3・花屋の娘は接触する
本日3話目
花籠にはたくさんのミニブーケ。平日の昼間とはいえメインストリートは人通りが多いので、私は笑顔で声を張り上げる。
「あなたの日常に彩りを! ミニブーケはいかがですかー!」
「あら? こんにちは、ディアンちゃん。珍しいわね、平日に立ち売りなんて」
優しい雰囲気が素敵な八百屋の奥さんが声をかけてくれた。私はにっこり笑って挨拶を返す。
「こんにちは! いやぁ、実はお父さんがやらかしまして」
「あらあら、また?」
「はい、また」
通常、週末露天市でしかミニブーケの立ち売りはしない。何故なら平日に立ち売りをしてもあまり売れないから。
だというのに平日の今日、立ち売りをしている理由。それはお父さんがやらかしたからである。
オーナーであるお父さんは『緑の手』を持つ園芸師で、種と時間さえあればどんな草花でも育て上げることが出来るすごい人だ。
オーダーでどんな花でもほぼ必ず用意できるのは、種さえあればお父さんは開花させることが可能だからだ。お金と種さえ準備できればどんな花でもご用意可能のため、ここだけの話、貴族のお客様も少なくなかったりする。
もちろん、通常は普通の花屋として営業しているので、リーズナブルなお花もたくさんあるからご安心を。
『緑の手』とは植物ならばどんなものでも、望めばすぐに育て上げることが出来る、稀少で特別な力。
我がモンステラ生花店の花はみんなお父さんが育てていて、順繰りに一番綺麗なタイミングで店頭に出せるように調整をかけている。しかし時折、その力が暴走というか、強く作用しすぎることがあって。
そうなると、どうなるか。
そう、育てていた花が一斉に開花してしまうのだ。
『緑の手』によって開花した花は保ちが良いとはいえ、一週間ほどで萎れ始めてしまう。なので長く楽しんでもらうためにも、早めに売ってしまうのが好ましいのだ。
この力の暴走、お父さんは度々やらかしていて、その度に店頭で安売りをしたり、格安でブーケを作ったりして販売するのだけれど。
今回は週初日でやらかしてしまい、今週末の露天市では遅すぎると判断。だからこうして平日だけどミニブーケの立ち売りをしているわけ。
もちろん商業ギルドには申請済み。またやらかしたのか、と職員さんに苦笑いされた。いつもご迷惑をおかけしております……。
「大変ねぇ。こちらは安くお花が買えて嬉しいけれど」
奥さんの言葉に、私は苦笑いを浮かべるしかない。
もちろん安くしている花は種類や数を考えて販売している。なんでもかんでも安く売ってしまうと、周囲のお花の価格崩壊を起こしてしまうからね。
……ギルドに入っているとはいえ、近隣のお花屋さんを敵に回したくないもの。
「ディアンちゃん、今日のミニブーケでおすすめは?」
「そうですねぇ……」
八百屋の奥さんを、正確には奥さんの心のお天気をじっと見つめる。晴れているけれど、うっすらと雲がかかっている。ちょっとお疲れなのかな?
「紫のこれ、なんてどうでしょう。ラベンダーも入っているのでリラックス効果が期待できますよ」
「とっても可愛らしいブーケね。じゃあ、こちらをくださいな」
「ありがとうございます! お母さんが作ったラベンダーのポプリもお付けしますね」
「あら、いい香り……チュリンさんのポプリまでもらえるなんて、運がいいわ」
チュリンはお母さんの名前である。
「実はちょこっと落ち込むことがあったんだけど、なんだか元気になっちゃった。これはお礼ね」
そう言って八百屋の奥さんは飴をくれた。わーい甘いものー。
笑顔の奥さんを笑顔で見送って、再び通りに目を向ける。
と、遠くにものすごく目立つ豪雷雨が見えた。言わずもがな、土砂降り騎士様である。うん、今日も今日とて土砂降りですね。
なにやら揉め事が起きたようで、男性二人の間に、彼らを引き離すように割り込んでいる土砂降り騎士様がいた。
さすがにお仕事中は取り巻き女性たちも空気を読んで、その場から離れたところで静かに待機している。
警邏中の騎士が介入したからか、男の人たちは大人しく事情を説明しているようだ。双方服が若干よれているから、胸ぐらの掴み合いくらいには、なっていたのかもしれない。
「喧嘩にならなくて良かった」
ほっとしていると、土砂降り騎士様は男性二人を詰め所へと連行し始めて。それに合わせるように女性陣もぞろぞろと移動し、他の野次馬をしていた人たちも方々に散っていく。
これは……人が集まっている今がチャンス!
