11・花屋の娘は知らされる
神様は私が大嫌いなのだろうか。傲慢で身の程知らずな小娘に対する天罰にしたって、これはちょっと厳しすぎやしませんか。
「初めまして、こんにちは」
「い、いらっしゃいませ、こんにちは……」
騎士様に嫌われたと鬱々しい日々を過ごしていた私に、神様はとてもお怒りらしい。まさか騎士様の婚約者様がご来店されるだなんて、誰が予想しただろうか。しかもタイミングが悪いことに、今お店には私しかいない。私が対応するしかない。
改めて近くで見る騎士様の婚約者様は、紛うことなき貴族のお嬢様だった。なにもかもが細く華奢で、肌が白くて顔は小さくて。可憐という言葉が人になったら、きっとこの形になるのだと思う。
「ごめんなさい、突然来てしまって。でもどうしても、直接お会いしてみたかったんです」
「は、はぁ……」
婚約者に近付く不届き者を一目見たかったと、そういうことですか? それにしては随分と嬉しそうなんだけど……心のお天気も晴れているし。
後ろにおられる護衛騎士二人は私を警戒しているけれど、お天気からして職務として警戒しているだけのようだ。
あと一人、護衛騎士の格好をしているけれど心のお天気がすごく楽しそうな人は一体……いや、気にしないようにしよう。悪意や害意がないのなら、私には関係のないことだ。
「ディアンさん、とお呼びしてもいいかしら? ディアンさんは露天市でミニブーケをお売りになられているのでしょう? ぜんぶディアンさんがデザインして作っているとお聞きしたんですが、本当ですか?」
きらっきらした目でずいずいと迫ってくるお嬢様に、思わず背をのけぞらせてしまう。
ちょっと護衛騎士さんたち、護衛なんだから止めなさいよ。私がお嬢様に襲いかかったらどうするんだ。
そう視線で訴えるも、騎士さんたちはとても優しい目で私とお嬢様を見つめたまま動かない。特に本職護衛騎士のふたり! さっきまでの警戒はどうしたよ!?
「え、ええ……ミニブーケは私がデザインして作って露天市で立ち売りをしておりますけれど……」
「ではやはり彼が持ってくるミニブーケはディアンさんのものなんですね!」
彼。冷や水を浴びせられたように心臓が凍り付いた。
私の顔が引きつったことが分かったのだろう、騎士さんたちのお天気が曇っていく。雲の色は白のままだから純粋に心配してくれているようだ。
そんな彼らとは対照的に、お嬢様は私の心に気付くことなく、天使の笑みを浮かべてはしゃいでいる。
「ずっと素敵だなと思っていたんです! あんな美しい花束たちをお作りになられるディアンさんにどうしてもお会いしたくて、今日は来てしまいましたの」
お買い上げいただいた花束をどうしようが、それはお客様の自由だ。売り手としては喜んで大切にしてもらえたら、それだけで光栄だし嬉しい。
露天市で頻繁にミニブーケを買ってくださった土砂降り騎士様。時には平日にお店に来て、花を買ってくださったこともある。
……それらはすべて、婚約者様のためだった。
いいことじゃないか。私の作ったブーケを気に入ってもらえて、大切にしてもらえて。いいことだ、いいことなのに。
「是非とも会わせてほしいとお願いしたのに、ちっとも頷いてくれなくて。だから勝手に来てしまいましたわ」
「そう、ですか」
「お伺いをたてずに訪問してしまったこと、謝ります。でも悪いのは一向に紹介してくれない彼ですから、今度会った時にでも……」
「っ、あの!」
駄目だ、聞いていられない。お貴族さまの言葉を遮るなんて、不敬だと罰せられても仕方のないことだけど、でも、もう聞いていられなかった。
「あの……一体、何の、ご用でしょうか? 私と騎士様でしたら、そういう関係ではありませんので、ご安心ください」
「はい? そういう関係、とは?」
「騎士様にはお世話になっておりますが、一方的にお世話になっているだけですから。誓って、お嬢様が心配されるようなことは一切ありません」
「うん? わたくしが、心配? 一体どんな心配ですの?」
……あれ、なんだか様子がおかしいぞ?
