5・花屋の娘は翻弄される
本日2話目
今日は週末露天市。朝からせっせと作ったミニブーケたちを、ほぼ定位置になっている噴水広場の一画で、道行く人に売っていく。
なかなかいい感じにブーケが旅立っていく中、いつも通りパン屋のおじさんが昼食を代金に、ミニブーケを買いに来てくれた。
「お、今日は珍しい花があるな」
花籠を見ていたおじさんが言う。私は慌ててそれを籠から取り出した。
「これは非売品なのでご勘弁ください!」
持ってくる時に籠に入れてそのままにしていた。危ない危ない。
「ははは、売約済みってわけか。綺麗な白百合だな」
売約済みっていうか、今日はたまたま白百合があったから。
だから、なんとなく、一輪だけおねだりして、持ってきただけ。そう、なんとなく。なんとなく、持ってきただけだ。先約なんてない。ない、けれど。
「そうだなぁ、今日はピンクにするか。おすすめは?」
「ピンクなら、これか……これかなぁ?」
「うーん、じゃあカーネーションの入ってる方をくれ」
「はい、いつもありがとうございます!」
ミニブーケとパンを交換すると、おじさんは笑顔で去っていった。
おじさんが見えなくなってから、ちらりと白百合を見て、思わず溜息を吐く。
別に他意はない。そもそも、騎士様に会えるかも分からないのだ。露天市で毎回、土砂降り騎士様を見かけるわけではないし。
それでも朝にこの白百合を見た時、持って行きたいと、そう強く思ってしまった。恐らく、花に呼ばれたんだと思う。そうでなければ、あんなに強い気持ちを抱いた理由を説明できない。
籠から取り出した白百合をじっと見つめる。花言葉は純潔、無垢。穢れなきものの象徴。
……人嫌いの騎士様は、穢れなきものを信じたいのかな。なんとなく、そう思った。
そんなことを考えていると、視界の端に真っ黒な雲が入り込んできて。見れば少し離れた広場の入り口に、土砂降り騎士様が立っていた。
今日も今日とて人に囲まれていて、いつも通り豪雷雨を纏いながらも、表面上はその不機嫌さを一切感じさせないそのお姿よ。
いつ見てもすごいなぁ、あれ。
呆れとも感嘆ともつかない目で見ていると、いつもとは違うことが起こった。
不意に騎士様がこちらを見て、ばっちり目が合う。その瞬間、ぴたっと豪雷雨が止んで。
「え……」
ぱぁっと雲から黒が抜けて白くなり、天使の梯子が降りた。
その様は荘厳な宗教画のように、とても神聖な神々しい光景だった。けれど問題は、その変化が私と目があった瞬間に起こったことだ。
何が起こったのかと困惑している内に、騎士様の目が私から外れる。けれども豪雷雨は治まったまま、かつ天使の梯子も健在で。
私が脳内で疑問符が乱舞させていると、騎士様は再び私をちらりと、正確には私の持つ白百合を見て、ほんのわずかに目を細めた。
……ああ。あの人は、本当に白百合が大好きなんだなぁ。
なんだ、私ではなく私の持っている白百合を見て、心が安らいだのか。びっくりした。
この白百合を差し上げたいところだけど、衆目がある中で花を渡すのは躊躇われる。どうしようか迷っていると、騎士様が人目を盗んで、さりげなく口の前に人差し指を立てた。
私だけに向けられた、秘密の合図。芸術品みたいな美貌の騎士様がやる、内緒だよの仕草に、私の心臓は猛烈に暴れ出す。
……あの人、ご自分の破壊力をちゃんと理解しているのだろうか。色々な意味で心臓に悪いことはやめて頂きたい。
結局、騎士様が私のところに来ることはなかった。だけど私の視界からいなくなるまで、天使の梯子はかかったままだった。