12・騎士様、花纏う
本日1話目
おっかなびっくり。とんでもなく立派な馬車に乗り、お嬢様たちに連れられてやってきたのは、騎士団の詰め所の、更に奥。
詰め所の手前側は誰でも入れるけれど、その奥は関係者以外立ち入り禁止。その禁止区域に、他の面々はともかく、庶民の私は入れないのでは。
と、思っていたら騎士っぽい人の顔パスで私はすんなり奥に通されてしまった。
「えっ、いいんですか? こんなに簡単に部外者を入れてしまって」
「大丈夫ですよ、ここで彼に逆らえる人なんていませんから」
お嬢様の苦笑に、この騎士っぽい人には絶対に逆らわないでおこうと心に決めた。
……彼を震え上がらせたお母さんって一体……。
私が遠い目をしていると、通りかかった騎士さんを捕まえて話をしていた、きっと偉い人であろう騎士っぽい人が振り返って。
「あいつは訓練場にいるそうだ。いま丁度、訓練が終わったところらしいから行ってくるといい」
「はい、ありがとうございます」
「ほら、お嬢サマ。私たちはもう行くぞ。遅くなるとうるさいのがいるからな」
「え……でもわたくしのせいでディアンさんを傷つけたのですから、最後まで見届ける義務が……」
「あとから話を聞けばいい。ディアン嬢。今度、この顛末を聞くための茶会に招待しても?」
「はい、それはかまいませんが……」
たぶん、というか絶対。この人、とんでもない身分のやんごとない御方だよね? 平民をお茶会に誘って大丈夫なんだろうか?
「では後日、招待状を送ろう。それでいいだろう? お嬢サマ」
「……分かりました。ディアンさんのご都合もあるでしょうし、あとで日時をご相談するお手紙をお送りしますね」
「はい」
本音を言えば送らなくていいんですが、きっと避けられないんだろうな。土砂降り騎士様とこれからも交流を続ける限りは。
お二人と護衛騎士たちが去り、私は一人、更なる奥へと歩き出す。訓練場は道なりに進めばすぐに見えてくるとのことだったので、案内は断った。
詰め所の奥は案外単純な作りで、教わった通り、すぐに開けた庭に出た。
普段はたくさんの騎士たちが訓練しているだろうそこに、今は土砂降り騎士様とその同僚らしき騎士さんの二人しか残っていない。
お目当ての土砂降り騎士様は背中しか見えないけれど、ものすごい豪雷雨を背負っているから、恐らく同僚騎士さんを睨んでいる。証拠に同僚騎士さんの顔が強張っていた。心のお天気もよろしくない。
「用事とはなんだ? 俺も暇ではないのだが」
「あの方からの命令だ、ここで待機していろと」
「はぁ……またいつもの戯れだろう。とはいえ命令だ、もう少し待機はするが、日が暮れる前に帰るからな」
「お、おう……あ!」
心のお天気と態度が同期している土砂降り騎士様、めちゃくちゃ怖いんだよなぁ……。
そんなことを考えて密かに同情していると、同僚騎士さんが私に気付いた。あ、さっき騎士っぽい人に捕まっていた騎士さんだ。
雨降りだったお天気が晴れ渡ったと思ったら、私にぺこりと頭を下げて、脱兎のごとく逃げ出す同僚騎士さん。
ああ、怖かったんだね……なんかごめんなさい……。
逃げ出した騎士さんを訝しげに見送った騎士様が、何事かとこちらを振り返る。
そして、目を見開いた。
豪雷雨がぴたっと止んだけれど、真っ黒な雲は晴れない。そのことに心が痛むけど、彼の顔を見たらそんな些細なことは頭から吹き飛んでしまった。
「騎士様!? え、どうしたんですか?!」
彼の目の下に、隈が出来ていた。うっすらとしたそれは、恐ろしいことに騎士様の色気をさらに引き立てている。いやもう、美形って本当に怖い。
だけど、どんなに魅力が増える要素だったとしても、私が見てきた騎士様はいつだって顔色は良かったのだ。隈が出来るほどの不眠なんて、病気?