「え、だってお嬢様は、騎士様のご婚約者様ですよね?」
「はい? わたくしが、あれの、婚約者?」
お嬢様がぱちくりと目を丸くして、くるりと護衛騎士たちを振り返る。騎士さんたちも不思議そうな顔をしていたが、すぐにはっとして声を上げた。
「お嬢様、ディアン嬢は一般の方です」
「ええ、そうね」
「ですから、ご存じではないのではないでしょうか?」
「………………、あ」
お嬢様も何か思い当たったらしく、勢いよく視線を私に戻して。
「わたくしは、あれ……花纏いの騎士と呼ばれている者の、正真正銘、血のつながった妹です!」
「……へ? でも騎士様は伯爵家のご次男で、お嬢様は公爵家のご令嬢なのでは……?」
「はい、今はそうです。わたくし、婚約のために公爵家に養子入りしておりますの。ですから生まれは伯爵家で、花纏いの騎士はわたくしの実の兄ですわ」
「婚約のために、養子入り?」
「ええ。わたくしは尊い身分の御仁の婚約者候補だったのですが、このたび正式に婚約が決まりまして。あとは色々あって、遠縁の公爵家に養子入りいたしました」
貴族間ではよくあることですわ、とお嬢様は言う。騎士さんたちも頷いていた。
「でも、そうですわね。一般の方には馴染みのないことですわよね。失念しておりましたわ」
「は、はあ……」
「うん? わたくしを婚約者と勘違いしていたってことは、もしかして……」
お嬢様の顔が青くなる。そして恐る恐るといった様子で、私に問いかけてきた。
「あの、兄から、お祭りに誘われたりは、しませんでした、か?」
「お祭り? いえ、誘われていませんが……」
祭りに誘われるどころか、騎士様を怒らせて嫌われた。あの日の騎士様の冷たい態度と顔を思い出して、俯く。
「その、ディアンさん。わたくしと兄を見かけたのは、一ヶ月ほど前の、装身具店の近くで間違いないでしょうか?」
「装身具店かどうかは分かりませんが、確かに一ヶ月くらい前です。高級店が立ち並ぶ一画で、お嬢様と騎士様が仲睦まじく歩いているところをお見かけして、それで……」
「勘違い、なさってしまったのですね……」
お嬢様はますます顔を青くして、ぶるぶると震え出した。あまりの顔色の悪さに、倒れてしまわないか心配になってしまう。
「最近兄の様子がとてもおかしいとは聞いていましたが、まさか悪い意味のおかしさで、その上わたくしが原因だったなんて……!」
「いえ、お嬢様のせいではありません。私が騎士様を怒らせて、嫌われてしまっただけです。ですから、お嬢様のせいではございませんよ」
「兄がディアンさんを嫌う? そんなわけがございません!」
「ですが、この前とても怒らせてしまって……」
あの猛吹雪、怒ってないなんて、嫌われていないだなんて、絶対に嘘だ。
「そもそも、兄が怒るということ自体がおかしいのです。兄は滅多なことでは怒りません。怒ったとしても、誰かではなく自分に対して怒るのです」
「お嬢様の言うとおりです」
「そうですよ、あの人は余程のことがなければ怒ったりしません」
護衛騎士さん二人もお嬢様の言葉に同意する。彼らはちらりとお嬢様を見て、彼女が頷いたことを確認してから、口々に話し始める。
「あの方は、なんて言うのかな……優しすぎる人なんです。自身に責のない出来事であっても、自分にも原因があったのだろうと、自分を責めてしまう。そんな不器用で優しい方なんです」
「妙に人の感情に敏感なせいで、実は人間不信気味なんです、あの人。それが最近はすごく柔らかくなったって、騎士団でも持ちきりだったくらいで。いい人が出来たのかなって皆で噂してたんですよ」
