7・花屋の娘はとっても気になる
あの尋常じゃない天気を見た日以降、騎士様の様子がおかしい。とにかく、おかしい。
「ディアン? どうしたんだい、すごい顔して」
果物屋のおばさんに言われて、思わず自分の顔に手を当てた。
「どんな顔、してました?」
「うーん……なんとも形容しがたい微妙な顔……うーん……」
「そんなに悩まなくても」
「だってねぇ……」
「そんなにやばい顔だった?!」
「うーん……まあ、他人がとやかく言うべきじゃないね、うん」
おばさん、そういう言い方のほうがダメージ大きいんですよ……。しかし、そんなすごい顔してたのか……騎士様に見られてないよね?
ちらっと視線を戻せば、騎士様はこちらを見ていなかった。一安心。
今日も今日とて、露天市で立ち売り中の私。離れたところには、人に囲まれた騎士様の姿が小さく見える。
今のところ、今日も見事な土砂降りを背負っていて、特に変わった様子はない。
なので、問題はこれからだ。
さりげなく視線をさまよわせていた騎士様が、こちらを見る。そして私とばっちり目が合うと、自然にすっと目を逸らした。その行動自体は今までと変わらないのだけれども。
「うわぁ……」
私の目には見えている。
あの土砂降りが、あの真っ黒曇天が、本当に一瞬で消え去って、一転してまぶしい青空に変わっていく様が。
「一体なにを見て……あらあらあらぁ?」
私の視線の先を見て、おばさんがにまにまと笑い始める。前にもあったな、この感じ。
「なになぁに、ディアンちゃぁん? あんなに興味ないないないって言ってたのに、やっぱり花纏いの騎士様が気になっちゃうわけぇ?」
「申し訳ないですけど、おばさんの考えているような興味ではないですよ」
「…………、うん。それは、分かるわ……」
あ、またすごい顔になってるな私。
「ま、まあ冗談はともかく! 花纏いの騎士様のなにが気になるんだい?」
心のお天気模様が、なんて素直に言えるわけもなく。それにおばさんは私と騎士様が知り合いであることを知らないので、説明がとても難しい。
「なんとなく、こう、気になるんですよね。こう……なんというか。分かります?」
「分からないけど、私の期待した興味じゃないのはよく分かったわ」
「ありがたいことです」
それはさておき。
少し目を離した隙に騎士様はさっきまでの晴れ晴れとした天気から急転、暗い曇天を背負っていた。濃い灰色は不安の表れ。なにを不安に思っているんだろうか。
急な快晴も困惑の原因だけど、それ以上に不可解なのが、私の方を見ると晴れ間を見せるのにすぐに曇ってしまうこの状態だ。
不安の原因はどう考えても私なんだけど、どうして不安に思われるのか、全く見当が付かない。
……いや、なんとなく、そうかなって思うところはあるけれど。いやいや自意識過剰の勘違いだと自分を誤魔化していたけれど、やっぱり、そういうことなのか……?
悶々としつつ、ミニブーケを売っていると。
「ディ、ディアン!」
「うん?」
妙にガッチガチなジョージに声をかけられた。
ジョージは近所に住んでいる同い年の青年で、小さい頃は一緒に遊んだ仲だ。今でも顔を合わせれば話をするくらいの知り合いではあるけれど、なんでこんなに緊張しているのやら。
「あら、あらあらあらぁ!」
果物屋のおばさんが楽しそうに声を上げて、にこにこ笑顔のまま何処かに行ってしまった。……屋台放置でいいのか、おばさんよ。
「ひさしぶりだね、ジョージ。何か用?」
「あ、ああ……その、今度の祭りなんだけどさ……」
躊躇いがちに話すジョージの天気は薄い灰色の曇り空。緊張と不安、かな。ジョージは分かりやすいから心のお天気を見るまでもないけど。
「お祭り用の花を注文したいの? だったらお店に来てもらえる?」
「いや、花も欲しいんだけど、そうじゃなくて……その、ディアン! 今度の祭りの日は一緒にーー」
「取り込み中、失礼する」
するり。私とジョージの間に入ってきたのは、なんと土砂降り騎士様だった。さっき別のところへ歩き去ったはずなのに、なんでここに。
「ディアン嬢。すまないが、協力してほしいことがある。来てもらえるだろうか」
「はい、分かりました。ジョージ、話があるならあとでお店に来て」
「あ、ああ、うん……」
「こっちだ」
騎士様が私の手を取る。そのまま優しく引かれて、腰に手が回った。んん?
