・アルゲイン。この名前には見覚えがある。
賢者アーマットの血脈に連なる人物で、まだ存命のはずだ。
文献の内容は、まさにソート先生の言っていた精霊の昇華についてで相違なかった。
要約すると、精霊と契約者の相性が非常によければ昇華――精霊の進化が発生しうる。
進化すると概ね位階が一段階上がり、特に精霊の保有する魔力量と借りられる魔力量が極めて大きく増大するという。
これは僕にいままさに起きている現象と同じことだと思う。
そして、精霊が進化しているかどうかを簡単に確認する方法は、精霊の見た目だそう。
研究対象となった一例では、成人男性の頭部程度のサイズだった精霊が、進化のよって成人男性の身体の大きさを超すほどに成長したのだとか。
ただ、こちらについてはフェイの姿が見えないので判断できない。
また、体力が全然尽きなくなったことについての情報はなかった。
授業でも習ったことがないし、バナードに軽く聞いてみたが知らなかった。
フェイが現れてくれない限りはわからずじまいだ。
と思いつつ、他にも資料を漁ってみようと、その日の残りは精霊の昇華について調べることに費やされた。
結局、『精霊の進化』以上に昇華について詳細に書かれた文献を見つけることはできなかった。




