4・騎士様、襲来
本日1話目
平日の生花店は基本暇だ。時折来店するお客様の対応をするくらいで、忙しくなることはほぼない。
だから私は店番中、ブーケのデザインスケッチをしていることが多かった。私は花飾りやブーケのデザイン担当なので、アイディアは多ければ多いほどいい。
……気分が乗らない時はだらっとしていることもあるけどね。
その日は筆が乗りに乗る日だった。カウンターで一心不乱にデザインを描きとめていると、軽やかなドアベルの音が響いて。
「いらっしゃいませー!」
挨拶と同時に顔を上げて来客を見れば、なんと、あの土砂降り騎士様だった。しかも心のお天気が土砂降りじゃない! 先日に続き、珍しいことがあるものだ。
心のお天気は豪雷雨どころか、なんとまあ花曇り。いつもあんなに真っ黒だった雲は今、青空が透けて見えそうなほどに白く、薄いものに変化している。
心のお天気は本当にとても非常に移ろいやすく、コロコロと変わるものではある。
だけど数年前に初めて姿を拝見した時から、いつだって豪雷雨を背負った姿しか見せなかったお人が、この土砂降り騎士様である。
この急激すぎる変化は……正直、ちょっと怖い。
「あれ、先日の騎士様じゃないですか。お花がご入り用ですか?」
カウンターから出て騎士様の方へ向かいながら、我ながら白々しい台詞を吐いた。すると騎士様は小さく首を横に振って。
「先日の礼に来た」
なんて言う。よく見れば手に持っているのは王室御用達菓子店の紙袋。狭い店内だからこそ感じる、ふんわりとしたバターの匂い。
もしや、お菓子の詰め合わせ?
クッキーでさえ最低銀貨からする、庶民では滅多に食べられない高級店の、お菓子詰め合わせ……。
気になる、気になるけど、受け取ったらまずい気がする。なんでか分からないけれど、まずいと本能が叫んでいる。
それに名乗ってなかったのに、こうしてお店にやってきたことにも、少し警戒してしまう。ミニブーケの立ち売りをしている花屋の娘なんて私くらいのものだから、探ればすぐに分かることだけれども。
「お礼って……あの日のことは日頃のお礼でしたし、お気になさらないでください。それにお礼にお礼を返されたら、終わらなくなってしまうではないですか」
なんとか丁重に辞退しようとするも。
「ボタンを見つけてもらった上に花までもらったんだ。礼をするのは当然だろう? だからどうか、気負わずに受け取ってほしい」
う、うーん……そこまで言われてしまうと……それに消えものだし、お菓子気になるし……うん、まあいいか!
「では、お言葉に甘えます。ありがとうございます」
差し出された紙袋を両手で受け取る。紙袋の中から香る、バターのいい匂い……幸せの香り……。
「喜んでもらえたようで良かった」
騎士様の言葉に顔が熱くなった。抑えているつもりだったけれど、喜びが顔と行動に出ていたようだ。
「す、すみません……おいしいものが、大好きで……」
「何故謝る? 良いことではないか」
ほんの僅かに、本当に、ほんの僅かに、騎士様の口角があがる。……え、笑った? 今笑った? あの、土砂降り騎士様が?
驚く私の目の前で、騎士様の背負った雲間から光が射し込む。うわ、天使の梯子だ……。心のお天気における天使の梯子は福音の証。え、なに、なんなの?
騎士様は優しい目で私の胸元を見ている。うん? また胸元? 今は花を抱えてないのに、なんで?