私はささっとそちらに駆け寄り、友人知人顔見知りを見つけては声をかけ。更に花を買ってくれそうな見知らぬ人にも声をかけ。ミニブーケを売りに売って売りまくり。
気付けば持ってきた大量のミニブーケは、残りひとつにまで減っていた。
時刻は夕方。完全に暗くなる前に帰りたいから、今日は帰ろうかな。ひとつ残ったミニブーケは自分の部屋にでも飾ろう。
そう決めて帰り支度をしていると、視界の隅に真っ黒曇天が見えた。びっくりしてそちらを確認すれば、土砂降り騎士様がひとり裏通りを歩いていて。
初めてだ、彼が一人でいるところを見るのは。
真っ黒曇天は機嫌がかなり悪いことを示しているけれど、人に囲まれていないからか、雷と雨はやんでいた。やっぱり人嫌いっぽいな。
しばらく様子を見ていると、彼は地面から目を離さないまま、うろうろと路地を歩き回っている。何かを探しているのかな?
……空はもう真っ赤で、すぐに暗くなってしまうだろう。地面に落とした探し物なら急いだ方がいい。
少し迷って、私は声をかけることにした。警邏してくれる騎士たちがいるおかげで街は平和で、こうして花の立ち売りだって安全に出来る。その感謝の気持ちを行動に移しても不思議ではないはずだ。
……昼間、土砂降り騎士様が来てくれたおかげでミニブーケが売れに売れたから、そのお礼もまあ、あるけれど。
迷惑そうにされたら引けばいいだけの話、気楽にいこう。
「騎士様、なにかお探しですか?」
声をかけた途端、黒雲から雨が降り出し強風が吹き荒れ始めた。筋金入りの人嫌いだな、この人。
そんな急激な感情変化を一切表に出さず、土砂降り騎士様は顔を上げて私を見る。
「大したものではないので、どうぞお構いな、く……、!」
初めて聞いた騎士様の声は、やはりとてつもない美声だった。神様、一人にこれだけ芸術性を詰め込むのは罪だと思います。
遠目でしか見たことのなかった騎士様は、間近で見ると真に美の集大成で。本当に美術館で飾られていてもおかしくないくらいの、圧倒的美の押し売りみたいなお姿だった。これはすごい。女の人たちが騒ぐのも分かる。
全く興味のない私でも、心の豪雷雨が見えていなかったら、赤面していたかもしれない。
私が一人納得する中、騎士様はなぜか豪雷雨と強風をぴたっとやませて、こちらをじっと見ていた。正確には私の胸元を、じーっと見つめていた。
……胸部が豊かならば、騎士様とて男なのだな、で済んだのだが。私の胸は、残念ながら、すとんなのである。うん、すとんなのだ。泣いてない。
ならば何を見ているのか。
視線を落とせば、片付け途中でミニブーケを抱えたままだったことに気付いた。
騎士様の視線はミニブーケに釘付けだ。白く小さな花主体で作った、ささやかで可憐なミニブーケ。豪華な花束を見慣れている立場の人からしたら、こんな質素なブーケは珍しいのかもしれない。
「あの、騎士様?」
「! あ、ああ……すまない。綺麗な花だったから、つい」
「お花、お好きなんですか?」
騎士様は私の質問に、小さく頷いて肯定した。お花好きに悪い人はいないが持論の私は、思わずニコニコしてしまう。
「私もお花、大好きなんです。一緒ですね!」
常時土砂降りの人嫌い騎士様も、思わず嫌悪感を引っ込めてしまうくらい、お花が好きらしい。そう思うと途端に親近感が沸いてしまった。同時に、私のお節介病も発動してしまう。
「で、何をお探しだったんです? 私、今日一日ここらへんで花を売ってましたし、お力になれると思いますよ!」
押し強めで言うと、騎士様は少し躊躇ったあと、騎士服の袖を指さした。
「実は、ボタンがなくなってしまったんだ」
言われて見れば、右袖にはボタンが三つあるのに、左袖には二つしかない。
「申請すれば制服を交換、もしくはボタンだけを購入出来るのだが、その……騎士服のボタンを悪用しようとする者も、時にはいる。だから、探しに来たんだ」
騎士様は言葉を濁したけれど、なんとなく言いたいことは察した。ボタンがなくなっていると気付いた女性陣がそれを見つけだし、花纏いの騎士様からもらった、などと吹聴されては困るといったところか。
