8・騎士様、猛吹雪
「婚約祝いなんですよね? 小物も差し上げたいということは、ご家族ですか?」
「ああ、妹だ。あまり兄らしいことはしてやれなかったから、何か贈ってやりたくてな」
「なるほど。それですと、そうですね……」
平日のモンステラ生花店。私はカウンター越し正面に座る騎士様に、商品見本をまとめたメニュー表を差し出す。
この場にいるのは私と騎士様ふたりだけ。いままで二人きりで会うことなんて沢山あったのに、今日はどうにも緊張している自分がいた。
……原因はお母さんの一言だって分かっているから、まだいいけれど。
前に話してくれた婚約祝いの贈り物の件を、正式に依頼しに来てくれた騎士様。
最初はお母さんと一緒に話を聞いていたのだけれど、途中でお母さんは用事があるからと言い出していなくなってしまったのだ。この件はディアンちゃんに全部お任せするわね、と言い残して。
騎士様は騎士様で、最初からディアン嬢を指名するつもりだったのでありがたいです、とか言い出すし。
騎士様の言葉が嬉しいやら恥ずかしいやらで戸惑っていたら、お母さんはとっても意味深な笑みを浮かべて。
「頑張るのよ」
と、ものすごく慈愛に満ちた激励を私に囁いて去っていった。どう見ても聞いてもお仕事を頑張れという意味ではない応援だった。
おかげで仕事モードに戻れず、心の中はぎくしゃくモードだ。ああもう、とにかくお仕事である。正式なご依頼なのだから、しっかりしろ私。
ひとまず先に小物を決めた方が花束も合わせやすいと判断して、小物から決めることにした。
「一般的には、婚約祝いはささやかに、結婚祝いを豪華にするのが普通なんです。だから婚約祝いなら花束だけでもいいんですけど、そういう事情なら……」
ぱらぱらとメニュー表をめくり、消えモノ一覧を開いて見せる。
「ここらへんがおすすめですね」
婚約は結婚と違い、解消や白紙にすることが比較的容易だ。だからあまり重いものや、形に残るものを贈ることは避けるのが一般的。
とはいえ妹さんの婚約祝いに、ささやかな贈り物を添えたいという騎士様の気持ちも分かるので、無難に消えモノをおすすめすることにした。
「妹さんはバラ平気ですか?」
「ああ。俺と同じで花が好きだから、問題ない」
「なら、モンステラ生花店特製バラのハンドクリームなんてどうでしょう? うちで一番人気のギフト商品ですよ」
素材はもちろんのこと、お貴族様向けにパッケージにもこだわった一品で、リピーターも多い定番商品だ。妹さんが気に入ってくれたら、うちの常連さんになってくれる可能性も視野に入れた営業である。
「バラか……あまり強い匂いは好ましくないのだが、どうだろうか?」
「ほのかに香るくらいですよ。サンプルお出ししますね」
引き出しからハンドクリームのサンプルが入った軟膏壺を取り出す。残り少ないな、お母さんに言って補充してもらわないと。
「あ、そうだ。騎士様、お手を貸してもらえます?」
「手?」
「はい。サンプルの残りが少ないので全部使っちゃおうと思いまして。お礼に手のマッサージをサービスしますよ」
「お礼をするべきはこちらだと思うのだが」
私の提案に苦笑しつつも、騎士様は手袋を取って両手を出してくれた。
「ありがとうございます。まずはクリームを塗りますねー」
残り少ないクリームを全部指ですくい取ると、私は騎士様の手のひらにすりつけた。ぴくりと動く手に、私は指のクリームを刷り込むようにすりつける。
ごつごつした、大きな手。傷跡がいっぱいあって、皮膚が硬くて。武器を握り戦う手だと、すぐに分かる。私の手とは全然違う、男の人の手だ。
「両手をすり合わせて、クリームを手に馴染ませてください」
小瓶の側面に残ってたクリームも全部彼の手に塗りつけて。騎士様は私の指示通り、クリームを手に馴染ませる。
ふと彼の顔を見ると、わずかに赤くなっていた。なぜ?
次に背負っているお天気を見るけれど、空が透けて見えるくらいの花曇り。調子が悪いわけではないようだ。
……うん、深く考えるな私。考えたらいけない。
「……確かにほのかに香る程度だな」
「香水と喧嘩しないように調整しているんです。うちは花から直接抽出したエキスを使っているので、自然な香りでしょう?」
「ああ」
騎士様が自分の手の甲を鼻に近付ける。その様子は本当に絵画のひとつかと見間違いそうなほど美しい光景で、私は暴れ始めた心臓を抑えつけつつ、彼に向かって手を差し出す。
「次はマッサージです。両手を出してください」
私の指示に、騎士様は素直に従ってくれる。なんだか可愛い。
まず彼の右手をとって、両手でぐいぐいとマッサージを始めた。
「さすが騎士様、手の皮膚が硬いですね。マメのあととかもいっぱいです」
「訓練に実戦にと、剣を振り回すのが仕事だからな」
「そんな騎士様たちのおかげで、私たちは安心して暮らしていけます。本当にありがとうございます」
「当たり前のことをしているだけだ。しかし、君からお礼を言われるのは嬉しい」
……平常心、平常心。
「指先が荒れてますね。これは紙に油をとられた感じですけど」
「隊長格になると事務仕事も多くてな。そのせいだろう」
「なるほど」
右手は終わり、次は左手。
「うん? 左手の方が指先荒れてますね。左利きですか?」
「ああ。剣はどちらでも扱えるが、元々は左利きなんだ」
「そうなんですね」
「ディアン嬢は?」
「私は右利きですよ。昔は左利きに憧れてたなぁ……」
「俺は右利きが羨ましかったな。左利きに世間の雑貨はやさしくない」
「あー、確かに。結局隣の芝は青いってやつなんでしょうねぇ」
「だろうな」
そんな他愛ない話をしつつ、騎士様の手のマッサージを終える。
「終わりです。どうでした?」
「手のマッサージというのも、いいものだな」
「でしょう? 私、よくお父さんに褒められるんですよ」
ふふんと笑って騎士様の顔を見れば、彼はくすぐったそうに笑っていて。
私の心臓がものすごい勢いで暴れだし、私はぎゅいんっと勢いよく顔を逸らした。
勘弁して……ほんと勘弁してください……!