自分の胸を見下ろせば、エプロンが真っ黒になっていた。再び顔に熱が集まる。さっきまで夢中でデザイン画を描いていたから、その時に擦ってしまったようだ。
「お、お見苦しいところを……さっきまで絵を描いていたもので……」
「絵?」
「はい、ブーケのデザイン画です。見ますか?」
普段の世間話の流れで、自然と言ってしまってから後悔した。なんで見ますかとか言った自分。
騎士様は一瞬不思議そうな顔をして、でも興味深そうに頷いた。あああ……。
「えっと……あ! でもお仕事中なのでは?」
「今は休憩時間だから問題ない」
ああ……わざわざ休憩時間に来てくださったとか、もう断れないじゃない……。
若干遠い目になりながら、カウンターに置いたままだったスケッチブックを渡す。
そしてどういうわけか、騎士様はスケッチブックを熱心にめくり始めた。
……そういえばお花が大好きなんだっけ、この人。
心のお天気を見れば花曇りで天使の梯子もそのままだ。喜んでくれているなら、まあいいかな。お菓子の恩もあるし。
私が奥に引っ込んでお茶を淹れて戻ってきても、騎士様は立ったままでスケッチブックを熱心に見ていた。
「騎士様、そちらの椅子にお掛けください。お茶もよかったらどうぞ」
そう声をかければ騎士様ははっとした顔で私を見て、一瞬迷った様子を見せたけれど、すぐに頷いた。
「失礼する」
そう言って、騎士様が椅子に座る。その何気ない動作でさえ洗練されていて、妙に美しい。やっぱりこの人、お貴族さまなんだろうなぁ。
花に囲まれてスケッチブックを眺める、花纏いの騎士様。あまりに絵になりすぎてる。見慣れた店内のはずなのに、そこだけ非現実的で幻想的な情景になっていた。
……ちらりと外を見るが、騎士様の取り巻きはいない。そのことに心底、安堵した。こんな絵画みたいな場面、彼女たちがいたら絶対に、鼓膜が破れんばかりの甲高い声があがっていたはずだ。
騎士様にすすめた椅子は花棚の裏、入り口からは見えない位置にある。だから私は入り口に気をやりつつも、ぼんやりと騎士様を眺めながらお茶を飲む。
土砂降り騎士様が土砂降りじゃなくなったと思ったら、今度は正真正銘の花纏いの騎士様になってしまった。すごいな、本当に絵画の一幅だ。
「……そんなに見つめられると照れるのだが」
騎士様がスケッチブックから目を離さないまま言った。
その表情は全く変わっていないが、薄い雲がそよそよと流れていくさまを見れば、本当に照れているのが分かる。
「ごめんなさい、花が似合うなぁと思いまして」
「……そうか?」
騎士様が顔を上げて私を見る。訝しげな表情だったけれど、お天気は相変わらず良いお天気だったので、笑って頷いた。すると騎士様は私の姿を上から下へと観察して。
「君の方が似合っている。綺麗だ」
真顔でそんなことを言う。お世辞とはいえ、美形に綺麗と言われるのは照れるな。
「へへ、ありがとうございます。ところで騎士様はどんなお花が好きなんですか?」
「好きな、花……」
呟いて、じっと私を、正確には私のエプロンの汚れた部分を見つめる騎士様。何故?
「……白百合、だな」
「白百合ですか。とても綺麗なお花ですよね」
「ああ」
白百合かぁ。大きめのお高い花だから、ミニブーケでは使わないお花のひとつだ。
「……君は?」
「はい?」
「君の一番好きな花は?」
「私ですか? 一番ですか……一番……」
うーむ、一番……。
「……お花はぜんぶ大好きなので選べませんね。お花はみんな大好きです! あ、でもラフレシアみたいな匂いと見た目がちょっとあれな花は、ちょっと苦手ですねぇ……」
観賞用にもブーケ用にも出来ない花は正直扱いに困る。
「そうか」
あけすけな私の回答に、騎士様は今度こそ紛れもなく、本物の微笑を浮かべた。
さっきの口角を上げただけな表情とは違う、思わずこぼれてしまったらしい、小さな笑み。
そこに、雲の切れ間から見える青空が添えられて。
……うわ、破壊力がすごい。
赤面をする前に呆然としてしまった。これはすごい。すごいという表現しか出来ない。
「君?」
「あ、ええと……」
なんだろう、心臓が痛い。ばっくばっくしている。落ち着け、落ち着くんだ私!
「こ、今度白百合をご用意しておきますね!」
落ち着くどころか、とっさに出た台詞がこれである。
また来てほしいとか、また会いたいみたいな台詞ではないか。人嫌いの騎士様にそんなことを言ったら、またお天気が……。
「……ああ、楽しみにしている」
崩れなかった。それどころか、雲が一気に晴れて抜けるような青空が広がって。
……そんなに好きなのか、白百合。
土砂降り騎士様は白百合が大好き。それだけは身をもって、心から理解した。
その日、騎士様は花をいくつか買ってお店を出ていった。花を持ったまま警邏するのかなぁと若干心配になったけれど、もう余計なことは言うまいと何も言わずに見送ったのだった。