9・花屋の娘は気付いてしまう
会えない。とにかく騎士様に会えない。
あの変な別れ方をして二週間。週末露天市で会うことはなく、もちろんお店にも来ない。つまり、分かりやすく避けられている。
「うー……」
「あらあら。ようちゃんが妖怪さんみたいになってしまったわぁ」
のんびりとした声にカウンターに突っ伏していた顔を上げれば、お店の奥からお母さんが出てくるところだった。
お母さんは東にある小さな島国出身で、はっきり言ってしまうと変人だ。ものすごくのんびりとした性格で、家族しかいないところでは私のことをようちゃん、お父さんのことをうーくんと呼んでいる。
「お母さん、作り終わったの?」
「うん。みてみて、今回の薔薇のジャム、とぉってもいい出来でしょ? これも騎士様ご依頼の贈り物に加えようかと思って」
「うぐぅっ……」
「あらあら、蛙さんみたいなお声ねぇ」
騎士様から正式に依頼された、婚約祝いの花と贈り物。これの打ち合わせがあるから会えるだろうと軽く考えていたんだけど、私がいないタイミングでやってきて、お母さんと打ち合わせを済ませて行ったらしい。私に任せたいという発言はどこにいったんだ。
……会えないなら会いに行けばいいと、私から騎士様に会いにいくことも考えた。でも街で花纏いの騎士様の居場所を聞いたら変な噂が立ちそうだし、だからって騎士の詰め所に押し掛けるのは躊躇われて。
結局、会えないまま二週間が経過してしまった。週末露天市で会うどころか見かけることもないから、完全に避けられていると思われる。
「ねぇねぇ、ようちゃん」
「……なんですか、さきさん」
「会いたいなら、会いたいって、ちゃぁんと言わないとだめよ? 言葉は言魂、声に文字に、形にしてこそ命が宿るのだから」
お母さんは島国のシャーマンの血筋で、その信仰や考え方をよく口にする。お父さんと結婚する前は占術師として有名で、占いや託宣をして生活していたらしい。
ちなみに、さきさんというのはお母さんの島国名からきた愛称だ。私のようちゃん呼びもお父さんのうーくん呼びも島国名からきている。
「……言って、いいのかな?」
「うん?」
「これだけ避けられてるのに会いたいとか、迷惑じゃない?」
騎士様に会えなくなって、身をもって理解したことがある。
今まで会えてたのって、騎士様がわざわざ会いに来てくれてたからだ。つまり、騎士様から会いに来てくれないと会えないくらい、住む世界が違う人なんだって。
「うーん……これはお母さんの勘なんだけど、どんどんがんがん、行っていいと思うわぁ。なんだったら、いけいけ押せ押せで、会いに行きなさいな」
「えぇ……」
「会いたい人に会いたいって言うことも、会うために行動を起こすことも、ちっとも悪いことじゃないもの。特にあなたたちはねぇ」
「……それ、託宣?」
「さぁて、どうでしょう?」
お母さんはオリエンタルな美貌に妖艶な笑みを浮かべて、私の目の前に薔薇のジャムを置いた。
「これをオリーおばあちゃんのところに、届けてちょうだいな」
オリーおばあちゃんはお母さんのお料理の師匠で、少し離れたところ……騎士詰め所の近くに住んでいる。私も可愛がってもらっているから、行くのはいいんだけど。
「今は店番当番だし、お母さんが……」
「うだうだ言わないの! 今日はこのまま、私がお店番をするから、お使いが終わったら、街をぶらぶらしてきなさい。お母さん命令です」
「……はい」
「ところでようちゃん。ひとぉつ、聞いてもいい?」
「なに?」
「どうして、そんなに騎士様に会いたいの?」
「……、謝りたいから?」
「どうして疑問系なの?」
「なんだか、しっくりこなくて」
騎士様に会いたいのは謝りたいから。私の不用意な行動で傷つけてしまったことを謝りたい。
……その心に偽りはないのに、なんだかしっくりこない。
「ふふ……ようちゃんは昔から、自分のことだけは、すぅごく鈍感よねぇ」
「そんなことないよ?」
「ふふふ」
絶対に信じてないと丸分かりな、にこにこと笑うお母さんに見送られて、私はお店を出た。
オリーおばあちゃんにジャムを届けて、そのお礼にお茶をご馳走になって。その帰り道、騎士の詰め所に行くかどうか迷いに迷って、結局行かないことにした。
急ぎの用事があるわけでもないのに、さすがに詰め所にまで押し掛けるのは迷惑だ。まずは街中での接触を目指し、本当にどうしようもなくなったら詰め所に行く。それがいい、それでいこう。
「よぉし行くぞぉ!」
気合い十分、まず初日の今日は大通りからじゃあ! と歩き始めて、ほんの数歩。
「…………、え?」
私の気合いは、ものの見事にへし折られた。
商業地区のお貴族さまや裕福層御用達のお店が立ち並ぶ一画に、彼はいた。見慣れた騎士服だったけれど、お仕事中では絶対にない。
だって彼の隣には、とても綺麗なドレスを着た、とても素敵なお嬢様が立っている。
二人は連れだって歩いていて、お店のショーウィンドウを覗き込んでは、頻繁に言葉を交わしている。
お嬢様はそれはもうとってもお綺麗で、それでいてとっても可憐で。口元に手を当てて笑うその仕草は、同性の私でも見惚れてしまうほど可愛らしい。
