2・花屋の娘はみえている
本日2話目
私には家族しか知らない秘密がある。
それは『心のお天気』がみえること。私は他者の心の機微や感情を、お天気として見ることが出来るのだ。
おおまかに分類すると、正の感情なら晴れ、負の感情なら荒天が基本になる。
とても嬉しいことがあったなら太陽が見えるし、とても悲しいことがあったならしとしと雨が降る。
ただし心のお天気は山の天候以上に変わりやすいので、ちょっと見ただけでその人の状態を知ることは出来ない。人の心はとても複雑で、そう単純に推し量れるものではないからだ。
人間、些細な原因でご機嫌になることもあれば、不機嫌になることもある。それは至極普通のこと。
……普通のこと、なんだけれども。
私が知る限り、花纏いの騎士様はいつだって豪雷雨を背負っている。私は一度たりとも、彼が豪雷雨以外のお天気を纏っているところを見たことがない。
ここまで一貫して心のお天気が変わらないということは、彼は常に負の感情を抱きながらお仕事をしているということになる。
人の感情というのは本当にごくごく小さなことで、とても簡単に変化するもの。なのに騎士様がほんの僅かでも、良い意味でも悪い意味でも、お天気を変化させたところを見たことがない。
安定しているという点では騎士として利点なのかもしれないけれど、人間としては異常なことなので気になって仕方ない。
「うーん……笑ったところは見たことないけど、疲れた顔をしているところも見たことないし、慣れてるんじゃないかね? 人に囲まれることに」
「……なるほど、そうかもしれないですね」
おばさんの言葉に、私は苦笑しながら頷いておいた。
厄介なことにこの騎士様、非常に異常に表情を取り繕うことがとても上手いのだ。
いつだって何があっても、ひたすらに無表情にどんな感情も一切見せないまま、真面目に仕事を遂行していく。
心のお天気が見えていなかったら、私だっておばさんと同じことを考えたはず。けれど、彼は決して人に囲まれていることに慣れていないし、ずっと嫌悪感を抱いている。
女性に囲まれている時だけ土砂降りならば、私は彼を女嫌いと判断しただろう。しかし彼は老若男女問わず、いつも変わらず見事な豪雷雨。
まるっと人が嫌いなんだろうな、と私は踏んでいる。
「にしても、ねぇ……あの美貌は最上級の美術品だよ。美術館に飾れば一番人気さ」
うっとりと息を吐くおばさんにまた苦笑しつつ、私もさりげなく騎士様を観察する。
鮮やかな紅蓮の髪に、曇りのない紅玉の瞳。身長は高く、信じられないほど足が長い。最初全身を見た時はとても驚いた。
装飾多めの騎士服を着ていても分かる引き締まった肉体に、優美さと男らしさが共存する、完全無欠の美貌。女神でさえ嫉妬しそうなきめ細やかな肌は、日に焼けてなお美しい白さを保っている。
毎度女性の黄色い悲鳴でかき消されている声だって、きっととびきり素晴らしいのだろう。証拠に彼が喋るたびに、取り巻きの女性たちがうっとりしている。
ついでに身なりからして貴族か裕福層の出身であることは明らかで。部下から隊長と呼ばれていることから実力もあると推察される。
この王都どころか、この国で知らない人はいないのではないかと疑ってしまうほどの、超がつく有名人。噂や流行に疎い私でも知っているほどの御方。
……きっと神様は、芸術品を作るノリで騎士様を作ったのだろう。これでお人好しだったら完璧すぎるから、オプションで極度の人嫌い設定を付け加えたに違いない。
ちなみに私は土砂降り騎士様と呼んでいる。理由はもちろん、いつ見ても心の豪雷雨を降らせているからだ。
「まあなんであれ、花纏いの騎士様がわざわざ露天市の巡回に出てきてくれるから人足が多くなって、商売が繁盛するんだ。ありがたい限りじゃないか」
「そうですね。それは本当、ありがたい限りです」
たぶん、それがあるから上の方から巡回任務が下されているんじゃないかな、と私は思った。じゃなかったら隊長格の彼が、わざわざ露天市の見回りなんてしない気がする。
ご愁傷様です、と心の中で手を合わせつつ、私は花籠を持ち直した。
今日は王都の恒例行事、週末露天市の日。私は露天市の日にミニブーケを立ち売りしている、平凡な花屋の娘だ。
露天市はこの王都で堂々と露天売りが出来る特別な日で、月に二回から三回、週末に行われている。
会場は王都メインストリートの一部と商業地区。商業ギルドの許可をもらえば誰でもお店が出せるので、一般市民も売る側で参加できる珍しい催しだ。
ちなみに商業ギルド公認のお店なら、審査なしで出店許可が出る上、出店場所も優遇してもらえるという特権がある。
私の家、モンステラ生花店もギルド公認の花屋。私がミニブーケを立ち売りしているこの場所も、商業地区で一番大きな会場の噴水広場。優良一等地のひとつだ。
ちなみに土砂降り騎士様は噴水広場の入り口で、沢山の女性に囲まれつつ周囲を警戒してくれている。
人の往来が多いということは犯罪も比例して多くなるということ。だから上層部もわざわざ騎士団に見回りを担当させて、防犯に努めているのだろう。
本当、ありがたい限りである。ありがとう、土砂降り騎士様。あなたの犠牲のおかげで私たちは安心して商売ができます。あと騎士様が巡回に来た日は売上がいつもより多くなるので、本当に心から感謝しております。
「おーいディアン!」
心の中でもう一度手を合わせていると、パン屋のおじさんが私の名を呼びながら走ってきた。
騎士様から視線をはずし、おじさんへ笑顔を向ける。
「こんにちは、おじさん。快晴で絶好の商売日和ですね!」
「そうだな。今日も気持ちのいい天気でなによりだ!」
パン屋のおじさんは笑いながら、私の花籠の中を覗き込む。それからオレンジ色を主色にしたミニブーケを指さした。
「今日はこれをくれ。お代はいつものこれで」
「毎度あり!」
近所にあるパン屋のおじさんは、露天市の日には食べ歩きできるサンドイッチや菓子パンを屋台で販売している。
おじさんには小さい頃から可愛がってもらっていて、こうして露天市に立つようになってからは、毎回ミニブーケを買ってくれるのだ。ただしお代はお金じゃなくて、とっても美味しいお昼ご飯!