モテる人って四方八方に気を使わないといけなくて、本当に大変なんだな。
「なるほど。騎士様は昼間に揉め事の仲裁へ入った時に取れた、と予想したんですね」
私の返しに騎士様が驚いた顔をする。
「君も見ていたのか」
「さっきも言いましたけど、一日中、このあたりで花を売っていたので」
むしろ騎士様がいたから、ここらで花を売りまくったというか。
それはさておき、やはりあの時は胸倉の掴み合いが起きていて、騎士様はひとまず二人を無理矢理に引き離したらしい。
「今日はあの喧嘩の仲裁のあと、詰め所で事務仕事をしていた。詰め所には落ちていなかったから、外で落としたと思ったんだが」
「ふむ……今日ここに来た騎士は、私が知る限り騎士様だけでした。騎士服のボタンは高級品ですから、誰かが拾ったら変な挙動をすると思います。だけどそんな人はいなかったので、たぶんまだ何処かに落ちているかと」
騎士様は裏路地に残ってもらって通りに出た。人が減ったとはいえ、表通りに花纏いの騎士様が出てきたら大変なことになってしまう。
歩く人たちの邪魔にならないように注意しながら、昼間騒動のあった位置に立ってみる。
私が見た時、男の人たちの間に騎士様はこう立っていたから、来た方向はこっち。仲裁で割り入ったとしたら、こうなって。
取り巻き女性たちがいたのはこっち。きっちり縫いつけられたボタンが弾け飛んだとして、その時も今も、誰も気付いていないのなら。
頭の中で弾け飛んだボタンの軌道をシミュレーションして、その結果を元に、通りの端に近づく。
ここの石畳だけ、削れて他より若干低くなっているんだよね。誰かが蹴った様子もなかったし、だとしたらぴったりとはまっている可能性が……あった!
石畳の亀裂にぴったりとはまっていたボタンを拾い上げ、裏路地へと戻る。
「ありましたよ騎士様!」
言いながら、笑顔でボタンを差し出す。騎士様はボタンを見て、それから私をじっと見て。
なんだかさっきから観察されているけれど、警戒されているわけではないみたい。
だって心のお天気は相変わらずの曇り空だけど、さっきまでの真っ黒さはなくなっている。このまだら色は戸惑ってるのかな?
なんで戸惑っているのかは分からないけれど、敵意や悪意は感じないから気にしないでおこうと決めた。
「ボタン、見つかって良かったですね」
出された騎士様の手のひらにボタンを置く。これで任務完了だ。
「とても助かった。感謝する」
「いえいえ、いつも街の平和を守ってくださっている騎士様のお力になれて、とても光栄です」
「騎士として当たり前のことをしているだけだ。だが、その気持ちは謹んで受け取らせて頂こう」
騎士様の曇り空がまた少し明るくなった。あんまり感謝の言葉をもらわないのかな? 土砂降り騎士様なら言われ慣れてると思うんだけど。
そんなやりとりをしている間も、騎士様の視線がちらちらと、私の腕の中に向けられている。
そんなに気になるのかな、このミニブーケ。どうせ持ち帰るつもりだったし、進呈してしまおうか。うん、そうしよう。
「これ、良かったらどうぞ。日頃のお礼を込めて」
「いや、これは売り物だろう? 代金は支払うから少し待ってくれ」
「代金は結構ですよ。これ、実は売れ残りなんです。今日はたまたま気に入ってくれる人がいなくて……だから、良かったら受け取ってください」
「……分かった。ありがたく、受け取ろう」
「はい」
差し出したミニブーケを、騎士様はそっと受け取ってくれた。うん、美形に花は鉄板だなぁ。
眼福眼福と満足していたけれど、周囲の薄暗さにはっとした。気付けば通りを歩く人もほとんどいなくなっている。
急いで帰らないと両親が心配する。心配するだけならいいけれど、下手すれば心配性のお父さんがまた力を暴走させてしまう。それは避けたい!
「急いで帰らないと。それでは騎士様、さようなら!」
「え、あ、ちょっと、待っ……」
「お花、大事にしてくれたら嬉しいです!」
なんだか呼び止められた気がしたけど、気のせいだよね。だって人嫌いの土砂降り騎士様だもの。
私は騎士様に手を振りながら走り出す。今日は珍しいことが盛りだくさんだったなーなんて考えながら、家路を急ぐのだった。