「どうした?」
「い、いえ! なんでも!! では小物はバラのハンドクリームでよろしいでしょうか!?」
「ああ。こちらをお願いしたい」
「分かりました! では花束もバラを主体にしましょう!!」
「そうしてもらえると嬉しい。あと、個人的なわがままなんだが……」
「うん? なんです?」
「ヘリクリサムを、入れてもらえないだろうか?」
言われて、どんな花かを思い浮かべてみる。……大丈夫、だと思う。
「モンステラ生花店は種さえあればどんなお花でもご用意可能ですので、大丈夫だと思います。珍しい花ではありませんので」
「ならば、お願いしたい。妹とはあまり多くの時を過ごせなかったが、私にとって、妹と共に過ごした日々はとても大切な記憶なんだ」
……そうか。ヘリクリサムの花言葉は「いつまでも続く喜び」「永遠の思い出」。
「騎士様は、本当にお花が大好きなんですね。花言葉にまで精通しているだなんて、驚いちゃいました」
「……花言葉まで覚えたのは、必要に駆られてだ。褒められたことではない」
……どうして、そんなに苦しそうな顔をするんだろう。そんな顔、しないでほしいのに。
「褒められたこと、ですよ」
「え?」
「だって、必要だからって覚えた知識を、こうしてちゃんと応用して使ってる。それも、誰かを幸せにするために」
だから、そんな顔をしないで。
「誰も褒めないのなら、私が褒めてあげます。すごいことですよ、騎士様。えらいえらい」
よしよしと、カウンターの上に置かれたままだった彼の手をぽんぽんと撫でる。その手はぴくりと震えると、そっと私の手を取って。
「……ありがとう」
ちゅっと、小さなリップ音がした。
うん? んんん? いったい、なにが起こった? 騎士様が私の手を取って? 口元に引き寄せたと思ったら? 唐突に指先にキスを……キスぅ!??
「なっ、な、な、なぁっ!」
「!!」
……どうやら、騎士様も無意識の行動だったようで。
わなわなと震えている私の手を見て、自分が起こした行動に気付いたらしい。
騎士様も顔を真っ赤にして固まった。背負った心のお天気もみごとに固まった。ぴくりとも動かない雲が、彼の心の停止っぷりを表している。
私も私で、まったく予想していなかったキスと反応に、固まったまま動けなくて。
……そして、時間が動き出す。まず復活したのは騎士様だった。
ぎぎぎ、と音がしそうなほどぎこちない動きで私の手を離し、顔を上げて私を見て。
――文字通り、凍り付いた。
真っ赤だった顔が一瞬で真っ青になって、お天気も急転直下、ものすごい猛吹雪になる。遭難するレベルの一寸先も見えないひどい吹雪だ。ここまでの猛吹雪を吹かせる人、初めて見た。
この人、私に初めてばっかり見せてくれるな。
急な反応に呆気を取られつつ、そんなことを考えてしまい。
だから、反応が遅れた。
「……すまなかった、失礼する」
騎士様は早口で謝ると身を翻し、足早にお店から出ていった。その行動はいやに早く、反応の遅れた私が呼び止める間もなく。
ふと視線を落とせば、カウンターにお代らしき金貨が一枚。すごいな、全然気付かなかった。
「ええと……」
どうしよう、騎士様の反応の理由が全く分からない。あれは照れたとか、好意を自覚したとか、そういう反応じゃない。
だって吹雪のお天気が表すのは、動揺、怒り。そして、拒絶。
吹雪の原因は、恐らく私。けれど、そうさせてしまった理由がまったく分からない。
「騎士様……」
そっと両手を頬に当てる。……熱い、真っ赤になってるはずだ。
ふわり、指先からバラの香りがした。その香りに、真っ赤になった騎士様の顔と、一転して真っ青になった瞬間を思い出す。
「……どうしたんだろう」
真っ青になった理由はほぼ確実に私にある。それは間違いない。なら、謝った方がいいだろうな。
また今度会った時に謝って、聞けそうなら、どうしてあんなことになったのか、理由を聞けばいい。それでいい、はずだ。
「婚約祝いのこともあるし、すぐに会える、よね?」
ぽつりと呟くけれど、なんだかイヤな予感しかしなくて。私は不安が渦巻く胸をぎゅっと押さえた。