オレンジ色のミニブーケを渡して、かわりに油紙にくるまれたパンを受け取る。
「今日は白身魚フライサンドだ。ユリィ特製フライだ、うっまいぞー」
ユリィはおじさんの奥さんの名前。料理上手で、主にパンに挟む具材を担当している。
「わー楽しみ! おじさんいつもありがと!」
「いいってことよ。ユリィもディアンのブーケを楽しみにしてるんだ、頑張れよ!」
「頑張る! ユリィさんにもありがとうって伝えて!」
「おう! じゃあな、無理はするなよ」
とてもいい笑顔を残し、おじさんは自分の屋台へと帰っていった。おじさんの心のお天気はいつも晴れ晴れとしていて、見ていてとても気持ちがいい。
「ほんと、いい旦那さんだねぇ。ジェイブさんは」
おばさんがしみじみと言って笑う。私も笑って頷いた。
「うちのもあれくらい甲斐性があればいいんだけど。まあ、期待するだけ無駄だね」
口ではそう言っているけれど、おばさんの表情は優しい。おばさんは旦那さんが大好きだし、旦那さんもおばさんが大好きだ。
ただ、おばさんの旦那さんはなんというか、ちょっとひねくれていて素直になれないタイプで。
素直になれない旦那さんを、気の強いおばさんがぐいぐい押して、最終的に旦那さんが真っ赤になって目をそらす。
それがおばさん夫妻が営む果物屋の名物やりとりになっているくらいだ。
「よぉし、決めた。ディアン、私にも花束をひとつちょうだい。帰ったらあいつに押しつけて真っ赤にしてやるわ!」
「おばさん素敵! じゃあ、この情熱的な赤バラのミニブーケは如何ですか?」
「素敵だわ、ありがと。これお代と、こっちはデザートに食べな。見た目が不格好だから売れないだけで、味は保証するよ」
「遠慮なく戴きます、ありがとうございます!」
お代とボコボコ林檎を受け取って、私はミニブーケをおばさんに渡す。情熱的なおばさんに、赤バラのミニブーケはとても似合っていた。
「モンステラさんのところのお花は、いつ見ても見事だねぇ。いつか、抱えきれないほどの大きな花束を作ってもらいたいわ」
「ふふふ、どうぞご贔屓に」
……実は旦那さんから大きなブーケの依頼を受けていると知ったら、おばさん驚くんだろうな。来週が結婚記念日で、その日に贈りたいんだって。
私の家であるモンステラ生花店は、王都ではちょっと名の知れた花屋だったりする。
特別な日に、特別な花を。
そんなうたい文句を掲げ、オーダーすればほぼどんな花でもご用意可能な、ちょっと特殊な花屋として一部界隈では有名なのだ。
果物屋の旦那さんが注文した花は、真っ赤で艶やかなクイーンローズ。それを使って大きなブーケを作ってほしいとオーダーを受けている。
デザインはほぼ決まっているけれど、今日の赤バラと同じ品種も追加でいれようと決めた。色は薄紅色か、白か。色味が違うし赤でもいいかもなぁ。
「なんだか楽しそうだね、ディアン」
「うん。おばさんを見ていたらインスピレーションが沸いてきて。楽しみにしていてくださいね!」
「新作かい? もちろん楽しみにしているよ」
私の言葉の意味を知るだろう、来週がとっても楽しみだ。ブーケを差し出されたおばさんがどんな様子だったか、あとで娘さんに聞こうっと。
そんなことを考えているうちに、視界の端から真っ黒な雲が見えなくなっていることに気付く。
入り口を見れば、いつの間にか土砂降り騎士様たちはいなくなっていた。