「あいつ、表情筋がめちゃくちゃ固くてさぁ、そのせいかいつも不機嫌顔なんだ。巷ではそれがクールでいいとか言われてるらしいけどね。その上、自分で自分を責める時とか、ものすごく怒っているようにしか見えない顔になるんだよ。たぶん、それで勘違いしちゃったんじゃないかな」
すごいな土砂降り騎士様、とても好かれている。でも、当然か。だって騎士様は心の内であんなに嫌悪感を覚えているのに、それを一切表に出さず、誰にだって親切に振る舞える人なのだから。
……もしかしていつも背負っていた豪雷雨は、他者への嫌悪感や不快感ではなく、自己に向けたものだったのかもしれない。
目の前の人たちの話を聞いて、そんなことを思った。
「ともかく! ディアンさんが嫌われているなど、そんなこと絶対にあり得ません。だって、普段人に頼らない兄が、私に頼ってまで……」
「お嬢サマ、お口にチャック」
「は! むぐっ」
「とにかく、あなたはエリスロスに嫌われてなんていない。むしろあなたに嫌われたと、あいつの方が落ち込んでいるくらいだ」
「え?」
それって、やっぱり、そういう? 私の見立ては勘違いじゃなかったってこと?
「お嬢サマ、二人の仲を拗らせた原因は君だ。その拗れを解消するには、どうするべきだと思う?」
「ちゃんとお話し合いをするべきですわね! 分かりました、私がすべての責任を持ちましょう」
「君一人で背負うことはないよ、あいつなら安心だからと配慮しなかった私も悪いからね」
なんだか私を置いてけぼりにして、お嬢さまと護衛騎士っぽい人で話がどんどんと進んでいく。
「ディアンさん、行きましょう」
「え?」
「善は急げと申します。兄に会いに行きましょう」
「すみません、今お店には私しかいないので無理です」
「大丈夫よぉ、いってらっしゃいな」
「お母さん?!」
「ただいまぁ、ディアンちゃん。お店番は私に任せて、いってらっしゃいよ。いつも言ってるでしょう? チャンスは逃しちゃいけないって」
お母さんの突然の登場に、護衛騎士のふたりは警戒を露わにした。
けれどお母さんはそんなこと全く気にしないで、にこにこと私の背中を押す。押す、とにかく押す! 力が強い!!
「はい、行った行った! 振られたら慰めてあげるから、ぶつかって砕けてきなさいな?」
繊細な見た目に反して、お母さんは力がとても強い。ぐいぐいと私とお嬢様と騎士っぽい人をお店から押し出すと、にっこり笑って告げた。
「ディアンちゃんを宜しくね、お二人とも。何かあったら、然るべきところに報告しますから、ちゃぁんとしてくださいね、騎士っぽいお方?」
こころなしか、お母さんから冷たい空気が流れてきた。お嬢様は不思議そうな顔をしていて、話が飲み込めていない様子だ。対して名指しされた騎士っぽい人は、顔色が悪くなっている。
「……かしこまりました。ディアン嬢は必ず、遅くならないうちにお送りいたします。ご安心ください」
「はい、信じてますよ。ささ、護衛のお二人も行ってくださいな」
どうやらお母さんの迫力に固まっていたらしい護衛騎士ふたりが、ようやく我に返る。大慌てで一礼し、騎士っぽい人とお嬢様の後ろに立った。
「ディアンちゃん、大丈夫よ。安心して、当たってぇ、砕けてきなさい!」
「お母さんは私に発破をかけたいの? それとも粉々に粉砕されて帰ってくることを願っているの?」
「ふふ、大丈夫よ。あなたと彼ならね」
……この言い方よ。でも、なら、信じてみることにしようか。
こうして私は彼らに連れられて、土砂降り騎士様に会いに行くことになったのだった。