思わず駆け寄って、固まったまま動かない騎士様の顔を両手でぐいっと引き寄せた。近くで見ると顔色も悪い。これ、寝てないし食べてもいないのでは。
「体調が悪いんですか? それとも病気ですか? とにかく駄目ですよ、調子が悪いなら無理しちゃ。母の国では風邪は万病の元って言うんですからね」
なんだか少し痩けたような気がする彼の頬をぺたぺたと触っていると、視界の端に花びらが舞った。うん? この近くに花なんて咲いていなかったのに。
私が疑問に思ったのと、騎士様の頬に赤が差したのは同時で。
「俺を、心配してくれるのか……?」
私の両手に自分の両手を重ねながら、恐る恐る聞いてきた騎士様。なにを当たり前なことを、と首を傾げかけて、はっとした。
お、思わず顔を引き寄せちゃった……! か、顔が近い近い近い!
慌てて手を離そうとしたけれど、騎士様の両手がそれを許さない。
「名前を呼んでも?」
「うん?」
「許可をありがとう、ディアン嬢」
許可してない! と叫びたかった。でも騎士様の声が、表情が、お天気が、喜びに満ちあふれていて否定することもままならず。
せめて真っ赤な顔を見られたくなくて、俯いてぶるぶると震える。
な、なんてことをしてしまったんだ私。というか手! 騎士様の手が私の手を握って放さない……!
「あ、あの……手を放して、もらえないでしょうか……?」
「なぜ?」
「は、恥ずかしいので……!」
「君から触れてきたのに?」
くすり、と小さな笑い声が聞こえた。
…………え? 騎士様が笑った、だと?
驚きのあまり顔を上げると、騎士様が笑っていた。そう、笑っていた。澄み切った、この世の幸福全てを享受しているような、そんな美しく神々しい笑みで。
なんだこれ。え、なんで私、騎士様にこんな顔を向けられてるの? え?
「ディアン嬢」
「はい」
「ディアン嬢」
「はい」
「ディアン嬢」
「はい、なんですか?」
何度も何度も名前を呼ばれる。普段だったらイライラしてしまうところだけど、騎士様の美しい声で名前を繰り返し呼ばれると困惑しかない。
「ディアン嬢の名前を呼べて、嬉しい」
ふにゃり、騎士様が様相を崩す。心臓が痛いくらいに胸が高鳴った。
……なんだこれ。なんだこれ。なんだ、この男。
「あ、あの!」
「なんだ?」
私のことが嫌いなんですか。
当初聞こうと思っていたことは、とうに愚問となり果てた。ならば、聞くべき言葉は。
「騎士様は、私のことが、好きなんですか?」
たったひとつ、言葉を変えただけの質問。けれど、そのたった一言がとても大きくて。
きょとんとした騎士様の顔。そして次の瞬間花開く、満開の。
「ああ、俺はディアン嬢を愛している」
直球だった。超豪速球だった。ああ、これはもう、認めざるを得ない。
この土砂降り騎士様は、私のことが間違いなく大好きなのだと。
呆然と言葉をなくした私に、騎士様は手を放すとその場にひざまずいて。
「ディアン・モンステラ嬢、俺はあなたに謝らなければならないことが沢山ある。だが、先にこの返事だけを、聞かせて欲しい。どうか、ディアン嬢。来週の祭りへ、俺と共に行ってもらえないだろうか?」
わずかに震える、差し出された手。笑みが消えて緊張が浮かぶ、真剣な顔。
……本当は一発殴ってやろうと思ってた。冷たく突き放しておいて何を今更、と言ってやろうと思ってた。
だけど、ダメだ。ダメだった。嘘でも、こんなに真剣に私にゆるしを乞うてくる好きな人を、突き放すなんて、出来やしない。
だから私は覚悟を決める。大きな息を吐いてから、怯える彼の目をまっすぐに見つめ返して。
「――私でよければ、よろこんで」
笑って、彼の手を取った瞬間、視界が花びらで埋まった。
なんだ、この花びら。どこから来たよ?
驚く私の目の前で、騎士様……エリスロス様は私の手の甲に口づけをして、ふわりと微笑んだ。それと同時に色とりどりの花びらが宙を舞って。
……ああ、これはもう、お天気ではないなぁ。
そんなことを思いながら、心の花を纏う麗しの騎士様へ、私も笑みを返したのだった。