「あ、あの騎士様?」
慌てて声をかけるけど、騎士様は私の方を見ないで、ずんずんと進んでいく。
こ、これは、エスコートというやつでは? え、なんで私、騎士様にエスコートされているの?
……手袋越しだけど騎士様の手、かなりごつごつしてる。それに大きいなぁ。腰に手が回っているけど、これが貴族のエスコートなのか。すごいな貴族。
…………うん? 腰に手? 腰に手!?
「騎士様っ、騎士様!」
「なんだ?」
騎士様が私を見る。近い近い近い! というか気付いちゃった距離が近いぃ! 顔が燃えるみたいに熱い……絶対に真っ赤になってるぅ……。
あうあうと口を動かすことしか出来ない私に、騎士様は首を傾げてから。
「っ! すまない」
両手を上げて俊敏に私から離れた。ああもう、心臓がばくばくしている……!
ちらりと騎士様を見れば、わずかに頬を赤くして視線を逸らしていた。心のお天気もめまぐるしい勢いで曇ったり晴れたり落雷したりと大忙し。
……騎士様も大混乱してる。私と、同じだ。
「…………、ふふ、はははっ」
なんだ、私と一緒じゃないか。まさかあの、土砂降り騎士様が、こんなに慌てふためいているなんて。
しかも、誰が見ても分かるように表に出して、ものすごく混乱しているなんて。こんなの、笑わずにはいられない。
「……そんなに笑わなくてもいいだろう」
「だって、両手を上げて……悪いことした犯人みたいに……っ、はは」
あーおかしい、涙出てきた。あの感情を表に出さない騎士様が、顔と行動に混乱を出すなんて、明日は槍かな? とっても珍しいものを見させていただきました。
「はー、笑った笑った……。それで、私に協力してほしいことってなんですか?」
「え?」
「うん?」
騎士様は不思議そうに首を傾げて、ぴたりと固まった。なんだか今日は珍しい騎士様ばっかり見ているなぁ。
「…………、すまない」
「どうしました?」
「協力してほしいことは、ない」
「はい?」
「すまない」
騎士様が深く頭を下げる。え、どういう? というかこんなところを見られたら!
慌てて周囲を見る。幸い、この裏通りに人の姿はなかった。
「えっと、協力してほしいことはなかったけれど、私を連れ出したってことですか?」
「……そうだ」
なんで、と問いかけようとして、やめた。
まずい。これはまずい流れだ。
もう自意識過剰とかじゃないでしょ? これ、そういうことでしょ。
やばいまた顔が熱い。話を、話を逸らせ私!
「そ、そうなんですか! そういえばさっき私のこと、初めて名前で呼んでくれましたね!」
「!!」
騎士様が三度、ぴたっと動きを止めた。めまぐるしい変化を見せていたお天気も緊急停止する。
対する私も、なんでよりにもよってそんな話題を出したのかと、怒りと羞恥と後悔で動きを止めてしまう。
二人の間に流れる沈黙。少しでも動いたら、何もかもが崩壊してしまうと言わんばかりな、張りつめた緊張感。
そんな中、慎重に先に口を開いたのは騎士様の方だった。
「……すまない」
「い、いえ……」
「そういえば、名乗っていなかったな。俺はエリスロス・ベルメイル。第三騎士団所属、王都治安第一部隊長をしている」
「ご、ご丁寧にどうも。私は、ディアン・モンステラと申します。モンステラ生花店の娘です……」
ぎくしゃくとしながら、今更すぎる自己紹介をする私たち。
お貴族さまらしく優雅な礼をする騎士様に、庶民らしくぺこぺこと頭を下げる私。
そしてほぼ同時に顔を上げた私たちは、お互いの顔が困惑で固まっていることに気付いて。
ああ、何なのだ、この茶番は。あまりのくだらない茶番っぷりに、私たちは思わず。
「ぷ、くく……今更……今更、自己紹介ですよ私たち……!」
「く、くっくっく……今更、名乗り合うなど、おかしすぎるな……くっ」
耐えられないと、私たちは顔を見合わせて笑い合う。大爆笑である。
私たちは一通り笑いまくって、ひーひー言いながら、再び頭を下げあって。
「と、とりあえず、これからもよろしくお願いしますね、騎士様?」
「ああ、こちらこそ、よろしく頼む、ディアン嬢」
一体なにをよろしくするのか分からないけれど、そんなやりとりが妙に嬉しくて、楽しくて。私たちはまた笑い合ったのだった。