対する騎士様も、彼女の言葉に耳を傾けて、一言二言返事をしては、小さく笑う。
――騎士様が、笑っている。
それにいつもの土砂降り豪雷雨は鳴りを潜めて、今は綺麗な晴れの空を見せていた。どこまでも澄み切った青空は、愛情の証だ。
呆然とする私の目の前で、お二人は楽しそうに会話を続けていて。
お嬢様がそっと騎士様に何かを耳打ちをすると、騎士様の頬がわずかに赤くなった。それから少し怒ったような顔をして、けれどもすぐに困った笑顔で彼女の額をこづく。
なんだ、これ。なんなんだ、この光景。
凍り付いたように動かない体。からからに乾いていく喉。足先や指先が急速に冷えていく。
よく見れば、お嬢様の手には花束があった。とても美しい、高価な花がふんだんに使われた、豪華な花束だ。
高貴な花で彩られた、愛の花言葉で溢れる花束。
「あそこにいらっしゃる、花纏いの騎士様を連れられたご令嬢って、公爵家の?」
「ええ。お美しい方だって聞いていたけど、本当にお綺麗ね」
「花纏いの騎士様と一緒だとまるで絵画みたいだわ」
「彼は伯爵家のご出身だもの、お似合いで当然よ」
周囲にいたご令嬢たちの声が耳に入ってくる。あのお嬢様は公爵家のご令嬢で、騎士様は伯爵家のご子息だったのか。やっぱりお貴族さまだったんだなぁ。
「にしても、花纏いの騎士様ってあんな風に笑うのね。素敵!」
「あんな顔を見せるのは愛する人だけなんでしょうね。自分だけに向けられるあの優しい眼差し……憧れるわ」
周囲にいたすべての人が、騎士様とお嬢様に目を向けて、とてもお似合いだとほめそやす。私もそう思う。見た目も身分も何もかも、すべてにおいて釣り合いが取れている、とてもお似合いの二人だと。
……なんて、自意識過剰だったんだろう。馬鹿みたいな勘違いをしていた。自分の馬鹿さがあまりにひどすぎて、とんでもなく滑稽だ。
なんで、こんな貧相な平民の小娘に、見目麗しい高貴な騎士様が惚れているだなんて、勘違いしてしまったんだろう。
そんな夢みたいな話、おとぎ話の中にしか存在しないのに。
帰らないと。ここにいたら、騎士様に気付かれてしまうかもしれない。
……気付くわけ、ないのに。気付かれたところで、何とも思われないのに。ああ、なんて自意識過剰の痛いやつなんだ、私は。
どうしても外せなかった視線を、無理矢理に引き剥がす。そして人混みに紛れるようにして、その場から大急ぎで立ち去った。
人の溢れる大通りを抜けて、人通りの少ない裏路地へ。そこからは全力で走って家を目指す。
正面のお店からではなく裏口から家に直接入って、自分の部屋へと飛び込んだ。静かに歩く注意を払うことさえ出来なかったから、花のお世話をしているお父さんがびっくりしたかもしれない。ごめんなさい、お父さん。
でも、だって、耐えられそうになかったんだもの。
「う……ひっく……っ」
脳裏に焼き付いて離れない、騎士様とお嬢様の姿。
楽しそうに笑う美しいお嬢様と、優しい微笑みで彼女を見つめる騎士様。ああ、なんてお似合いなんだ。住む世界が、ぜんぜん違う。
「う、うう……、あぁぁぁ……っ」
なんで、今更気付くんだ。気付くなら最初から、気付かないなら最後まで。そうじゃないと、駄目じゃないか。
気付きたくなかった。気付いてはいけなかった。馬鹿みたい、傲慢な勘違いをして、勝手に舞い上がって。いや馬鹿みたいじゃなくて、ただの馬鹿だ。愚か者がすぎる。何かあれば困った振りをして、そんな自分に酔って楽しんでいたのだから。
私には確かに騎士様の心が見えていた。だけどそれは、私が騎士様の特別だという意味じゃない。
そんな簡単で当たり前のことを、忘れてしまうだなんて。騎士様に嫌われてはいないからって、私が彼の特別なわけじゃない。私が単純で馬鹿だったから、可愛がってもらっていただけだ。
お貴族さまの騎士様に、妹のように可愛がってもらう。それだって特別なことに変わりない。とっても幸運で、とっても嬉しいことだ。
でも、私は身の程知らずだから、自分は彼にとってもっと特別な存在なんだって、思ってしまった。なんて烏滸がましい。なんて恥知らず。
お母さんの言うとおり、私はとんでもない鈍感娘だった。だって、突きつけられて初めて気付いたの。
――私は騎士様に、恋をしているんだって。
「う……、ううぅ……っ」
大声で泣き出したい気持ちを必死に抑え込む。声を押し殺して、でもぼろぼろと流れ出す涙は止められなくて。
自分の愚かさがあまりに滑稽で恥ずかしい。この恥知らずな、張り裂けんばかりに痛む胸を取り出して、ちり一つ残さずに燃やしてしまいたい。
しばらく泣きに泣いて、涙も枯れて喉が痛くなった頃。私は心に決めた。
もう、勘違いはしない。騎士様は私を妹のように可愛がってくれている。それだけで十分な特別だ。すごいことだ。ありがたいことなのだ。
「大丈夫、大丈夫」
この身の程知らずな恋心は捨てなくては。知らない間にこんなに大きくなってしまったから、今すぐには無理だけど。でも騎士様とは住む世界が違うから、しばらく会わなければ捨てられるはずだ。そう自分に言い聞かせて。
……ああ、なんてお馬鹿な鈍感ディアン。おまえは本当に大馬鹿だ。こんなに大きな気持ちが、そう簡単に捨てられるはずもないのに。